浄土真宗本願寺派の正定寺(しょうじょうじ)を訪ねました。
スズランの花咲く寺として知られます。
6月末の境内には紫陽花が咲き、周りには長閑な田園風景が広がっていました。
正定寺の鐘楼。
大晦日には除夜会が催され、午前零時に向けて除夜の鐘も撞かれるようです。
天然記念物のスズラン群落がある室生向渕(むこうぢ)地区。この日は国道165号線を室生方面へ走り、途中の元伊勢・篠畑神社にお参りし、そのまま県道28号線を北上しました。やがて右手に正定寺の本堂が見えて参ります。
親鸞聖人の母・吉光尼の讃仰碑
正定寺は浄土真宗のお寺です。
浄土真宗は本願寺派と大谷派に分かれますが、正定寺は「お西さん」の本願寺派に属しています。
浄土真宗の開祖・親鸞は35歳で流罪となります。
母の吉光尼(きっこうに)は世をはかなみ、侍女さつ女の案内により、さつ女の郷里・室生向渕に3年間隠れ住んだと伝わります。その間に剃髪して尼になったという親鸞の母。親鸞の幼少時に既に亡くなっていたという説もあるようですが、宇陀市八咫烏神社の近くには吉光塚も残されています。
室生向渕の正定寺。
県道を少し行き過ぎたようで、やまびこホール前の駐車スペースに車を停めました。そのまま徒歩で正定寺を目指します。山門の反対側から撮った写真ですが、道の両脇には田圃が広がり昔ながらの風情が残ります。
正定寺境内の紫陽花。
季節外れのため、すずらんの開花を見ることは出来ませんでした。
すずらんの見頃は5月中旬から下旬とのこと。この時期は法要と併せ、コーヒーの無料接待も行われます。すずらんTERAカフェと銘打つイベントで、正定寺の名物企画として知られています。
浄土真宗本願寺派の龍護山正定寺。
山門左手には立派な太鼓楼が建っていました。
本堂前の吉光尼公讃仰碑。
三年間の隠遁生活の後、榛原上井足(かみいだに)に移って四年、73歳で往生を遂げたと言い伝えられます。
浄土真宗のお寺は全国各地に数多くありますが、親鸞聖人の母ゆかりの地が、宇陀市室生向渕にあったとは今まで知る由もありませんでした。
石垣の上に塀が連なります。
正定寺の駐車場が矢印で案内されていますね。
ぐるりと回り込み、正面の山門に辿り着きます。
左手に建つ石碑・・・。
存覚上人開基と刻まれていました。
時は遡ること1347年(貞和4)、開基の存覚(ぞんかく)上人が伊賀から京都への帰り道に向渕を通ったそうです。近くの馬場の長者の懇願により向渕に逗留し、その翌年に正定寺を開基したと伝わります。
正定寺本堂。
御本尊は阿弥陀如来です。
右手前斜めに石畳の道が付いていますね。
おそらくその先にあるのは庫裏でしょう。
ご住職が実際にお住まいになられている場所だと思われます。
手水舎の意匠。
しっかりと横木を支えています。寺紋がデザインされていますね。
立派な本堂です。
正定寺では昔懐かしいレコードを持ち込んで聴く『音御堂』というイベントも開かれているようです。
ここ最近、デジタル音楽に慣れてしまった若者たちによる ”音源のリバイバル現象” が起こっています。レコードの「味のある音」はいいものです。青春時代に聴いたレコードが境内で蘇ります。歴史深いお寺の中に身を置き、自身のタイムトラベルも同時に楽しめる催しです(^^♪
法然・親鸞両聖人真影像の二尊堂&歴史を伝える古瓦
浄土宗の法然と浄土真宗の親鸞をお祀りする二尊堂。
本堂向かって左奥にあるお堂で、通称「お倉」と呼ばれています。先ごろ修復工事を終えたようで、まだ真新しいお堂に目を見張ります。
正定寺の二尊堂。
確かに蔵のような建物ですね。
正確な方位は分からないのですが、おそらく境内の北西に位置しているものと思われます。庶民の住む自宅でも、蔵は敷地の北西方向にあります。方位学や家相の観点から決まっているのか、「北西の蔵」は財が守られると聞いたことがあります。
二尊堂廊下の古材。
まだ工事の途中なのでしょうか、古びた材が無造作に置かれていました。
正月三箇日には二尊堂の法宝物が開帳されるようです。
本堂左手前の歌碑。
残念ながら何が刻まれているのか定かではありませんが、何やら歌のようなものが確認できました。
その周りには墓石が並び建ちます。
こうして見ると、結構緑の多い境内ですね。
塀に沿って祀られるお墓。
正定寺は室町時代に開かれていますが、1600年(慶長5)に火災で本堂が焼失しています。現在の本堂が再建されたのは1768年(明和5)とされます。
本堂外陣に展示される瓦。
おそらく屋根瓦でしょう、頑丈な囲いの中にディスプレイされていました。1600年の火災で焼け落ちた瓦なのかもしれませんね。
正定寺の歴史を物語る遺物。
そうとらえて間違いないでしょう。
階段の擬宝珠から本堂を見ます。
あらゆる願い事を叶えてくれる如意宝珠の形をした擬宝珠(ぎぼし)。神社仏閣のあちこちで見られるシンボリックな形ですね。
塀を背にする墓石。
周辺から寄せ集められた無縁仏を各寺で見かけますが、これもそうなのかもしれません。
「正定寺」と刻む瓦。
左上部が破損していますが、歴史を伝える貴重な瓦です。
本堂右手の渡り廊下。
庫裏と繋がっているのでしょうか、廊下の下には小さな池が見られます。
正定寺の掲示板。
みことばが案内されていますね。
「いただきます」食べる合図でなくいのちへの礼儀です
頭上に御膳を持ち上げて、文字通り「頂く」のが「いただきます」の語源だと教わったことがあります。食に殺生は付き物ですが、命への礼儀をわきまえる必要があります。お寺に来ると、いつも何かが改まります。
山号の「龍護山」と寺紋。
この家紋は西本願寺藤(にしほんがんじふじ)だと思われます。単純に下がり藤のようにも見えますが、蝶の触覚のようなデザインも見られます。
境外に咲くあじさいと太鼓楼。
正定寺の法宝物ですが、法然親鸞の連座像の他にも貴重なものが伝わっています。
京都・常楽台より賜ったという存覚上人御尊骨。
常楽台は京都市下京区にあるお寺で、常楽寺(じょうらくじ)の名で通ります。存覚上人を開基とする寺院ですが、常楽寺の親鸞坐像からは親鸞聖人の遺骨と見られる骨片が発見されています。存覚は本願寺三世覚如(かくにょ)の長男に当たります。
親鸞の系図に名を連ねる存覚ですが、その御遺骨が正定寺に伝わっていたんですね。
境内を囲う塀の片隅。
獅子なのでしょうか、存覚の仏門を阿形で見守ります。
正定寺を後にし、来た道を引き返します。
正定寺、向渕スズラン群落を抜け、県道28号線を北西へ進めば国道369号線に出ます。そこからさらに北上すると、針ICへアクセスします。途中には三陵墓古墳群や国津神社などの観光スポットが控えます。
日本の原風景が広がる標高400mの高地。
静かな集落の中にひっそりと佇む正定寺に、是非一度お参り下さい。