9月末にオープンした明日香村の『四神の館』へ行って参りました。
実物大に再現された石室、精緻に描かれた四神画像、壁画の修復作業、さらには渡来人の歴史など見所満載の館内でした。四神の館へおでかけする前に、軽く予習しておかれることをおすすめします。
キトラ古墳の断面。
入口の傍にまるでUFOのような物体が展示されていました。
キトラ古墳は二段築成の円墳ですが、その墳丘の形が如実に再現されています。天井にはキトラ古墳を特徴付ける天文図が輝いています。もうこれだけで掴みはOKですね!
実物壁画の白虎、天文図、朱雀を鑑賞
四神の館では実物の壁画を鑑賞することができます。
年に四回の特別公開が予定されており、その時期に合わせて訪れてみるのも一つの手ですね。今回はオープン記念ということもあり、タイミングよく幻の四神壁画を堪能することができました。
こちらはレプリカの石室内。
館内入ってすぐ左手に展示されています。今にも剥がれ落ちそうな壁面がリアルに再現されていますね。真正面には北の守護神・玄武の姿が見られます。天井を見上げれば天文図、西壁には白虎を捉えることができます。東壁の青龍は・・・少し見づらいですね。青龍の赤い舌を確認することはできるのですが、それ以外はほとんどその姿を確認することはできませんでした。
第1駐車場近くのバス停「キトラ」。
キトラ古墳周辺地区の駐車場は二ヵ所あります。四神の館に近いのが第1駐車場なのですが、収容台数には限りがあります。乗用車20台、大型バス6台ということですので、週末などはすぐに埋まってしまいそうですね。第1駐車場から西側、史跡檜隅寺跡の近くに第2駐車場(乗用車42台)があります。あるいはオープン前の下見見学の際にも利用させてもらいましたが、明日香村近隣公園の駐車場でもいいかもしれません。ちなみに駐車料金はどちらも無料です。
キトラ古墳は国営飛鳥歴史公園の中に含まれています。
館内のシアタールームでも上映されていましたが、明日香村の歴史は「歴史的風土の保全」抜きには語れません。開発か保全か、この相反する二つの命題の中で揺れ動いてきたのです。歴史的風土の保全ばかりに目を向ければ生活が立ち行かなくなる。そこを上手く調整しながら歩んできた歴史が語られます。国会の場での ”閣議決定” も一つの大きなキーワードになっているものと思われます。国を挙げて飛鳥の地を守るため、様々な話し合いが行われてきたことを改めて知りました。
駐車場近くの案内によれば、壁画特別公開の受付はどうやら地階のようです。
道路を挟んで向こう側に見えているのが本館で、手前が別館です。
四神の館の本館と別館は、平田阿部山線の道路を挟んでお互いに繋がっています。
別館の入口付近。
別館には体験プログラムが楽しめる「体験学習室」や、お土産物屋を併設する休憩所がありました。
キトラ体験プログラムは土日祝日に開催されるようです。
有料ではありますが、海獣葡萄鏡づくり、富本銭づくり、勾玉づくり、ウッドバーニング体験等々が楽しめます。
本館地下1階へと続くトンネル。
ちょうどこの上が道路なんだろうと思われます。まるでタイムトンネルのように、日本史年表がイラスト入りで案内されていました。
本館のエントランスホール。
階段の下に壁画公開の受付所がありました。
基本的には事前申し込み制なのですが、当日でもアタックしてみる価値はあります。現に私は当日の飛び入りで見学することができました。たまたま運が良かっただけなのかもしれませんが、空き時間をスタッフの方にお伺いしてみたところ、意外にもたくさんの空きがありました。小一時間ほど壁画体験館をチェックしてからと思ったので、10時50分からの見学班を選びました。
キトラ古墳の壁画保存管理施設は階段を上がった1階部分にあります。
キトラ古墳壁画特別公開の入室証。
平成28年度第1回と記されていますが、今後は年4回の特別公開が予定されています。本物のキトラ古墳壁画を間近に見学できる、またとない機会です。
今回の特別公開では西壁の白虎、天文図、南壁の朱雀が展示されていました。
