天理教の教祖・中山みきが天啓を受けたことで知られる三島神社。
三島神社は、天理教教会本部の建設に伴って1988年に現在地に移転しています。天理教信者の故郷とされる「おぢば」にあった神社ということで、以前から一度訪れてみようと思っていました。本来の天理教のおぢばがえりはこの場所なのかもしれない、そう思わせるぐらいのスピリチュアルな雰囲気に満ちていました。
三島神社の拝殿と、その手前に建つ亀の石灯籠。
天理教教会本部も三島神社も同じく、住所は三島町になっています。旧庄屋敷村で、庄屋の住んでいた屋敷があったようです。後に三島村に合併し現在に至っています。
天理教の中心地・三島の地名由来
天理市三島町の地名は、「水島」にその起源があるのではないかと思われます。布留川の支流に三島川がありますが、布留川の下流にはかつて中島があったと言われます。
昔の里謡にこんな歌が残されています。
「三島小在所にすぎたるものがござる 寒(かん)のすのりに夏ほたる」
民謡やフォークソングにも通じる里謡(りよう)に、昔の三島界隈を謳った歌が伝えられます。
三島神社の鳥居。
寒のすのりとは、要するに川海苔のことを意味しています。
歌詞を見れば、夏は蛍が出るぐらいに澄んだ川が流れていた様子がうかがえます。川はどこを流れていたのかと思いますが、今の天理本通り商店街こそが昔の川跡だったのです。そう言われてみれば、教会本部神殿前の通りには数多くのマンホールが見られます。今では蓋をされて暗渠となった三島川を想います。
三島神社本殿。
拝殿の裏側に回り込んで、本殿に手を合わせます。
鳥居をくぐった左手に、三島神社の由緒が案内されていました。
三島神社の御祭神は布留御魂神、大山祇命、天児屋根命の三柱です。
石上神宮、三島大社、春日大社の分社とも言われますが、その御祭神を見れば納得がいきます。伊豆三島神社から分社され、かつては櫟森明神とも称された三島神社。
神々しさを解き放つ三島神社本殿。
近くに鎮座する石上神宮の布留御魂神も祀られています。
見所は拝殿前の亀の石灯籠
神社参拝と言っても、その手の観光に興味の無い方もいらっしゃるかと思われます。
そんな方におすすめしたいのが、三島神社拝殿前に建つ亀の石灯籠です。
三島神社の亀の石灯籠。
右後方に拝殿を望みます。首をもたげて、甲羅の上に重そうな石灯籠を載せています。踏んばる足からは、グッと力の入った躍動感すら伝わります。
横から見てみると、まさしく ”四つん這い” の格好です。
右後方には社務所が見えています。
しっかりと甲羅に乗っています。
バランスを取るのも大変だろうなと要らぬ心配をしてしまいます(笑)
なぜ三島神社に亀なのか?その理由は定かではありませんが、神社のアイドルとしては申し分のない存在ですね。
後方からも失礼いたします。
奈良県内の仏像を拝観していると、仏像の下に踏み潰された邪鬼の姿をよく見かけます。この亀も、実は燈籠に押し潰されているだけなのかもしれません(笑) いや、やはり神域を照らす石灯籠を支えていると捉えたいですね。神様のお手伝いをしている亀と考える方が自然です。
口を少し開けて邪気を吸い込んでいるようにも見えます。
亀をはじめ、動物たちが境内で参拝客を出迎える姿はユーモラスです。京都大豊神社の狛鼠や狛猿、京都護王神社の猪などはよく知られるところです。
猿やネズミや猪は、古来より人の生活に密接に関係していました。おそらく亀も、身近な存在であったはずです。昔話にもよく登場する亀ですが、縁起物の象徴として重用されていることは誰もが知るところですね。狛犬は拝殿前の両脇に居るものですが、三島神社の亀は一体のみです。境内に狛犬も別に存在していることから、この亀の石灯籠は、狛犬的役割を果たす「狛亀」でないことは明らかなようです。
鼻の穴もしっかりと表現されています。
よほど力が入っているんでしょうね、開いた鼻の穴からもその踏ん張り具合が想像されます。
三島神社境内社と砲弾
