橿原市曲川町にある金橋神社。
曲川(まわりかわ)という地名ですが、どうやら地形の曲がった所を指すようです。曽我川の曲流地に当たり、昔は桃源の里として知られていました。金橋神社へのアクセスですが、JR金橋駅から徒歩10分余りとなっています。イオンモール橿原アルルからも徒歩圏内ですので、お買い物ついでに立ち寄ってみるのもいいですね。
安閑天皇勾金橋宮。
安閑(あんかん)天皇は第27代天皇に当たります。
金橋神社は安閑天皇の勾金橋宮(まがりのかなはしのみや)の跡地とされています。
継体天皇の長子・安閑天皇が即位した場所
第27代安閑天皇は、系譜しか語られることのない欠史十代の中に入る天皇です。
そんな天皇のお宮跡が残されているとは、さすがに奈良県は奥が深いですね。
金橋神社の割拝殿。
注連縄が蛇のように身をくねらせます。
車止めの正面に鳥居が建っていました。
安閑天皇は66歳でこの地に即位し、わずか4年で崩御したと伝えられます。
宮跡は奈良県橿原市曲川町にありますが、そのお墓は大阪府内にあるようです。
大阪府羽曳野市古市の古市高屋丘陵(ふるちのたかやのおかのみささぎ)が安閑天皇の御陵として治定されているとのこと・・・御陵にはよく古墳名も付いているものですが、「高屋築山(たかやつきやま)古墳」という前方後円墳がそれに当たります。
最寄駅のJR金橋駅。
畝傍駅と高田駅の間にある片面プラットホームの駅です。
金橋駅から北へ向かい、左に折れると金橋神社が鎮座しています。金橋神社からさらに西方向には八幡神社も祀られていました。
氏子総代会のお知らせ。
金橋神社へ向かう道中に、お知らせが掲示されていました。
毎月1日と15日には拝殿の扉が開放され、本殿参拝が可能なようです。それ以外の日にお参りする際は、氏子役員への連絡が必要です。
金橋神社の由緒が記されていました。
安閑天皇(西暦466~535)は継体天皇の第一皇子で勾大兄廣國押武金日天皇(まかりのおほえひろくにおしたけかなひのすめらみこと)の名で親しまれ、西暦534年春正月に第二十七代天皇として勾金橋宮で即位された。
都を大和國盤余(いはれ)の玉穂宮から勾金橋宮の地(橿原市曲川町)に遷されたのは、今から1450余年前のことで寛大にして仁恵の深い天皇は此の地で善政を敷かれた。この由緒ある勾金橋宮跡に安閑天皇の遺徳を偲び、その神霊を祀って創建されたのが権現社である。
権現社建立時期は定かではないが、明治維新に金橋神社を改稱され人里に接した社地は、竹林と生け垣で隔てられ社殿の周囲には古木が聳え立ち千古の霊蹟を今日に伝えている。大正4年11月に奈良県教育委員会より建設された安閑天皇勾金橋宮跡の記念碑も境内に保存されている。
平成元年11月12日 橿原市曲川町
一説によれば、安閑天皇は蔵王権現であるとされ、明治初期までの神仏混合時代には蔵王権現と呼ばれていたようです。
笠木の下に島木を渡す明神系鳥居ですね。
鳥居は北を向いていますが、拝殿と本殿は東向きです。
金橋神社の手水石。
コンクリート塀に囲われた本殿が見えますね。
「安閑天皇勾金橋宮趾」の記念碑。
すぐ背後には民家が迫ります。
春日造の金橋神社本殿。
鉄板葺の屋根の上に千木を載せています。
石燈籠の宝珠から御神木を望みます。
深い杜の中にある境内を想像していましたが、ずいぶん開けた感じですね。
金橋神社拝殿。
安閑天皇の後を受ける第28代天皇は宣化天皇です。畝傍山近くにある懿徳天皇陵の南方に、宣化天皇陵があったことを思い出します。
御神木の根っこ。
隆々と浮き上がっています。安全上の配慮からか、残念ながら切り落とされていました。
割拝殿の中の奉納絵馬。
何が描かれているのかよく分かりませんが、歴史を感じさせますね。
御本殿の前には狛犬が陣取っていました。
本殿は新しく生まれ変わっているようです。
桁下1.8mの陸橋。
JR金橋駅のすぐ東側にあり、レンガ積みの橋脚に歴史を感じます。
曲川町の住所表示。
JR金橋駅から国道方面へ歩いて参りました。
勾金橋宮の「勾(まがり)」で思い出すのが、山の辺の道にある崇神天皇の行燈山古墳です。
いわゆる崇神天皇陵ですが、宮内庁により山辺道勾岡上陵(やまのべのみちの まがりのおかのえのみささぎ)として治定されています。言われてみれば、崇神天皇陵の辺りにも地形の曲がりあるのかもしれませんね。