吉凶を占う波々迦木(ははかのき)や奈良県指定天然記念物のイチイガシ、さらには奈良県指定史跡の笛吹神社古墳で知られる笛吹神社。火の神、音楽の神と仰がれるお社の中でも、特に目を引くのが拝殿下に佇む大砲です。
拝殿手前左側に大砲のデザインされた絵馬が掲げられています。
日露戦争の戦利品として奉納された大砲は、笛吹神社のシンボルとも言える存在です。
旧忍海郡の総鎮守社・葛木坐火雷神社
笛吹神社の正式名称を葛木坐火雷神社(かつらきにいます ほのいかづちじんじゃ)と言います。
旧忍海郡14々村の総鎮守社であり、御祭神は火の神である火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)と、笛・音楽の神であらせられる天香山命(あめのかぐやまのみこと)。この他にも、相殿として笛吹連(ふえふきのむらじ)の祖や高皇産霊命など四神が祀られています。
笛吹部は笛を吹いて鎮魂の儀に関与したと考えられており、葛城市に残る地名の「笛堂(ふえどう)」は笛吹部の二次化地名ではないかと思われます。
拝殿下に佇む日露戦争記念の大砲。
ロシア製の「加農攻守城砲」が静かな境内に凛とした空気を醸し出しています。
火の神に通じる何かがあるのでしょうか、はたまたその音がこの神社の神域にどこかでリンクするのでしょうか。
笛吹神社の大砲は、日露戦争後の明治42年6月に政府より奉献されました。当時は日本各地の神社や主要施設に奉納されたようですが、大東亜戦争中、あるいは戦後に大半が軍に上納され、当時のままの姿を保っているのはきわめて珍しいとされます。笛吹神社にはその当時の証明書も残っており、後世に戦争の歴史を伝える資料として大変貴重です。
大砲の置かれた広場から石段を上って、笛吹神社の拝殿へと辿り着きます。
笛吹神社へのアクセスは、県道御所・香芝線から西の山手へ向かい、地光寺跡を通ってさらに坂道を上がって行きます。笛吹神社の場所は近鉄沿線に鎮座する柿本神社や角刺神社とは違い、かなり高台に位置しています。
笛吹神社の鳥居をくぐって一段上に御百度石があり、さらに石段を上った所に絵馬にも描かれている大砲が置かれています。さらにそこから急な石段を上って拝殿へと辿り着きます。
石段の途中、踊り場に出た所に「笛吹」の文字が刻まれていました。
左下に目をやると、大砲の姿がうかがえます。
こちらは干支絵馬ですね。
今年は午年です。随分ずんぐりむっくりな馬が描かれていますが、これもご愛嬌でしょうか。
大砲の描かれた開運絵馬。
拝殿へと続く石段の様子がよく分かります。
石垣の左側に描かれているのはイチイガシでしょうか。鳥居前の境内マップにイチイガシの生えている場所が案内されていたのですが、境内社の梅室神社近くだったので、おそらくこの辺りではないかと思われます。
笛吹神社の大砲。
北葛城郡河合町の広瀬神社参道にも、同じように日露戦争の戦利兵器が奉納されていたことを思い出します。水の神様を祀る広瀬神社に、火の神様を祀る笛吹神社。一見対照的な二つの神社の境内に、日露戦争の戦利兵器が奉納されています。