精美な切石技法で魅せるエンドウ山古墳。
7世紀後半の後期古墳で、墳形は円墳のようです。南に開口する両袖式横穴式石室が、標高160m前後の尾根上にありました。
エンドウ山古墳の横穴式石室。
奥壁を背に開口部へ振り返ります。玉響(たまゆら)のような発光体が舞います。そんなに大きな石室ではないため、奥まで外の光が届いています。
花崗岩切石の横穴式石室!倉橋溜池周辺で最も新しい古墳
倉橋溜池周辺には、70基以上の後期古墳が存在しています。
溜池造成に伴い破壊されたものも多くある中で、とても綺麗な状態で残っています。場所が分かりにくい古墳ですが、行き方も含めてご案内致します。
エンドウ山1号墳の石室開口部。
丘陵の頂上付近で口を開けています。
直径10m前後の小ぢんまりした円墳です。石室の全長は4.67mで、玄室長2.72mを測ります。玄室は2段積みですが、羨道は1段積みのようです。
羨門の石は左右共に細長く、門柱状の石材が使われていました。
入口付近のこの石は、羨道の天井石でしょうか。
羨道の天井石は2枚で構成されていたようです。
古墳の規模が縮小化へ向かう7世紀後半の築造とみられ、高度な切石技法が目を引きます。1号墳の開口部から北へ上がると、2号墳の天井石と思しき石材が露出していました。エンドウ山古墳群では、1号墳と2号墳の二基の古墳を見学することができます。
石室インが可能なエンドウ山1号墳ですが、何はともあれ行き方がよく分かりません。ルート案内は古墳見学の最も大切なポイントですね。
エンドウ山古墳の行き方!柴垣の宮広場の駐車場からトンボ池広場へ
今回私は車でエンドウ山古墳へ向かいました。
奈良交通バスでアクセスする方法もありますが、やはりマイカーで行く人の方が多いでしょう。どこで車を駐車すればいいのか?まずは駐車場の問題がありますが、柴垣の宮広場の上手にある無料駐車場がおすすめです。
柴垣の宮広場。
この左上手に駐車場があります。桜の宮広場の駐車場から西へ歩いてもOKですが、柴垣の宮広場の方が近いです。倉橋溜池の周辺地図に寄ってみます。
現在地で示されるポイントに立ちます。
溜池の南側は車で通れる道ですが、北のルートは歩道です。柴垣の宮広場~野鳥の森広場~トンボ池広場と徒歩で辿ります。
野鳥の森広場の道標。
柴垣の宮広場から溜池の畔まで来ると、道案内が出ていました。ここから野鳥の森広場までは200mのようです。
溜池の外周を巡ります。
くねくねと続くウォーキングルートを歩いていると、近所の方と思しき面々に出会います。普段から健康を意識して歩かれているのでしょう。
程なくトンボ池広場に到着しました。
入り江の浅瀬を再現し、水深の浅いトンボ池を設けることで水生昆虫、水生植物などの生育の場を設けている。
トンボ池広場から溜池を望みます。
なるほど、入江になっていますね。
今度はトンボ池広場の案内板から背後へ振り返ります。
こんな感じ。
ここからやや中央右寄りに歩を進め、山の中へ入って行きます。山へ入るポイントはどこなのか?これがとても重要です。
ここです。
わずかに人が入ったような跡が残っていました。
ただ、非常に分かりづらいです。入口付近から山の中を覗き込むと、目の前の杉の木に赤いテープが巻かれていました!これが決め手になりましたが、季節によっては見つけづらいかもしれません。
入口付近から溜池方向を見ます。
このポイントから左へ入って行きます。
ここに道案内が付いていれば迷うことも無いのですが・・・
今度は、入口付近から反対方向を見ます。
右向こうに少し開けた場所が見えますね。多くの木が林立しており、エンドウ山古墳を探す際に一つの目印になるかもしれません。
ここです。
この場所を見つけたら、そのまま舗装路を右へ進みます。程なく左手に、先ほどの侵入ポイントが見えてきます。
山へ分け入ると、すぐ目の前に現れる赤いテープ。
古墳見学の先達が残して下さった目印です。
ありがたいですね。ここから先は、テープに誘導されながら登って行くことになります。左奥に丘陵が見えており、その頂上部にエンドウ山古墳があります。
延々と続く赤いテープ。
まるでヘンゼルとグレーテルのパン屑のよう(笑) 先へ先へと赤いテープが見えています。
修学旅行などで手渡された”旅のしおり”を思い出します。しおりとは「枝折り(しおり)」のことで、山深い場所で迷わないように枝を折って目印にしたことにちなみます。
目指すはあのこんもりとした丘の上!
