長屋王家木簡にもその名がみえる竹野王。
長屋王の縁者ではないかとされる女性ですが、遠く稲渕のお寺に竹野王の名を刻む層塔がありました。大化の改新ゆかりの南淵請安を訪ねた稲渕地区。そこで日本最古の在銘石造層塔に出会えるとは思ってもみませんでした。
龍福寺境内の竹野王碑。
宝形の屋根に覆われ、歴史ある五重層塔が建ちます。
竹野王碑の近くには飛鳥川の飛び石もあり、鄙びた歴史散策にはおすすめの場所となっています。
義淵僧正創建の龍福寺!阿弥陀如来を祀る浄土宗のお寺
稲渕の集落にひっそりと佇む龍福寺。
天徳山の山号を持ち、開祖は義淵僧正とされます。明日香村の岡寺(龍蓋寺)を開いた人物ですね。義淵僧正の門下には、玄昉や行基といった高僧が続きます。「龍」と名の付く龍蓋寺、龍門寺、龍泉寺、龍象寺とともに五龍寺に名を連ねるお寺です。
竹野王碑。
元は五重層塔と思われますが、今はその姿を留めていません。漆喰のようなものが隙間に見られますね。ちょっとバランスが悪そうですが、そこにまた趣を感じます。
龍福寺。
急な坂を登った所にあります。石垣が眼前に迫り、なかなかの迫力です!
龍福寺と竹野王碑の案内板。
飛鳥川の上流稲渕は南淵漢人請安の居住した地と伝える。
竜福寺は浄土宗鎮西派の末寺で境内には、もとは五重層塔とみられる石塔があり、現在は下から三重目と四重目の軸部のみが残る。
屋根には下り棟の形の浅い造り出しがあり、屋根裏に傾斜をつけ、上の軸部に対し下の屋根の軸部受けの造り出しもあるなど、手の込んだ作品である。
初層軸部四面に「天平勝宝三年歳次辛卯四月二十四日丙子、従二位竹野王」と判読される文字が刻まれている。もしそれに誤りないとすれば、わが国に現存する在銘の層塔として最も古いものといえる。
竹野王については平城京出土の長屋王家木簡にもその名がみえ興味深い。
実はこの日、南淵請安の墓所を目指していました。
道に迷って龍福寺に辿り着いたというわけです。
お陰で面白いものを見させて頂きました。
龍福寺の裏手から降りて行く道。
龍福寺の山門。
長屋王邸から出土したという「竹野王」「竹野王子」の木簡。
孝謙朝の時代に、女性としては異例の従二位にまで昇り詰めた人物ですが、なぜその竹野王の名を刻む層塔が稲渕にあるのか。興味は尽きませんね。
龍が彫られています。
ところで五龍寺に名を連ねる龍泉寺とは、吉野洞川の龍泉寺なのでしょうか。
劣化が激しい竹野王碑。
目の前にある層塔が、日本最古の墓標なのかもしれません。
明日香村指定文化財の竹野王碑。
この塔は天平勝宝3年(751)竹野王の撰文になるもので、在銘石造層塔の中でその最古のものとして注目をあつめている。
層塔はもと五重石塔であったと考えられるが、現在は4層軸部以下が残っている。
上層の軸部の上端は方形の造り出しがあって、中央に円穴があけられているが何かここに納められていたものと想われる。
総高さ190cm 石質は流紋岩室凝灰岩で風化が著しく、初層軸部の四方に細字で銘文が刻まれているが難読である。
なんとか解読を試みた4面の文字ですが、解説文の最後に案内されています。
確かに途切れ途切れで、何を意味するものなのか判読不明です。昭和53年4月1日には明日香村の指定文化財に登録されています。
角度を変えて。
さすがに明日香村は歴史が深いですね。
稲渕の男綱からも程近い場所です。年頭の綱掛神事に出向く人も多いと思いますが、少し足を延ばせば見学自由の竹野王碑が待っています。