葛城市兵家にある平林古墳を訪れました。
道の駅かつらぎに駐車し、徒歩で平林古墳を目指しました。途中の太田エリアで不思議なレンガ壁を見学し、兵家の集落へと入って行きます。平林古墳は兵家地区の高台に築かれていました。6世紀後半の前方後円墳で、全長20.1mにも及ぶ長大な横穴式石室で知られます。
奈良県指定史跡の平林古墳。
開口部は閉ざされており、横穴式石室の中へ入ることは出来ません。両袖式のようで、柵越しに中を見学することは可能です。羨道の手前に前庭部を持つ構造で、県内では橿原市の丸山古墳に次ぐ第2位の規模を持つ石室です。
組合式家形石棺の底石が残存!兵家浄水場に隣接する古墳
埋葬施設は既に盗掘に遭っています。
そんな中、羨道部に追葬されたと見られる石棺が残っています。底石のみではありますが、石室内からは副葬品などの出土物も確認されました。須恵器や土師器をはじめ、農工具などの鉄製品、杏葉や鏡板などの金銅製馬具類も出土しています。中国製の画文帯四仏四獣鏡(がもんたいしぶつしじゅうきょう)を忠実に写し取った鏡も出土しており、大変貴重な資料とされます。
平林古墳の横穴式石室。
石棺の底石が羨道部に残ります。前庭部と区切るためなのでしょう、手前に石が置かれていました。石室には一辺150cmほどの花崗岩が使われているようです。
平林古墳の墳丘上。
墳丘に登ることができ、前方後円墳の形を実感します。幅の広い前方部で、前方部の方が後円部より高くなっていました。埋葬施設の横穴式石室は後円部にあり、南南東に開口しています。墳丘上には桜の木があり、花見シーズンは華やかになることでしょう。
前方部からは南阪奈道路を見下ろします。
葛城インターチェンジの出口を案内する看板が見えます。
固く閉ざされた開口部。
奈良盆地を挟んで東西に位置する桜井市と葛城市。石室インが可能な古墳が多い桜井市に比べ、やや規制のかかった感は否めません。
兵家の集落に辿り着き、坂道を上がります。
道行く人に平林古墳の場所を聞くと、突き当りを右に曲がって左へ折れるようです。
高台まで登って来ると、見事な風景が広がります!
大和三山を遠望するビュースポットですね。畝傍山や耳成山がはっきり見えています。右手前の杜は神明神社ではないでしょうか。途中で立ち寄ったのですが、古墳があることに気付きませんでした。どうやら神明神社裏山古墳という前方後円墳があるようです。
左へ折れるカーブです。
ヘアピンカーブですね。このまま真っ直ぐ行くと、右手にお目当ての平林古墳がありました。
平林古墳の道案内。
南阪奈道路沿いの棚機神社ですが、ここから400mの距離です。反対方向に下って行くと、近鉄磐城駅へアクセスするようです。
ヘアピンカーブの右手前にあった浄水場。
大きなタンクが目印です。実はこのタンク、兵家集落の下手からも見えています。おそらく山麓線の御所香芝線からも見えているのではないでしょうか。タンクの辺りに平林古墳があると覚えておくといいでしょう。
葛城市兵家浄水場。
稼働音がずっと鳴っていました。
平林古墳へ向かう道中にあった休憩用ベンチ。
東屋になっており、ちょっとした雨なら凌げそうです。
ありました!
