天理市柳本町にある柳本大塚古墳を訪れました。
JR柳本駅よりも、むしろ巻向駅に近いことに気付きます。上ツ道沿いにあり、前方部を南に向けていました。周囲には石名塚古墳やノベラ古墳があり、一つの古墳支群を形成しています。
柳本大塚古墳と三輪山。
墳丘の北から撮影しています。手前に見えている墳丘は後円部ということになるでしょう。
柳本大塚古墳で思い出すのが”残存木棺”ですね。
大神神社の一の鳥居奥に、大神教本院があります。
そこの額に使用されているのが、柳本大塚古墳の割竹形木棺なんです。ご興味のある方は、是非一度見学に訪れてみて下さい。
内行花文鏡出土!箸墓古墳を遠望する前方後円墳
柳本大塚古墳の墳形は前方後円墳です。
前方後円墳の中でも一種独特な形をしており、柄鏡式(えかがみしき)と称されます。前方部が特に細く、くびれ部幅と前方部の幅が変わらないものを指します。代表的な柄鏡式古墳としては、桜井茶臼山古墳が知られます。
南東方向から柳本大塚古墳を見ます。
墳丘上には木が生い茂り、墳形が分かりづらくなっていますね。左手前が前方部に当たります。
後円部から望む箸墓古墳。
くっきりと箸墓が見えますね。横から見る前方後円墳もいいものです。左側の後円部が盛り上がり、高低差が付いているのが分かります。
柳本大塚古墳の墳丘は民有地です。
今回は前方部脇で農作業中の方に許可を得ることが出来ました。墳丘見学の際は、周りへの配慮を忘れないようにしましょう。至る所に農作物が栽培されていますので、決して踏み荒らすことのないよう細心の注意が必要です。
前方部から後円部へ続く坂道。
柳本大塚古墳も前方部が低く、後円部が高くなっています。
この道は見学路ではなく、あくまでも農道であることを忘れてはいけません。
後円部から望む三輪山。
柳本大塚古墳の埋葬施設は竪穴式石室だったようです。
竪穴式石室に接した小石室からは内行花文鏡が出土しています。この内行花文鏡は遺体に副葬されたものではなく、葬送儀礼用に作られたものでしょう。無事に葬送儀礼を終えた後、小石室に埋葬された可能性が指摘されます。
山田農家組合の注意書き。
立札の奥に見えている墳丘は後円部です。
上ツ道沿いの池に沿って、北へ向かうと石名塚古墳にアクセスします。
ここからも石名塚古墳の墳丘が見えていますね。石名塚古墳の北西方向の隆起はノベラ古墳でしょうか。
南西方向には山の辺病院が見えます。
桜井市草川にある山の辺病院は、JRの線路西側に位置しています。
柳本大塚古墳の見学を終え、前方部の南へ出ます。そこから東へ伸びる一本の道がありました。かなり遠い距離ではありますが、遥か東方に鳥居が見えています。
景行天皇陵(渋谷向山古墳)。
どうやら鳥居の正体は景行天皇陵だったようです。ほぼ一直線でつながっていることに感動しました。
宮内庁管轄の御陵です。
立ち入りは固く禁じられています。つい先日、ヲカタ塚古墳から見下ろした景行天皇陵の風景は見事でした。全長300mの前方後円墳は日本有数の規模を誇ります。
景行天皇陵から望む三輪山。
大和のあちこちから見える三輪山。見る場所によって表情を変えるところも、見飽きない一因なのでしょう。
柳本大塚古墳の前方部。
この辺りで農作業中の方にお声掛けしました。
すぐ西をJR万葉まほろば線の線路が通っています。ひょっとすると電車の中からも確認できるのかもしれませんね。あるいは民家に邪魔されるかな?線路からの距離ではノベラ古墳が最も近く、石名塚古墳、柳本大塚古墳と続きます。