巨勢の道めぐりで阿吽寺(あうんじ)を訪れました。
椿の名所として知られる玉椿山阿吽寺。
阿吽法師を開基とし、木造十一面観世音菩薩立像を御本尊と仰ぎます。長きに渡り荒廃していたお寺で、今は昭和60年に再建された本堂が出迎えてくれます。
阿吽寺本堂。
向かって右横に再建記念碑が建立されていました。目立った建物は他になく、本堂前にはベンチが並び、すぐ東側を国道309号線とJR和歌山線、近鉄吉野線の線路が走ります。かつては紀州方面へと続く交通の要衝であった場所です。往時の繁栄を思えば少し寂しいような気もしますが、巨勢寺跡と併せてお参りされてみてはいかがでしょうか。
犬養孝揮毫の万葉歌碑
阿吽寺の見所は、何と言っても境内の万葉歌碑です。
万葉時代に造詣の深い犬養孝先生揮毫による万葉歌碑を見ることができます。明日香村の石舞台古墳近くにある犬養孝万葉記念館。つい先日、訪れたばかりだったので余計に思い入れがあります。
犬養孝揮毫の万葉歌碑。
「巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を」
坂門人足(さかとのひとたり)が謳った万葉歌が本堂右横に刻まれていました。
実はこの万葉歌、ソプラノ歌手の歌枕直美さんのCDにも収録されています。”つらつら椿 つらつらに” と小気味よく韻を踏んだ明るい調子の歌で、すっかりそのメロディが耳に定着してしまいました(笑) 漢字で書けば、「列列椿」と表記するようですね。
これが椿の葉でしょうか。
今回私が訪れたのは初夏の6月ということで、残念ながら椿は開花していませんでした。椿の見頃は3月上旬~4月上旬とのことです。その頃に合わせて、またお参りしてみようと思います。
国道309号線沿いの阿吽寺駐車場。
道路に沿った横長の駐車場が整備されていました。ここは御所市古瀬361番地に当たるようです。
阿吽寺の周辺地図。
最寄駅は近鉄・JR吉野口駅です。
吉野口駅から北西方向に位置し、近くには本地の巨勢寺跡があります。正福寺というお寺も案内されていますが、正福寺の仏像を迎えて今あるのが阿吽寺です。
阿吽寺山門。
質素な造りの山門前にも、名物の椿が植えられていました。
玉椿山阿吽寺。
山号の読み方は「玉椿山(ぎょくちんさん)」のようです。
山門を入った所に阿吽寺の案内板がありました。
このあたり一帯は、万葉に歌われた巨勢山である。平安時代に巨勢川が氾濫して、里民が避難に窮したとき、阿吽法師なるものが来て、これを救済したので人民は、法師を崇めて玉椿精舎に請住せしめたという。
玉椿精舎とは、巨勢寺のことでこれから阿吽寺の名が起こり、巨勢寺の一子院となったものと考えられる。
貞治元年火災で全焼し、以来荒廃して260年、江戸時代初期に再建されている。その後も衰退を重ね、無住となる。明治13年有志図って仮堂を建て正福寺にあづけられていた仏像を迎えて、さらに昭和60年4月に再建されたのが現在の阿吽寺である。
案内板の前には石仏が並んでいました。
おそらく散らばっていた地蔵石仏がここに集められたのでしょう。
「玉椿山」の山号標。
いよいよ阿吽寺の中心エリアへと足を踏み入れます。
おっとその前に、右手に朱色の鳥居が建っていました。
阿吽寺の鎮守社のようです。
とりあえず鎮守社参りは後にして、本堂前へと進み出ます。
こちらが阿吽寺の本堂ですね。
向拝の付いた立派な建物です。右手に見えるのは棕櫚(シュロ)でしょうか。
高台の本堂前から東方を望みます。
すぐ真下を国道が走り、水田を挟んでその向こう側にはJRの線路が見えます。
本堂前にはベンチが置かれていました。
最寄りの駅名が示すように、ここは吉野の玄関口に当たります。
平安時代に巨勢川(曽我川)が氾濫し、人々が困り果てていた時に阿吽法師が現れて救いの手を差し伸べたと云います。人々は法師を崇め、巨勢寺の一坊に寺を構えさせました。それが今の阿吽寺です。
一方、阿吽寺の本寺に当たる巨勢寺は聖徳太子のお寺です。
巨勢寺はかなり大規模な寺院だったと推測されますが、今は礎石や瓦跡が残るのみとなっています。
本堂斜め前にひっそりと祀られていました。
これはひょっとすると阿吽法師? 残念ながら真相を確かめる術はありませんでした。
団体参拝者様へのお願い。
当阿吽寺は、盗難防止のため平素は閉門しておりますが、事前に参拝のご依頼があれば、係の者が開門してお待ちしております。その際、拝観料として左記の通り料金を申し受けます。
記
一 30名様以下 5,000円
一 31名様以上 7,000円
尚、書院も併せて利用される場合は、人数にかかわらず2,000円増しで申し受けます。 以上
古瀬自治会長 阿吽寺委員長
ちなみに個人で拝観する場合ですが、境内は自由に拝観できますが、本堂内を拝観するには御所市観光協会に事前に連絡を入れる必要があるようです。
本堂前の賽銭箱。
寺紋ですね。葵紋でしょうか・・形から察するに「右離れ立ち葵」?
今回は時間の制限もあり、巨勢寺跡まで足を延ばすことができませんでした。
法起寺式の伽藍配置が確認され、講堂跡や回廊跡、瓦窯跡なども検出されている巨勢寺。是非訪れてみたいかつての大寺院です。古代豪族巨勢氏の氏寺として栄えたこの地には、水泥古墳や新宮山古墳などの横穴式石室も開口しています。散策ついでに見学してみるのもいいでしょう。
帰り際に、朱色の鳥居をくぐってお参りして来ました。
急な石段を登り、上方に鎮まる鎮守社にも手を合わせます。
鎮守社の春永大明神には、祠が二つ祀られていました。
向かって左側が春永大明神、右側は金毘羅大権現のようです。
春永大明神とはお稲荷さんのことでしょうか。
稲荷社のシンボル・狐が祀られていました。
やっぱりお稲荷さんですね。
春永大明神にお参りした後、石段を下って帰路に就きます。
今回私は川合八幡神社から車で阿吽寺に向かいましたが、徒歩でも約20分でアクセス可能です。さらに阿吽寺から巨勢寺跡までの距離はおよそ400mです。5分ほど歩けば到着できるものと思われます。