太田古墳群の小山2号墳家形石棺

南阪奈道路近くの道の駅かつらぎ。

道の駅から棚機神社へ向かう途中、太田古墳群の石棺が保存されていました。

葛城市の太田古墳群ですが、約50基から成る古墳時代後期の古墳群として知られます。弥宮池(やみやいけ)支群、弥宮池南支群、弥宮池北支群、小山支群で構成されます。そのほとんどが円墳で、一部に小規模な前方後円墳も含んでいます。

小山2号墳家形石棺

小山2号墳家形石棺の奥棺棺身。

右手に見えているのは、奥棺の棺蓋です。

石棺は野晒し状態で、周りには草も繁茂していました。

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南阪奈道路沿いに移築保存!円墳に埋納された二つの組合式家形石棺

小山2号墳は直径30mの円墳です。

移築保存されている場所から北東50mの位置にあったようです。賑やかな『道の駅かつらぎ』からも程近く、ちょっと足を延ばせば見学することが出来ます。

小山2号墳家形石棺

小山2号墳の家形石棺。

すぐ横を南阪奈道路が通っています。私たち桜井市民にとっては、関西空港へ行く際に利用するルートですね。もちろん、見学するには南阪奈道路を下りなければなりません。近くに駐車場はありませんので、道の駅かつらぎに車を停めておきましょう。

棚機神社の帰り道

棚機神社からの帰り道。

眼下に見えているのが『道の駅かつらぎ』です。その手前辺りに小山2号墳の家形石棺が展示されています。

小山2号墳の家形石棺

前棺と奥棺の棺身。

横穴式石室には、前棺と奥棺の二つの棺が納められていたようです。

前棺には蓋も付いていますが、奥棺の方には棺身のみが剥き出しになっています。蓋付きの前棺は6世紀終わりのものです。棺身には強度を上げるためか、紐のようなものが巻かれていますね。

家形石棺は古墳時代後期に多く見られますが、蓋石の頂部が時代を経るにつれて広くなるのが特徴です。初期のものは細長い棒のような頂部ですが、小山2号墳の前棺は割と広くなっているのが分かります。

小山2号墳の家形石棺

奥棺の棺身。

横穴式石室はその性質上、追葬が可能です。

追葬とは時代を経て違う人を埋葬することを意味します。つまり、”追加埋葬” ですね。必然的に奥に納まる棺はより古いものになります。前棺が6世紀終わりに対し、奥棺はそれより前の6世紀前半に当たります。

小山2号墳の家形石棺

地面にへばり付くように置かれた石は、奥棺の蓋石でしょうか。

小山2号墳からは土師器、須恵器、ミニチュア鉄製農具、金片、鉄鏃、玉類、馬具、耳環等々が出土しているようです。

小山2号墳の家形石棺

前棺。

棺身の角には緩衝材も入っていますね。

小山2号墳家形石棺の解説

小山2号墳家形石棺の解説パネル。

これは北東約50mにあった直径30mの円墳の小山2号墳の横穴式石室に納められていたふたつの組合式家形石棺です。
よくみると、奥の石棺の蓋には丸い突起があります。奈良盆地の他の家形石棺にくらべてひときわはやく6世紀前半につくられたものです。前の石棺は、低く平らな蓋が特色で6世紀終わりにつくられました。なかからは薄い金片、銀製の玉、銀製耳飾り、小刀などが出土しました。
なお、西側の石棺はここから西北へ約150mの丘陵上にあった弥宮池(やみやいけ)南5号墳のものです。

※ここでは右手前に小山2号墳の前棺、右手奥に奥棺の棺身、左手前に奥棺の棺蓋を置いています。

小山2号墳の家形石棺

奥棺の棺蓋。

縄掛突起が見られます。

おそらく運搬の際には、ここに紐状のものを通したのでしょう。

太田古墳群の解説パネル

弥宮池1号墳と太田古墳群の解説パネル。

草むらに隠れてよく見えませんでした。

博物館や歴史資料館で石棺を間近に見ることはありますが、こんな交通量の多い場所で見学できるとは思ってもみませんでした。

小山2号墳の横穴式石室ですが、既に発見時には天井石が失われていたと言います。羨道を通って玄室に至る ”いわゆる探検気分” こそ味わえませんが、これもまた違った趣でいいと思います。

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