矢部観音堂の十一面観音菩薩

田原本町矢部に平安時代の仏像が祀られています。

秦楽寺から矢部の杵都岐神社に辿り着くと、拝殿前のお堂が改修工事の真っ只中でした。お目当ての矢部観音堂が工事中とは少し残念な気もしましたが、簡単にレポートしておきます。

矢部観音堂

修理中の矢部観音堂。

今は廃寺となっていますが、かつての”真言宗観音寺”のお堂を継承しています。藤棚の奥の建物が観音堂で、その右隣りは毘沙門堂です。

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楠の一木造り!平安時代の本尊・十一面観音

田原本町には「田原本御佛三十三ヵ所巡礼」があり、その第二十五番札所が矢部観音堂です。

全国的に有名な仏像ではありませんが、こうして地域で守り伝える仏像にも味があります。

安楽寺の絹本著色融通念仏縁起図
田原本町矢部の安楽寺を訪れました。 安楽寺は融通念仏宗のお寺で、宗祖・良忍上人の行状や念仏功徳の霊験譚を描いた縁起絵で知られます。今回私は、矢部観音堂を目指して矢部の集落へ入りました。 矢部の安楽寺。 矢部観音堂の...

矢部観音堂に次ぐ第二十六番は、安楽寺のご本尊・阿弥陀如来坐像のようです。

杵都岐神社

杵都岐神社拝殿。

矢部観音堂は拝殿の右手前にありました。

矢部観音堂の由緒

矢部観音堂由緒。

かつての観音寺のお堂を残し、今に伝わります。

平安時代に十一面観音菩薩が造像され、明治7年(1874)の廃寺に至るまでの経緯が記されています。左手に水瓶を持つ観音様で、ほぼ等身大の仏像のようです。

田原本御佛三十三ヵ所巡礼 第二十五番 矢部観音堂
本尊 十一面観音菩薩立像 平安時代 像高168.4cm
毘沙門堂 毘沙門天立像 江戸時代後期 像高41.0cm

矢部観音堂は、明治7年(1874)に廃寺になった元真言宗観音寺を観音堂・毘沙門堂が継承するもので、江戸時代は観音霊場で「大和国三十三ヵ所第9番札所」で東隣に十一面観音菩薩立像の眷族の毘沙門天立像を祀る毘沙門堂がある。

矢部観音堂の歴史

平安時代11世紀後半 十一面観音菩薩立像 造仏
大永3年(1523) 十一面観音菩薩立像 修理
延宝9年(1681) 鰐口に「和州十市郡矢部村観音寺巡礼供養同行十一人延宝九年辛酉八月吉日」と刻む。
江戸時代後期 毘沙門天立像 造像
明治7年(1874) 廃寺

十一面観音の写真横には御詠歌が案内されていますね。

ただたのめ ほのほがきえて たちまちに いけとなるちは ふかくちかよる

毘沙門堂

毘沙門堂。

十一面観音の眷族である毘沙門天立像を祀ります。矢部観音堂より一回り小さいお堂です。

工事中の矢部観音堂

リフォーム工事中の矢部観音堂。

迫り出す向拝部分でしょうか。新たな材が取り付けられています。

矢部観音堂の十一面観音

十一面観音のカラー写真と解説。

腰をくねらせる毘沙門天は邪鬼を踏み付けています。

頭部・体部(頭上面除き)は楠の一木造りで、後頭部及び、体部の肩から地付まで内刳りの上、別材をあてる。手は両肩、左手臂、両手首で剥ぎ、両足先を剥ぎ付ける。

矢部観音堂

神社の境内を抜けて、外に回り込みます。

矢部観音堂の背後も確認できました。道に張り出すように古いお堂が佇みます。補強のためでしょう、斜めに渡された筋交いも見えます。

天理教城原分教会

矢部観音堂からさらに北へ行くと、天理教の建物がありました。

分教会のようです。

天理教城原分教会

天理教城原分教会。

天理教関連施設は奈良県内に数多く存在します。海外でも布教活動が進んでいるようですが、その本拠地は奈良県天理市です。田原本からも近い場所ですね。

今回の訪問では秦氏ゆかりの秦楽寺からまっすぐ西へ向かい、矢部観音堂に辿り着きました。