右近の橘に左近の桜。
平安京内裏での一般的な並び方ですよね。明日香村の橘寺などでも、右近橘・左近桜の並びですが、興福寺南円堂の場合は右近の橘に対し「左近の藤」となっています。藤?この辺りで藤といえば、春日大社の藤が有名です。そして、その藤にも増して人気なのが南円堂の藤なのです。
南円堂の藤と興福寺南円堂。
今回私が訪れたのは7月初旬だったため、残念ながら藤の花はもう終わっていました。その代わりに、青々とした葉が藤棚を覆い尽す光景に出会うことができました。
南都八景に数えられるノダフジ碑文
南円堂の藤は奈良八景(南都八景)の一つに数えられています。
南都八景とは東大寺・興福寺周辺に見られる美しい風景のことで、東大寺の鐘、春日野の鹿、南円堂の藤、猿沢池の月、佐保川の蛍、雲居坂の雨、轟橋の旅人、三笠山の雪を総称して言います。
藤の根元前に石碑が建立されていました。
文字が刻まれているのは分かるのですが、さすがに判読不能です(笑) 近くにあった解説文を以下に引用致します。
南円堂の藤の解説パネルがありました。
興福寺の南円堂の正面左(向かって右)に「左近の藤」と呼ばれるフジがある。その前に小さな石碑が立っており、このフジの由来について書いてある。その碑文には「(興福寺南円堂を建てた)藤原冬嗣が天平年間にこの場所に手ずから藤を植えたが、後世しばしば戦火を蒙り、わずかに余命を継いでいた。正保寛文年間(17世紀中葉)に水野石見守忠貞が山城の伏見から藤樹をもたらし、これに植え継いだ」という意味のことが書いてある。このフジは現在、根元が花崗岩の石柱の柵で囲まれている。茎の基部はとぐろを巻いたような姿で、かつては相当な大木であったことをうかがわせる。基部の大部分は腐朽し、比較的細い数本の茎が立ち、藤棚(広さ12×3m、高さ2.4m)に絡んでいるが、樹勢はあまり盛んではない。この「南円堂の藤」は「春日野の鹿」「猿沢池の月」「東大寺の鐘」などとともに奈良八景の一つに数えられている。
奈良を代表する風景の一つであることが案内されています。
「春日野の鹿」とは、要するに奈良公園の鹿のことですよね。「猿沢池の月」を愛でるには、中秋の名月に行われる采女祭がおすすめです。東大寺大仏殿の東方、鐘楼ヶ丘に足を伸ばせばスケールの大きな鐘楼「東大寺の鐘」を見ることができます。いずれも奈良を象徴する景色として知られますが、そんな中に「南円堂の藤」も名を連ねているんですね。
南円堂の藤の根元。
花崗岩の石柱柵で囲われています。解説にあるように、その根元はとぐろを巻いています。
樹勢が心配されるようですが、これからも途絶えることなく命を継いでいってもらいたいと思います。興福寺南円堂は西国観音霊場の札所でもありますから、普段から参拝客の往来が激しい場所です。頑丈な柵で囲って、木の命を守る必要があるのでしょうね。
毎年4月17日に行われる放生会で知られる一言観音堂。
南円堂の向かって右側にあるお堂です。
重要文化財に指定される興福寺南円堂。
弘仁4年(813)、藤原冬嗣が父・内麻呂の供養のために建立した八角堂です。国宝の不空羂索観音坐像が安置されることでも知られます。額に目を持つ異形仏で、宝冠には阿弥陀如来の化仏を付けています。
南円堂の手前、左右に見える藤棚が「南円堂の藤」です。
奈良地方気象台による札が掛けられていました。
「植物季節観測用標本 ノダフジ」と記されます。季節の進み具合を見る標本木にもなっているようですね。以前に浮見堂近くで百日紅の標本木を見ましたが、奈良公園界隈ではよくある光景なのでしょうか。
国内自生の藤はノダフジ系とヤマフジ系に分かれるようです。
ノダフジの名前は、古くから藤の名所として知られる大阪市福島区野田の地名に由来しています。
南円堂にお参りする参拝客。
興福寺にはもう一つ、南円堂の北側に北円堂があります。
北円堂も同じく八角円堂ですが、国宝に指定される建造物です。特別公開の時以外は、南円堂の方が賑わっているように思います。見た目的にも南円堂の方が華やかな雰囲気が感じられます。
藤の葉っぱ。
これで藤が満開に咲いてくれていればなぁ、と思った次第です。
南円堂の藤は4月下旬に見頃を迎えるようです。ゴールデンウイーク時期の春日大社砂ずりの藤と併せて楽しめるのではないでしょうか。
<南円堂の藤関連情報>