これが平林古墳の墳丘です。
季節は春。
墳丘の緑も鮮やかで、色んな花が咲いていました。
史跡平林古墳の石標。
割とすんなり辿り着けました。綿弓塚や芝塚古墳からの道中には、多くの道案内が付いていました。「平林古墳」の道標も散見されます。ところが、道の駅かつらぎから向かうルートにはほとんどありません。ご近所の方に聞いておいて良かったと思った次第です。
コンクリートで補強された石室は、やや興ざめな印象もぬぐえません。
野放図ではありますが、ほぼそのまんまの状態で残されている桜井市や天理市の横穴式石室が貴重に思えます。保存方法に関しては専門家ではないので、大したことは言えないのですが・・・素人目線からは少し残念な気もします。
とは言え、こうやって最低限の見学は可能です。
玄室の奥壁も見えていますね。
神秘的な空間が広がります。
平成3年3月8日に奈良県史跡に指定されたようです。
幅の広い前方部が図示されています。
墳丘復元図と石室内の様子。
前庭部があるからか、随分長い横穴式石室です。
閉塞石も案内されています。
細かい石を寄せ集めていたんですね。
湿っぽい雰囲気は全くありません。
そう言う意味では、とても見学しやすい古墳です。少しの恐怖感を抱きながら、探検気分で見学する古墳ではありません。人の手が加わり、きちんと整備された古墳です。
見晴らしのいい場所にあり、ウォーキングついでに訪れてみるのもいいでしょう。
太田から兵家、竹内、當麻、染野、新在家へと続くエリアはどこも散策好きにはおすすめです。東には大和平野が開け、景色は抜群です。さらに高台となれば、最高の眺望が楽しめます。
平林古墳の墳丘登り口。
開口部から少し坂道を上がると、右手に石段がありました。坂道の先には墓地が見えていますね。
墳丘に上がり、開口部を見ます。
アザミが開花していました。
平林古墳の後円部。
後円部から北方の山手には金毘羅神社が見えました。
平林古墳も桜の名所と言えますが、金毘羅神社も穴場の花見スポットのようです。
次回は是非、桜の季節に訪れたいものです。
くびれ部から後円部へと向かいます。
これだけ綺麗な墳丘に登れるとは思ってもみませんでした。
後円部の高まり。
花が散った後の桜葉に穴が開いています。
後円部から見下ろす兵家浄水場。
人の営みの間近にある古代の古墳。奈良県内ではおなじみの光景です。
葛城市街地を遠望します。
かなり遠くまで見えていますね。
あの一際大きな屋根は、當麻スポーツセンターでしょうか。
平林古墳からも、はっきりとその建物を確認することができます。當麻スポーツセンターの近くには鍋塚古墳や塚畑古墳があるはずなのですが、さすがに視認することは出来ません。
後円部墳丘上から開口部を見下ろします。
先ほどの石標ですね。
墳丘上の黄色い花。
これは苦菜(ニガナ)でしょうか。花の名前って難しいですよね。近縁種も多く、素人にはなかなか特定することが出来ません。
前方部から見る墓地と南阪奈道路。
奈良県人にとっては関西空港へ向かう道です。海外旅行の行き帰りに通るルートですが、平林古墳がこんな近くにあったとは初めて知りました。
うん?これは葺石でしょうか。
前方部の墳丘表面に数多く見られました。
こんな感じです。
後円部には無かった特徴です。前方部と後円部の違いに気付き、後で調べてみました。やはり予想通り、築造時の葺石のようです。
あの橋の下を南阪奈道路が通っています。
南阪奈道路の向こうには、七夕ゆかりの棚機神社があります。
浄水場タンクに墓地、さらには平林古墳。
ツツジと平林古墳。
見えているのは前方部です。
古墳の周りも何かと絵になりますね。
前方部へと続く道。
古墳近くの電柱に、フシゴエという地名を見つけました。
どうやら漢字で書くと、伏越(ふしごえ)のようです。兵家にかつて存在していた集落で、現在はほぼ消滅してしまっているのだとか・・・
電柱の「フシゴエ」と「ヒョウゲ」。
アップダウンの激しい場所で、お年寄りには過ごしにくい地域なのかもしれません。その反面、足腰が鍛えられて健康維持には適しているようにも思えます。
世界でも類を見ないスピードで進む日本の高齢化。少子化問題も重なり、空き家問題に限界集落、消滅集落と暗いニュースが多い昨今です。高台から下界を見下ろし、平林古墳の被葬者は現代社会に何を想うのでしょうか。