ガラス窓の向こう側ではありますが、本物の壁画を鑑賞することができます。キトラ古墳といえば、やはり西壁の白虎ではないでしょうか。玄武と並び、四神の中でもはっきりとその姿を確認することができます。その白虎の下方に獣頭人身の十二支像・戌が描かれているようなのですが、なかなか判別することができませんでした。
天文図の東には金箔の太陽、西には銀箔の月が表現されています。天の北極を中心にした円形の星図は見る者の心を揺さぶります。これだけ精緻な天文図を古代人が描いたのかと思うと、その文明の高さに驚かされます。
両翼を広げた南壁の朱雀も必見です。大画面に単独で描かれたものとしては国内現存最古の作例とされ、大変貴重な壁画です。
本物の壁画を見学する前に、まずはこの入室証を首から下げて展示スペースへと足を伸ばします。
エントランスホールに浮かび上がる朱雀。
右脚を後ろに蹴り出したような動きが表現されています。躍動感に満ちた朱雀ですね。
20分の1に縮尺されたキトラ古墳の断面。
館内に足を踏み入れると、最初に出迎えてくれるキトラ古墳の模型ですね。
キトラ古墳は丘の南斜面に造られた2段の丸い古墳です。この模型は、古墳を南北方向に切断した断面で、墳丘の中にどのように石室が造られているかが分かります。古墳断面の原寸大サイズは展示室の壁面で表現しています。
白く光っている部分が石室のようです。墓道も見事に表現されていますね。
四神の館(別館)の館内図。
展示は主に四つのゾーンに分かれています。
実物大の再現石室が展示される「キトラ古墳の概要」コーナー、巨大スクリーンで四神や天文図の赤外線画像が楽しめる「キトラ古墳壁画」コーナー、壁面の剥ぎ取り・修復作業が学べる「キトラ古墳 調査・研究のあゆみ」コーナー、そして最後に檜隅エリアに居住していたと言われる渡来人を紹介する「渡来文化と古代飛鳥」コーナーへと続きます。
断面模型から実物大石室を望みます。
南壁の閉塞石が開けられ、中の様子を伺うことができるようになっています。
リアルな石室内。
キトラ古墳は終末期古墳に当たりますので、古墳の規模は小さいことで知られます。一口に古墳時代と言っても、黎明期は巨大な前方後円墳が築かれた時代でした。桜井市の箸墓古墳なども巨大前方後円墳の部類に入ります。その点、高松塚古墳やキトラ古墳は小さいものです。狭い空間で四神を描いた絵師たちも大変だったことでしょう。
閉塞石の盗掘孔から難を逃れた朱雀
石室内の四神の姿は小さくてよく見えませんが、閉塞石に当たる南壁に描かれた朱雀の姿は間近に観ることができます。
右上部が盗掘のために欠けているのですが、奇跡的に朱雀の全身像が残されています。
その閉塞石の手前に体験コーナーが用意されていました。
凝灰岩と漆喰に触ってみよう。
キトラ古墳の石室は二上山から採取した凝灰岩で作られています。実際の石室には、さらにその上に漆喰が塗られているわけですが、古墳石室と同種類の肌触りを確認することができます。これぞまさしく、”壁画体験館” ですね。
手前のザラザラしているのが凝灰岩で、向こうのツルンとしているのが漆喰です。
漆喰を塗ることによって、繊細なタッチの壁画描写が可能になります。
石室から出土した歯も展示されていました。
いろいろな骨の形からはガッチリした体格の男性であることが、歯の状態や骨の状態からは熟年から初老であることが、また虫歯や欠けた歯からは歯の病気をもっていたことが読み解けます。特徴的なのは上アゴの右側犬歯の中央がへこんでいること。このへこみは、モノをくわえる習慣があったためできたようですが、何をくわえていたのかは、謎のままです。
キトラ古墳の被葬者は、どうやら歯の病気を患っていたようですね。キトラ古墳の被葬者に関しては、天武天皇の第一皇子であるとか、右大臣の阿倍御主人(あべのみうし)だとか諸説紛々としていて定かではありません。それにしても、犬歯の中央が凹むほどのモノをくわえる習慣があったと解説されていますが、一体何をくわえていたのでしょうか。
キトラ古墳の土層を剥ぎ取った実物標本が展示されています。
橿原市の「歴史に憩う歴史博物館」でも、似たような版築工法の土層が展示されていたことを思い出します。
