慶運寺裏古墳を見学

桜井市箸中にある慶運寺裏古墳を見学して参りました。

場所はホケノ山古墳のすぐ近くです。

箸墓古墳の後円部から檜原神社方向に取り、かまぼこ型踏切を越えて国津神社を左手に見ながら東進します。しばらくすると、ホケノ山古墳の案内板が見えてきます。そこを通り過ぎ、もう少し進んだ辺りに慶運寺があります。

慶運寺裏古墳の横穴式石室

慶運寺裏古墳の横穴式石室

玄室の奥壁を背に、開口部を撮影しています。

スポンサードリンク

古墳時代後期の横穴式石室

慶運寺裏古墳の石室は、乱石積の両袖式横穴式石室です。

開口部付近はちょうど玄門部に当たり、羨道はかなり削られているようでした。天井付近にはぽっかりと空いた隙間も見られます。

慶運寺裏古墳の石室開口部

慶運寺裏古墳の開口部。

南に開口しており、開口部のすぐ前方に本堂裏手が迫ります。

開口部へは石段が組まれ、その両脇に大小さまざまな石が見られます。ひょっとすると、これらが羨道の残欠石なのでしょうか。

三輪山慶運寺

三輪山慶運寺の山門。

浄土宗のお寺で、御本尊は阿弥陀如来のようです。

慶運寺近くの石標

慶運寺の手前にあった石標。

上部に方形の火袋がありますね。

金比羅大権現・天照皇太神宮

嘉永元申年

金比羅大権現 天照皇太神宮

十二月吉日云々・・・と刻まれます。

嘉永(かえい)は日本の元号で、1848年から1855年までの時代を指します。嘉永の代に黒船来航があったことを思えば、その歴史が偲ばれます。

慶運寺の墓石

山門前の墓石群。

ピラミッド状にそそり立っていました。

山門をくぐると真正面に本堂があり、その左横の細い道を伝って行くことになります。

本堂前には、阿蘇ピンク石の石棺仏も祀られています。慶運寺周辺には6基前後の古墳があったようで、その中の一つのものと思われる刳り抜き式石棺です。見事な石棺仏ですので、是非ご覧になって下さい。

慶運寺本堂横の道

ここを進みます。

本堂裏の墓地へと続く坂道ですが、傾斜のある坂道ではなく、その右手の細い脇道を辿ります。

本堂に沿う、少し落ち込んだルートです。「本堂裏」と聞いていたので、私も最初は間違いました。本堂裏手に回り、あちこち探してみたのですが石室を見つけることが出来ませんでした。

本堂裏の横穴式石室

坂道から右手下の石室を撮影。

坂道を上がってはいけないわけですね。

慶運寺裏古墳の案内板

慶運寺裏古墳の案内板。

かなり古くなり判別不能です。

慶運寺裏古墳の横穴式石室

開口部。

現存は全長3mの石室です。

玄室の奥壁まで見えていますね。

慶運寺裏古墳の横穴式石室

開口部から中を覗いてみます。

天井へ向けて傾斜の付く「持ち送り」が確認できました。

慶運寺裏古墳

高さは2mほどです。

様々な石が組み合わされ、石室内のバランスが保たれます。

築造年代は6世紀後半で、墳形は円墳ではないかと推測されています。

慶運寺裏古墳の横穴式石室

それにしても入りやすい石室です。

恐怖感は全くありません。

蛇にコウモリ、カマドウマといった横穴式石室ではおなじみの生物が見られません。これも立地の為せる業ですね。

慶運寺裏古墳

慶運寺の所在地である箸中には数多くの古墳が存在します。

その最たるものは巨大前方後円墳の箸墓古墳でしょう。

箸墓古墳は陵墓に指定されているため、立ち入ることのできない古墳です。2013年には立ち入り調査も実施されましたが、基本的には一般人の立ち入りが禁止されています。その点、慶運寺裏古墳のような古墳は親しみを感じます。

慶運寺裏古墳

一段高い所に開口しています。

ここは山の辺の道から西へ外れた場所で、訪れる人も少ないでしょう。

茅原大墓古墳

茅原大墓古墳とひまわり。

慶運寺裏古墳の帰り道に、茅原大墓古墳の墳丘を眺めます。

この後、茅原の集落を抜けて、富士厳島神社、弁天社古墳、神御前神社と辿って帰路に就きました。