伊邪那岐と伊邪那美を祀る巨勢山口神社。
国道309号沿いの阿吽寺隣りに社号標が建っています。
この日、私は近鉄薬水駅を目指して車を走らせていました。その道中、右手車窓に「巨勢山口神社」の石標が目に入ります。後で行こうと心に決め、神社入口まで舞い戻って来ました。
巨勢山口神社の本殿。
一間社春日造で、屋根は銅板葺きです。境内の高所に祀られ、東向きに建っています。向かって左には小ぶりの境内社があり、右手前の低所には舞台のような建物がありました。
巨勢山の中腹に鎮座!急登の先に祀られる延喜式内社
巨勢山口神社は江戸時代に「高所大明神」と呼ばれていたようです。
国道沿いの社号標から坂道を上がると、右手に無料駐車場があります。
その手前の左側にも駐車スペースがあり、私はそこに車を停めました。そこからさらに坂道を登って行くと、やがて右手に登山口が見えてきます。そうなんです、巨勢山口神社にお参りするには“プチ登山”が必要となります。とは言え、本格的な登山ではありません。急な山道を上がっていくことになりますが、所要時間は15分程だったと思います。
急登の先に建つ石鳥居。
ここまで来れば、あともう少しです。
こちらが境内。
巨勢山の標高200m地点に鎮座しています。南を向く壁の無い建物は、巨勢山口神社の祭事に利用されるのでしょうか。拝殿のようでもあり、詰所のようでもある不思議な建物です。ちなみに巨勢山口神社の祭礼日は10月7日のよです。
山を背にする本殿。
現在でこそイザナギとイザナミを祭神としていますが、元来は大山祇命(オオヤマツミノミコト;山の神)だったと思われます。
巨勢山口神社は「大和国十四所(やまとのくにじゅうよんしょ)山口神社」に名を連ねます。二上山麓の當麻山口神社も14所山口神社の一社でしたね。山口神社は官社に指定された延喜式内社であり、官(朝廷、国)から幣帛を奉納されていました。祈年祭には幣帛と共に、馬一頭が奉られていたようです。山口神社の格式の高さがうかがえますね。
巨勢山口神社の社号標。
ここからカーブを描く坂道を登ります。
社号標の脇に、「碑の由来」と記す覚書がありました。
この碑は元葛村立葛尋常高等小学校・現葛中学校の校庭にありましたが、国道309号線の工事の完成に伴い、平成4年5月この地に移設しました。大倉姫神社は南東方向約200mの位置にあります。 平成14年3月吉日 古瀬自治会
大倉姫神社と書かれていますが、確かに巨勢山口神社の横面には「大倉姫神社」と陰刻されています。
後で訪れてみたのですが、JR吉野口駅近くの線路沿いに祀られていました。特に“瑞垣”などの囲いも無く、その由来や歴史が気になります。
坂道を登った所にある駐車スペース。
ここが駐車場だと思ったのですが、もう少し上手の右側に巨勢山口神社の駐車場がありました。
登山口へ向かい、どんどん歩を進めます。
この辺りの渓流を「古瀬沢」と言うんですね。しばらくすると、巨勢山の登山口に辿り着きました。
巨勢山口神社の由緒。
旧葛城國和州葛上郡古瀬邑巨勢山に鎮座
延喜式内大社で延喜式が制定されたのが西暦927年ですから、今より遡ること千年以上、さらにそれ以前少なくとも500年以前に御鎮座されたと仮定すれば、今より1,600年以上の昔よりお祀りされております。
延喜式には県内13社の山口神社の名があり、時の朝廷も山の神を尊崇され祈年祭(2月に穀物、特に稲の豊かな稔りを神に祈る)の幣帛の品数はあらぎぬ、木綿、麻等々、数が多く特に山口神社に関しては各馬一疋が加えられました。
登山口に杖が準備されています。
特に必要が無くても、真夏には “蜘蛛の巣除け” に重宝しますね。
巨勢氏 武内宿禰の男雄柄宿禰より出て本郡葛村巨勢に住し子孫巨勢氏を称す。其裔三輪高宮氏は南朝に属し忠勤をつくせり。其後、永正9年巨勢吉範亦巨勢山に城を築く。(南葛城郡史)
万葉集
巨勢山の つらつら椿つらつらに 見つつ偲ばな こせの春野を
猛暑日でしたが、山中は心なしか涼しく感じられます。
山を登って行く内に汗が噴き出してきましたが、他の季節であれば心地いい運動になるかもしれません。石段の付いている箇所もあり、自然のままの坂道もあります。荒々しく木の根っこが地表に出て、その隆起した根が階段代わりになります。
木漏れ日がまぶしいですね。
不規則に並ぶ石段。
大雨が降れば崖崩れが起こりそうな場所です。
登山口から10分余り歩いたでしょうか。
ようやく一息つける鳥居です。鳥居を見ると、あともう少しと元気がもらえますね。
鳥居の柱に「奉祝」「戦勝」と刻みます。
奈良県内の古い神社を訪ねると、よく日露戦争の記念碑に出会います。「征露」という言葉もそこで覚えましたが、この“戦勝”の意味するところは何なのでしょうか。
石燈籠や狛犬を配し、一段高い所に祀られる本殿。
その斜向かい、低所に建つ建物。
世話役の方々が日常的に利用なさっているのかもしれません。高齢になれば、そう頻繁に登って来れる場所でもありません。巨勢山口神社の参拝は、散歩がてらでは済まされません(;^_^A
波打つ注連縄に紙垂が下り、神域に結界が張られます。
創建年代は不明ですが、棟札には寛永5年(1638)の銘があるようです。
登山口の由緒書には、1,600年以上前から祀られているとあります。
延喜式神名帳は平安時代のものですから、少なくともその頃にはあったはずです。当初は山頂に鎮座していたようですが、中世にこの地に遷したと伝わります。
本殿左横の境内社。
一回りも二回りも小さな社殿が祀られていました。
瑞垣内から鳥居に向き直ります。
境内はそう広くありませんが、やはり高所に祀られているのがポイントですね。
本殿を守る狛犬。
背面から見る、ぺちゃっとした尾が可愛いです。
登山口の前には展望台があります。
谷間の向こうに見える寺社建築の瓦屋根。
ちょうどあの辺りは、権現堂古墳のある場所でしょう。
来た道を引き返します。
左手のスペースが、巨勢山口神社の駐車場です。
社号標の近くまで下りて来ると、睡蓮の池がありました。
水面にたくさん浮かんでいますね。
国道沿いの周辺地図。
水泥古墳や八幡神社もすぐ近くなんですね。
巨勢山口神社は巨勢谷の歴史を知り尽くす神社です。万葉集にも詠われた故地で、古来より脈々と受け継がれる胎動があります。じっと止まっているように見えて、巨勢の地には芽生えのチカラが漲っていました。