キトラ古墳石室南壁に描かれた朱雀。
右側が欠けていますが、これが盗掘孔の跡です。
奇跡的に朱雀を残した閉塞石の盗掘孔。
棺を入れた後に石室をふさぐ閉塞石に、泥棒が入り込んだあとがありました。石を壊して孔をあけ、石室内に入り込んだのです。しかし偶然にも、その孔は石の内側に描かれた朱雀を避けてあけられていました。
左上には鎌倉時代の盗掘孔・・・と案内されていますが、その反対側に回り込んでみると、確かにそこには奇跡的に難を逃れた朱雀の姿がありました。
こちらです。
運良く助かっていますね。
泥棒さんも決して意図したわけではありません。現に高松塚古墳の朱雀は、盗掘によりその姿を確認することができません。通常は南壁が閉塞石になることから、朱雀の運命は盗掘孔の開け方に委ねられることになります。
鎌倉時代に盗掘の憂き目に遭った高松塚古墳は、南壁の漆喰が破壊され、残念ながらそこに描かれた図像は残っていません。
”閉塞石の下に見える密閉用の漆喰” と書かれていますね。
修復のために壁画が剥ぎ取られた後、石室は元の状態に戻されているようです。
四神の拡大赤外線画像
壁画体験館の中央には四面の映像スクリーンが用意されています。
真ん中に長方形に白く抜き取られた場所があり、ちょうどそこが棺の置かれた場所を表しています。四方には四神の精細画像がひっきりなしに流れ続けます。何倍にも拡大されてズームアップしていく様子を観ていると、ついその場に釘付けになってしまいます。
前方を観ているだけではもの足らず、右も左も後方も気になって、よせばいいのに視線を送ってしまいます(笑) 集中できていないことに気付かされ、まずは北壁に描かれた玄武に注目してみます。
蛇と亀がお互いに向き合っています。
キトラ古墳の四神壁画では、一番最初に発見されたのがこの玄武でした。漆喰に描かれた質感までもが伝わってくる映像ですね。
グ~ッと寄っていきます。
少し頭上が欠けているところも確認できます。絵師による筆のタッチまでもが露わになっていますね。
刻々と移り変わる映像の中で、今現在の倍率が表示されています。
四角い赤で囲われた部分にズームインしています。
こんなにリアルな四神を見学できるのも、この施設ならではではないでしょうか。
南壁朱雀の赤外線画像。
墨線なども明瞭に観察することができます。
北壁と南壁のスクリーンは割と幅が狭いのですが、東西のスクリーンはかなりワイドでした。
ご存知、西壁・白虎の拡大画像です。
これはまだ百倍には達しておらず、もっとズームアップしていきます。あまりにドアップになると何の画像だか分からなくなるので、とりあえずこの辺りで一枚撮っておきました(笑)
四神の白虎は色で表現するなら白、季節で言えば秋に当たります。「白秋」という言葉の成り立ちにも深く関わります。方角の西は、仏教的にはお浄土を想像させます。お葬式の際には黒と白の鯨幕が見られますが、あの黒と白も「北の黒と西の白」に由来しています。北の玄武は黒なのです。玄人(くろうと)の「玄」とも重なりますよね。
東の青龍は色で言えば青で、日の出の時間帯に重なります。青龍は四季の春に当たり、「青春」という言葉にもつながっていきます。
天文図の赤外線画像。
実物大の天井が映し出されます。
キトラ天文図の大きな特徴は、朱線で描かれた4つの大円です。その内の3つが同心円状に広がっており、内側から内規(ないき)、赤道、外規(がいき)を表しています。一つだけ北西にずれた円は黄道(こうどう)を示しているそうです。地平線に沈まない星の範囲を内規と言い、黄道とは太陽の軌道を意味しています。
キトラ天文図は現存する世界最古の本格的星図です。
350個以上の金箔を朱線でつないで、74個以上の星座が表現されています。観念的手法で略式に描かれた高松塚古墳の星宿図に対し、キトラ天文図は細部に至るまで図式的に描かれています。
修復されて公開中の天文図を拝見いたしましたが、気の遠くなるような剥ぎ取り作業の跡が見て取れます。四神像もそうですが、綿密に繋ぎ合わせた小片はまるで三次元パズルの世界です。地球儀を平面に置き換えて眺めているような、そんな錯覚に陥ります。端っこの方などは ”リアス式海岸” そのものです(笑)