綺麗に整備された境内を歩いていると、本殿向かって右側に朱色の社殿が見えて参ります。
石の瑞垣に囲まれた境内は決して広くありませんが、木々に囲まれて、神社らしい杜を形成しています。
三島神社の境内社。
社殿の祠が二つに分かれていて、左が五十鈴姫神社で、右が金刀比羅神社です。
小ぢんまりした美しい境内社ですね。
境内社からすぐ左手上方に、三島神社の本殿が見えています。
境内社の右手前に砲弾が上向きに祀られていました。
三島神社境内に戦争の足跡を見つけます。
日露戦と記されていますね。
日露戦争の戦利品か何かでしょうか。
奈良県内にはこういった過去の戦争を思い出させるものが各地に祀られています。広瀬神社や氷室神社でも目にしましたが、最も有名なのは笛吹神社の大砲ではないでしょうか。日露戦争の戦利品として奉納された大砲を、葛城市の笛吹神社境内に見ることができます。
砲弾の下の石の模様も気になりますね。
明らかに人の手によって加工された石ですが、砲弾を祀るためだけに切り出されたのでしょうか。どうもそのようには思えないのです。何か他の用途に使われていた石が、今は砲弾を支える石になっている。そんな気がしますが、いかがでしょうか。
さらに砲弾の手前には磐座が祀られていました。
グッと持ち上がった感じのする磐座ですね。
瑞垣の向こう側は二車線の車道が通っていて、道を挟んで山の辺幼稚園があります。
手水舎の裏側には池がありました。
かつて三島神社の傍にも、鏡池という池があったそうです。天理教教祖の中山みきは天啓の後、苦悶のあまりに幾たびも池に身を投げようとしたと伝えられます。宮池とも呼ばれた池ですが、平成11年に埋め立てられたそうです。
三島神社の祈祷・お宮参りに厄除祈願
三島神社の拝殿に、祈祷に関する玉串料が案内されていました。
厄除祈願の玉串料が5,000円で、初宮詣りは10,000円のようです。
大きな体躯の狛犬に守られる拝殿。
かなり大柄な狛犬が拝殿両脇に坐しています。
三島神社の祈祷は予約が必要なようです。
宮司様のご案内で、願い事と玉串料がそれぞれに列記されていました。
家内安全5,000円 身体健康5,000円 商売繁盛5,000円 学業成就5,000円 合格祈願5,000円 交通安全5,000円 厄除祈願5,000円 病気平癒5,000円 初宮詣り10,000円 地鎮祭38,000円 竣工祭38,000円
その他 出張祭典 承ります 尚御祈祷 お申込みは電話で御予約願います 0742-22-1602 三島神社宮司
建築に関する御祈祷は、少し玉串料もお高いようですね。
三島神社の御神紋でしょうか。
三島神社の「三」がデザインされているものと思われます。
拝殿には龍の姿も見られました。
波打つ龍、見事な蟇股の意匠ですね。
賽銭箱にも神紋がありました。
折敷(おしき)の家紋なのでしょうか。折敷に波形三の文字が描かれています。
道路沿いに建つ三島神社の社号標。
夏ということもあってか辺りには草木が生い茂り、三島神社の「社」の字が隠れていました。
三島神社の手水舎。
鳥居をくぐってすぐ右手にあります。背後には先ほどの池が見えています。
手水舎前では、ちょっとした ”とんど” が行われていました。
境内には白い煙が立ち込め、少し煙たいぐらいでした(笑) この煙もまた、邪悪なものの侵入を防いでいるような気がします。
初めて参拝した三島神社。
天理教神殿に人は集えど、三島神社に人が集まることはそうないのではないでしょうか。しかしながら、この神社は教祖の中山みきが天啓を受けた由緒あるお社なのです。亀の石灯籠を見に来るだけでもいいと思います。まだ一度も訪れたことのない方は、是非三島神社の鳥居をくぐってみて下さい。新たな世界が開けてくる予感が、きっとそこにはあるはずです。
中山みきが啓示を受けた三島神社
住所:奈良県天理市三島町92-1
<三島神社周辺情報>
- 例祭 :10月13日
- 駐車場 :無し
- アクセス:JR・近鉄天理駅から徒歩10分