この辺りまでは難なく登れましたが、丘の上へ辿り着くには一段高くなった場所を越えなくてはなりません。そう、一段グンと高くなった箇所があります。その段丘を越え、最後にもう一段上がった場所に横穴式石室が開口しています。
山の中へ入ると分かりますが、エンドウ山古墳のルートは一つだけではありません。あちこちに赤いテープが巻かれ、色んなルートが用意されています。一直線に急な坂を登るも良し、回り込んでやや緩やかなルートを選ぶのも良しです。
一段せり上がった場所を越え、さらにここを登らなければなりません。
聞いてはいましたが、なかなかの難所です。エイヤッと木の向こうへ出ると、ついにありました!
エンドウ山1号墳の横穴式石室です!
倉橋溜池の北西、トンボ池広場の北の尾根上に築かれています。開口部からさらに上へ登ることもでき、そこから少し北へ向かうと、2号墳の天井石が露出していました。
1号墳の開口部を見ると、羨門の細長い石材が特徴的です。
中を覗くと、そんなに深くない石室であることが分かります。
1号墳の開口部からさらに北へ進むと、石材が散乱していました。
ここにも赤いテープが巻かれていますね。
エンドウ山2号墳の石材なのでしょうか。
あまりにも無造作に露出しています。
下手の1号墳の方へ向き直ります。
エンドウ山古墳は本格的な発掘調査が行われていません。実施されたのは測量調査のみで、出土遺物や棺は依然として不明のままです。
2号墳から1号墳の開口部へと下りて来ました。
1号墳と2号墳はそんなに距離的にも離れていません。
綺麗な切石加工が施されています。
玄室や奥壁は2段構成です。石材の隙間には漆喰の跡が見られますね。
玄門付近も綺麗に区画されています。
玄室の天井石は2石で構成されていました。
薄葬令の影響なのでしょうか、小振りながらも綺麗な石室です。
大化の改新の一環としてすすめられた薄葬令。巨大な墳墓である前方後円墳が終焉を迎え、古墳時代の終わりを告げます。
ある意味、古墳の集大成の形がここにあるのかもしれません。
古墳時代の流れを感じることのできる穴場です。目地を埋める漆喰にも高度な技が光りますね。
玄室の高さは1.65mとされます。
石材の表面は実に滑らかです。
両袖式の横穴式石室。
羨道部へ向かって土砂の流入がありますが、比較的入りやすい石室です。
こんな小さな石もかませてありました。
大小様々な石を合わせ、全体で絶妙なバランスを取ります。
細長い羨門の石材が印象に残ります。
見学の容易な梶山古墳群に比べ、探検に近いスリルを味わえる古墳でもあります。
この丘陵を登り切った頂上部にあります。
木の幹や蔓につかまりながら、足元を滑らせないように注意が必要です。こうぜ古墳を見学した時も急坂に悩まされましたが、エンドウ山古墳もなかなかの難ルートです。
対岸からトンボ池広場を望みます。
入江の向こうの山中にエンドウ山古墳はあります。
古墳探訪のバイブル『桜井の横穴式石室を訪ねて』を見ると、エンドウ山古墳群の住所は桜井市大字倉橋字吉ヶ谷と案内されていました。
柴垣の宮広場へ戻ります。
倉橋溜池の南西隅にある柴垣の宮広場は、第32代崇峻天皇のお宮跡とされます。
宮内庁管轄の崇峻天皇陵はここから北西方向にあります。
さらに”真の崇峻天皇陵”ではないかと言われる赤坂天王山古墳も、倉橋溜池の北東方向に位置しています。
柴垣の宮広場の駐車場。
広場の東屋が下に見えていますね。エンドウ山古墳を見学する際は、ここに車を駐車するのがいいでしょう。トンボ池広場までは徒歩10分弱です。