スタンプコーナーもありました。
「朱夏」を表す朱雀ですね。
正午12時を指す朱雀は、真っ赤に燃える太陽の象徴でもあります。
四神にはそれぞれ地勢という要素もあって、南の朱雀の地勢は沼とされます。玄武の地勢が山、青龍の地勢は川、白虎の地勢は道なんだそうです。何となく京都や奈良の都の地理を想像してしまうのは私だけでしょうか。
スタンプシートが用意されていました。
自由に取り出して押印することができます。
石室の相欠きを再現する積み木
スタンプコーナーの近くに、興味深い積み木が展示されていました。
自由に動かすことが出来るようでしたので、石室の構造をふむふむと納得しながら確認してみました。ちなみに相欠き(あいがき)とは、接合する際に同じ形に欠き取られた箇所のことを言います。
キトラ古墳石室の相欠き。
見事に細工された継ぎ手が確認できますね。
ブロックを一つ取り外して上に置いてみました。
横はこんな感じになっています。
それをこんな風に繋ぎ合わせているみたいです。
へ~、これなら小さい子供でも容易に理解することができますね。
凝灰岩の切り石18枚を使って、巧みに石室が構成されている様子が分かります。高松塚古墳の石室にも凝灰岩の切り石が使用されていますが、その構成枚数は16枚とされます。
こちらは実際のキトラ古墳墳丘です。
特別公開の壁画を見学し終えた後、本館1階から古墳観賞広場へと移動しました。特別史跡のキトラ古墳ですが、二段築成の円墳であることがよく分かります。相欠きによって巧みに組み合わされた石室がこの中に安置されていたことを再確認します。
再び館内の案内へと戻ります。
スタンプコーナーの近くには、キトラ古墳と高松塚古墳の違いも紹介されていました。
キトラ古墳の白虎は北向きなのに対し、高松塚古墳の白虎は南向きのようです。南向きが一般的で、北向きに描かれるのは珍しいスタイルのようです。
高松塚古墳壁画の東西には、男子と女子の群像が4人ずつ計16人描かれています。キトラ古墳には獣頭人身の十二支神が東西南北に描かれていますから、これも大きな相違点ですね。天井に描かれた天文図も、キトラ古墳の方が各段に精緻なタッチで知られます。
どちらの古墳も特別史跡に指定されていますが、高松塚古墳壁画は国宝ですが、なぜかキトラ古墳壁画は国宝指定を受けていません。なぜなんでしょうね、その理由が知りたいところです。
獣頭人身の十二支像。
キトラ古墳壁画でも方位に合わせて3体ずつ配置されているそうですが、現在確認できているものは北壁中央の子像をはじめ、丑、寅、午、戌、亥の6体のみとされます。
調査研究の歩みと渡来人の暮らし
無事に壁画体験館がオープンしたわけですが、ここに辿り着くまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。
様々な方面の方々によるご尽力の賜物です。
四神の図像全てが揃う古墳壁画は、日本においてはキトラ古墳のみとされます。近隣住民の報せによって古墳の発見へとつながっていくことになるわけですが、ファイバースコープで玄武の姿を捉えた瞬間の関係者の笑顔が脳裏に焼き付きます。
ファイバースコープの管も展示されていました。
当時の映像が流れ、いかにセンセーショナルな発見であったかが伺えます。
石室内調査の前に行われた様々な対策が案内されています。
2002(平成14)年、墓道部の石室の手前までを詳しく調査。石室内の壁画の保存は温湿度などの変化に大きく影響されることから、どのようにすれば石室内環境を守りつつ、万全の体制で調査と保存ができるかを綿密に打合せし、仮設保護覆屋を設計しました。
かつてキトラ古墳の墳丘前にあった「仮設保護覆屋」の写真が掲示されていますね。2009年にキトラ古墳を訪れた時は、覆屋の他に何も見当たるものはなく、至って静かな場所でした。
それが今はどうでしょう。四神の館オープンと共に、一躍注目の観光スポットとなりました。
そのままでは崩れてしまう!
