神話の剣を祀る石上神宮。
起死回生のお守りや、境内に放し飼いにされた鶏で人気のパワースポットです。山の辺の道の起点にもなっており、ハイキングやサイクリングを楽しむ人々で賑わいます。
境内のイチイガシ。
重要文化財の楼門から東へ、奈良へ至る山の辺の道を歩いて行くと、程なく樹齢300年のイチイガシが天に向かって伸びています。幹回りの窪みに1円玉が供えられていました。御神木というわけではありませんが、等しく巨木には侵しがたい神性が備わります。
石上神宮の鎮まる天理市は、昭和29年に新市名として誕生しています。
丹波市町を中心とする朝和村・二階堂村・福住村などが合併して生まれた天理市。天理教の教祖中山みきの生誕地としても知られます。街には天理教の詰所が各所に見られ、黒い法被を着た天理教の信者をよく見かけます。
石上神宮拝殿。
重文の楼門を抜けて真正面にある国宝建築物です。拝殿の奥は禁足地になっていて、立ち入りが禁じられています。大神神社の拝殿奥にある三ツ鳥居の向こう側も禁足地になっていますが、往古の歴史を感じさせる二つの社にお互いの共通点を見出します。
石上神宮拝殿は結婚式の執り行われる場所でもあり、毎年6月30日に催される神剣渡御祭(でんでん祭)では参拝客が昇殿を許されます。
国文学者の本居宣長は、石上(いそのかみ)の名前の由来を接頭語の「イ」と、古を意味する「ソノカミ」ではないかと説きます。過去や昔を意味する「其の上(そのかみ)」。神話の世界から蘇った石上神宮にふさわしい解釈ではないでしょうか。
神話の息づく石上神宮へアクセス
石上神宮はJR・近鉄天理駅から徒歩30分の距離に位置しています。
天理駅からはバスも出ていて、奈良交通バス20、24、28番に乗車して「石上神宮前」で下車します。行き方にも色々あると思いますが、車でアクセスするのが一番便利ではないかと思われます。高速道路の出口で言うと、名阪国道「天理東インター」から約5分、西名阪自動車道「天理インター」からは約15分となっています。桜井市の三輪山の麓にある当館からだと、お車で大体15~20分でアクセスすることができます。
石上神宮の鶏。
参拝客の座るベンチにひょいっと飛び乗って、どこかを見つめています。向こうに見えているのは、伝説のワタカが棲む鏡池です。
木登りが上手で、行動範囲の広いことで知られる石上神宮の鶏。境内に響き渡る鳴き声もすこぶる元気で、あぁ石上神宮に来たんだなと思わせます。お守りにもデザインされており、石上神宮の象徴でもあります。
県道51号線沿いにある石上神宮の第三駐車場。
神田神社の北側にある無料駐車場です。ここに車を停めて道路を渡り、東側に広がる境内へと向かいます。国道169号線から東に入って、この第三駐車場までやって来るのですが、その途中に桜並木が続いています。神宮外苑公園と共に、桜の名所として知られます。
第三駐車場の隣りはサイクリングの上ツ道ルートになっているようです。
奈良県内のあちこちで「ならクル」の案内標識を目にするようになりましたが、ここ石上神宮の前もサイクリングコースになっていました。奈良公園までの距離が13㎞と案内されています。山の辺の道の西側を通る上ツ道ルートは、東大寺を起点として南へ33㎞伸びています。サイクリストにやさしい奈良を目指して、奈良県の取り組みが続行中です。
道路を渡って石上神宮の社号標を見ながら、緩やかな坂道を登って行きます。
両側には割と高めの石垣が組まれています。
神剣を御祭神とする物部氏の氏神
石上神宮は武門の棟梁たる物部氏の氏神と伝えられます。
歴代天皇の崇敬も厚く、神庫には数多くの武器が収められていました。古代の武器庫であった石上神宮ですが、平安初期に天武庫(あめのほくら)に収められていた大量の武器を京都に移す際、15万7千余人を要したと「日本後記」は伝えます。
神功皇后の摂政52年には、百済の使者が献じたという七支刀(ななつさやのたち)も今に伝えられます。起死回生のお守りで人気の御神剣守(ごしんけんまもり)にも七支刀がデザインされています。個人的には七支刀を模ったネクタイピンなども気になるところです。
石上神宮の大鳥居。
現在の大鳥居は平成23年に再建立されています。平成23年3月に耐久性の調査が実施され、早急に修理が必要との提言を受け、解体される運びとなりました。柱や貫などを取替えて、平成23年9月にめでたく完成を見ています。
布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)と言われる神剣を御祭神とする石上神宮。
神武天皇東征の際、荒ぶる邪神を平らげたとの伝承を持つ神剣です。
