奈良県立万葉文化館の庭に槻(つき)の木が植樹されています。
飛鳥寺西方遺跡の記事でもご案内しましたが、古代には神聖な木として崇められていた槻。にれ科の槻は、ケヤキの変種・けやきの古名であるとガイドされていますね。
ももえつきのき。
枝葉が繁茂する槻の姿を、「百枝槻(ももえつき)」と表現します。たくさんの枝が生える様子を百枝(ももえ)という言葉に託しているのでしょう。
万葉文化館に植えられている槻。
飛鳥寺の西方でも、槻の木の下で宴が催されていたと伝えられます。
樹に勢いがあることから、繁栄の象徴でもあったのでしょう。
明日香村のとんど準備!神聖な木の下で催す直会
槻(けやき)は清浄のシンボルでもあり、御神木として崇め奉られてきた歴史があります。
現代においてはお座敷宴会が人気ですが、万葉の時代に生きた人々にとっては槻の木の下が宴会の場所として重用されてきました。
宴会の起源は、神饌を皆で飲み食いする直会(なおらい)にあると言われます。
神様に捧げた物を頂くということは、取りも直さず神様の霊力を頂戴するということに他なりません。そんな宴の場所に、神聖な槻の木の下が選ばれたのも頷けるような気が致します。
飛鳥寺から真神原を南へ向かって歩いていると、村の人たちがとんどの準備をしておられました。
飛鳥散策に出かけたのは1月13日。お伺いしてみると、翌日の1月14日にとんどが行われるとのことでした。
明日香民俗資料館から道を挟んだお店の前に、亀形石造物の描かれた提灯が掛かっていました。
亀形石造物の謎も完全に解明されているわけではありません。
一説によれば、禊の場所として使われていたのではないかとも言われています。
禊といえば、槻の木の下にも同じような匂いを感じます。「穢れを忌む神聖な槻」は、斎槻(いつき、ゆつき)という古語にも表れています。万葉集にも、「長谷(はつせ)のゆつきが下にわが隠せる妻」「百(もも)足らずいつきが枝に瑞枝(みづえ)さす秋のもみち葉」などと出ています。
斎藤さんという苗字の由来には、神様が関係していると聞いたことがありますが、斎藤の「斎」の字には確かにそのような意味が込められています。「斎き(いつき)」という言葉は、心身を清めて神に仕え、神を祭ることを意味します。
精進潔斎して身を清め、一定期間のお勤めを終えた後に居直って酒を汲み交わす。
百枝槻の木の下は、宴会の場所取りに精を出す幹事さんたちでヒートアップしていたのではないでしょうか(笑)