田原本町にある唐古・鍵遺跡の花見見物に出かけて参りました。
今年の桜は早い!既に見頃を外しており、残念ながらほぼ葉桜の状態でした。唐古・鍵遺跡は史跡公園のオープンを控え、注目の集まるスポットです。訪れた日こそ静寂に包まれていましたが、近い内に賑やかなレジャースポットとなることでしょう。
唐古・鍵遺跡の復元楼閣と桜の風景。
唐古池の南西隅に建つ復元楼閣・・・唐古・鍵遺跡から出土した楼閣絵画土器を元に、見事に復元されています。唐古・鍵遺跡のシンボルとして、国道24号線からも望むことができます。
唐古池の発掘&弥生人の顔
弥生時代を代表する集落遺跡。
国史跡に指定される唐古・鍵遺跡は、居住域の周囲に幾重にも大溝を巡らせた環濠集落です。環濠を含めた大きさは42haに及び、日本最大級とも言われます。
唐古池の周囲に、連続して桜が植えられていました。
池の水面にも桜の木が映っていますね。対岸から望めば、「逆さ復元楼閣」も確認することができます。
唐古池の北東隅。
ここから真東へと散策路が続いていました。
遠く東方を望めば、しきのみち・はせがわ展望公園のながめの丘展望台が見えます。その向こうには龍王山がそびえ、ここが大和国中(やまとくんなか)であることをうかがわせます。
桜並木の間を通り抜け、唐古池の北西隅へと出ます。
『唐古池の発掘』と題する解説パネル。
唐古池の北西隅辺りに案内されていました。
唐古・鍵遺跡は古くから知られた遺跡である。昭和のはじめには、唐古の飯田松治郎・恒男親子や桜井市大泉の森本六爾らが、唐古池周辺で採集した遺物を学界に紹介している。昭和11年、国道24号線敷設工事に伴い、唐古池の土砂が採取された。これにあわせて末永雅雄博士らが発掘を行い、調査では大量の土器や石器、木製農具などが出土した。この成果によって弥生時代の文化が総合的に認識され、農耕の時代であることを位置づけた。さらに、このときに出土した土器を分類し、その変遷から時代のものさしとなる編年を確立したことも大きな成果であった。
弥生時代は稲作を中心とした農耕の時代です。
米を貯蔵するようになり、貧富の差が生まれた時代とされます。一つ前の縄文時代は皆平等で、争いが無かったと言います。イメージ的には、狩猟生活の縄文時代の方が闘争に縁があったように思うのですが、実は反対だったようです。
葉桜もまたいいものですね。
もうすぐ若葉みなぎる深緑の季節です。ここ唐古・鍵遺跡でも、季節は確実に移ろいゆきます。
復元された弥生人の顔。
唐古池の堤防改修に伴い、木棺墓が出土したようです。埋葬されていた被葬者の頭骨から、渡来系弥生人の顔立ちが浮かび上がりました。現代人と比べてみても、さほどの違いは認められません。やや猿っぽい感じはしますが、現代でもこういう顔立ちの人はいらっしゃいますよね。
『唐古・鍵ムラの弥生人』の解説文。
昭和60年12月、唐古池の東側堤防の改修に伴い唐古・鍵遺跡第23次発掘調査が行われた。この調査において、弥生時代前期の木棺墓2基が検出された。この木棺は、放射性炭素年代測定法から約2,100年前と測定された。埋葬されていた人骨は、分析の結果、1号墓が20代後半~30代前半で160cm以上の男性、2号墓が20代前半の男性と推定されている。また、頭骨の左半分が残存していた1号墓の人物は渡来系弥生人の特徴が強く、復顔でよみがえった顔は細面の現代風の顔立ちであった。
弥生人も背丈は160cmあったんですね。
唐古・鍵遺跡のある田原本町は、奈良盆地の中央低地部に位置しています。
田原本町西部には曽我川や飛鳥川が流れ、中央部を寺川、そして東部には大和川(初瀬川)がそれぞれ北流しています。やがて一つとなって大阪湾へ流れ込んでいるわけですが、水の豊かな土地柄ゆえ、穀倉地帯として栄えてきた歴史がうかがえます。
春を謳歌する菜の花や蓮華
桜のみならず、菜の花や蓮華も咲いていました。
桜と菜の花はお花見スポットでは定番の組合せですが、さらに可憐なレンゲの花も楽しむことができます。主に菜の花は唐古池の西側、蓮華はその東側に開花していました。
菜の花と復元楼閣。
生憎この日は曇天模様でしたが、黄色い菜の花が元気付けてくれます。
唐古池の外側から撮影。
唐古池の大きさですが、東西100m・南北200mのほぼ長方形です。短時間で周囲を巡ることができますので、どうぞ歩いてみて下さい。
池の西側に用意された無料駐車場に車を停め、復元楼閣の方を目指します。
行く手に、史跡公園整備中の看板が立っていました。
こちらは復元楼閣の案内板ですね。
実際にこの場所で、遺跡のことを学習するには限界があります。唐古・鍵遺跡にご興味をお持ちの方は、近くの唐古・鍵考古学ミュージアムを訪れてみましょう。瓜二つの楼閣模型も展示されており、より詳細に学ぶことができます。
蕨手(わらびて)を思わせるくるっと丸まったデザイン。
目を見張る意匠です。
シロツメクサでしょうか。
唐古池の南西方向にかけて、かなり広い公園が整備されていました。
うん?
これはまた何でしょうか。不思議な八角形(笑)
※後で判明しましたが、これは戦時中の高角砲台跡(こうかくほうだいあと)なんだそうです。
わずかに残った花びらを見つけるのにも一苦労でした。
しかしながら、散りゆく桜にこそ ”桜の桜たる所以” を感じます。水面に浮かぶ花筏も見所の一つです。
唐古池の東側に伸びる並木道。
満開であれば、さぞ美しかったでしょう。道の上に散る桜絨毯もこの時期ならではですね。
なんとか散らずに踏ん張っていました。
ここは桜並木からさらに東側ですが、この辺りから望む東方の山並みもおすすめです。
右手奥には三輪山が見えていますね。
遊歩道の向こう側に、見事な蓮華畑が広がっています!
レンゲの花。
今年初めての蓮華畑です。4月中旬でしたが、もうこの時期から蓮華が開花しているんですね。桜の人気には遠く及びませんが、こうやって近くで見てみると、実に可憐で美しい花です。
桜並木の下にベンチが置かれていました。
ここで弁当を広げてみるのもいいでしょう。
史跡公園のオープンが待ち遠しいですね。
唐古池の西から南、さらには東側にかけて広大な公園が誕生します。
馬見丘陵公園や新沢千塚古墳群公園など、奈良県内各地ですすめられる公園整備事業。
桜井市民としては、纏向遺跡の公園整備が最も待ち遠しいのですが、唐古・鍵遺跡史跡公園のオープンが先になりそうです。
唐古・鍵遺跡で花見を楽しむ。
これからの春の楽しみになりそうですね。