石上神宮の鎮座地を布留(ふる)と言いますが、この地名は川の上流から流れ来る神剣を受け止めた布に由来しています。神剣にまつわる興味深い逸話ですので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
奈良朝以前から「神宮」の号を使ったのは、伊勢神宮の他には石上神宮のみとされます。布留の杜に鎮まる大和屈指の古社は、大神神社と並んで山の辺の道のおすすめ観光スポットとなっています。
大鳥居左手前にある柿本人麻呂の万葉歌碑。
未通女等(おとめら)が 袖布留山(そでふるやま)の 瑞垣(みづがき)の 久しき時ゆ 思ひき吾は
歌の意味はこんな感じです。
おとめが袖を振る、その布留山の瑞垣が大昔からあるように、ずっと前から私はあの人のことを思っていました。
昭和43年4月に建立された万葉歌碑で、石材は旧内山永久寺の北門跡にあった敷石が用いられています。境内にある国宝の出雲建雄神社割拝殿も内山永久寺の遺構ですが、こんな所にも忽然と消えた大寺院の名残が感じられます。
石上神宮の神杉。
大鳥居をくぐってすぐ左手にある西側の神杉です。
幹囲り4.1m、樹齢は400年前後、高さは約35mにもなります。注連縄が張られ、紙垂が掛けられています。見るからに御神木であることが分かります。
瑞垣に囲われた神杉の幹に穴が開いていました。
中が空洞になっているんですね。なんだか神秘的な空間です。
神杉の左手に目をやると、参集殿がありました。
以前にこの参集殿の前で、これから結婚式に向かおうとする人の群れを目にしたことがあります。おそらく拝殿で執り行われる挙式の前に、ここで待機なさっていたのではないでしょうか。石上神宮の結婚式のしおりによれば、参集殿大広間は結婚披露宴会場にもなっているようです。広さは110畳分と言いますから、かなりのスペースが確保されています。
こちらは参集殿向かって右側の社務所。
祈祷以外の各種の受付(結婚式・出張祭・崇敬会入会・団体参拝・一部の神符、守札の授与など)も行われています。訪れた時は初夏の昼下がりということもあり、東側の窓を開け放って皆さん職務に就いておられました。
石上神宮の祓所(はらいしょ)。
社務所から拝殿へ向かう途中にあります。
私の記憶によれば、7~8年前にはこの場所に祓所は無かったものと思われます。数年前に久しぶりに境内に足を運んだ時、忽然と姿を現した祓所に身が引き締まったのを覚えています。
周囲から一段高く設計されており、結界の注連縄が張られています。
石上神宮のHPによれば、大祭など最も大切な祭典の時に、斎主・祭員(さいしゅ・さいいん)をはじめ参列者等を修祓(しゅうばつ)する所と案内されています。難しい言葉に出会ったので辞書を引いてみると、修祓とは禊を行うことを意味します。修祓(しゅうふつ)の慣用読みが修祓(しゅうばつ)に当たるようです。
山の辺の道のイチイガシ
楼門前を東へ進むと、途端に参拝客の数が少なくなります。
深い杜の中へ入って行くような感じのする場所で、奈良へと続く山の辺の道が伸びています。その先には、高橋姓の源流とも言われる布留の高橋があります。その布留の高橋の手前に、巨木のイチイガシが生えています。
石上神宮のイチイガシ。
手前左側の垣根は、研修や会議の行われる長生殿(ちょうせいでん)です。
道の真ん中に堂々と立つイチイガシの巨樹。
イチイガシはブナ科の常緑高木で、照葉樹林の主要構成種でもあります。笛吹神社や角刺神社、それに鴨都波神社の境内でも見られた木ですね。御神木として仰がれることも多い木で、奈良県内に住んでいればイチイガシはおなじみの木となっています。
幹の窪みにお賽銭代わりの1円玉が奉納されていました。
自然に出来た瘤状の窪みだと思われますが、ここを通れば何かを納めたくなる気持ちも分かります。
イチイガシの向こう右手に見えているのは、石上神宮の大銀杏ですね。
JR天理駅の二階プラットフォームからも見ることの出来る巨木です。石上神宮の大イチョウの銀杏は、12月に撤饌として社頭で分けられます。
こちらは石上神宮の第一駐車場。
石上神宮の駐車場は全部で3箇所用意されていますが、神社に一番近い駐車場です。
正月三箇日や大祭日などは利用できない日もありますが、普段は自由に利用できる無料駐車場です。駐車台数は20台ですから、第二駐車場や第三駐車場に比べると小さい駐車場ということになります。
石上神宮では結婚式の他にも、安産祈願、命名式(七夜の祝)、初宮詣で、七五三詣でなどの人生儀礼が執り行われています。神々しいオーラを解き放つ天理市布留町の石上神宮。まだの方は是非一度、お参りになられることをおすすめ致します。
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