今にも剥がれ落ちそうな当時の白虎の写真が掲示されています。
”生クリームのようにもろくなっていた漆喰。酒粕のようにボロボロになっていた壁画”。
生クリームに酒粕とは、とても分かりやすい例えですよね(笑) 壁画保存に関わった経験がなくても、当時の壁画の状態が理解できます。高松塚古墳の二の舞にはなるまい、そんな強い決意が固められたことでしょう。カビや劣化を防ぐため、国を挙げて様々な検討が重ねられることになります。その結果、2004年8月から壁面の剥ぎ取り、修復に取り掛かることになりました。
2004年に行われた高精度撮影。
1,200枚の画像によるフォトマップが作成されました。まずは正確な記録作りが必要だったのでしょうね。
早急な取り外しと保存処置が必要なため、精緻なフォトマップを作成。デジタルカメラにより高精度な分割撮影をし、コンピュータ技術を駆使してそれらをつなぎ合わせ、記録画像を残しました。背面いちめんの写真は、その画像の一部です。
難航した南壁面の取り外し作業に使われたダイヤモンドワイヤー・ソー。
極彩色壁画の取り外しに失敗は許されません。最後に残った朱雀の取り外しに使われた電動糸鋸装置が展示されていました。
初めて目にする機械です。
近代技術も駆使して、なんとか朱雀の剥ぎ取りに成功した経緯が案内されていました。
玄武や白虎はヘラなどの手作業で剥ぎ取られましたが、朱雀は下地の漆喰ごと取り外されています。実際に作業に従事した方の心臓の鼓動が伝わってくるようなビデオ映像でした。
キトラ古墳とも関わりの深い渡来人のコーナーです。
稲作の様子などが模型で展示されています。
飛鳥エリアの古代建物遺構からは、L字型カマド、大壁建物、オンドルなどの朝鮮半島由来のものが多く見つかっています。東漢氏(やまとのあやうじ)、鞍作氏、平田氏、軽氏等々の渡来人たちが基盤を置いた飛鳥の地。日本最古の仏像として知られる飛鳥寺の釈迦如来坐像(飛鳥大仏)を造ったのも鞍作止利でしたよね。
かの五木寛之氏も、飛鳥寺近くの真神原の風景を朝鮮半島の面影と重ね合わせています。
渡来人の名前が記されていますね。
檜隅民使博徳(ひのくまのたみのつかいはかとこ)。
う~ん、何だか初めて聞く名前ですが、「日本書紀」によれば東漢氏配下の渡来人として伝わる人物のようです。
四神の館のシアタールーム。
順路に従って見学して参りましたが、このシアタールームが最後となります。
3本の映像がタイムスケジュールに沿って流れていました。「飛鳥の歴史的風土の保全」「発見!キトラ古墳」「渡来人がもたらした飛鳥文化」の三本立てです。今回は時間の関係上、一本だけの鑑賞になりました。
四神の館(本館)と、地下の別館へと続く階段。
四神の館でキトラ古墳を堪能したら、少し歩いて高取れんじの道方面へ足を向けてみるのもいいでしょう。時期が合えば、恒例の案山子や雛人形イベントが楽しめます。キトラ古墳は近鉄飛鳥駅よりも壺阪山駅の方が近いのです。飛鳥駅からは徒歩30分ほどかかりますが、壺阪山駅へは徒歩15分ほどでアクセスできます。
キトラ古墳周辺地区には四神の館の他にも、様々な体験スポットが用意されています。
展望台に上って畝傍山を望むのもいいでしょう、あるいは古墳観賞広場でキトラ古墳の墳丘を眺めて過ごすのもおすすめです。四神の広場では時折イベントも催されます。さらに西へ足を伸ばせば、キトラの田んぼ、農体験小屋、五穀の畑、体験工房、史跡檜隅寺跡、見晴らしの丘などが控えています。楽しみ方は色々です。さぁ、あなたも古代ロマンあふれるキトラ古墳へレッツゴー!
※キトラ古墳壁画は、2019年3月に晴れて国宝に指定されました。
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