蘇我馬子の石川精舎跡

石川精舎跡に建つ本明寺

本明寺は敏達天皇13年(584)に、蘇我馬子が百済伝来の仏像を請い受け、石川の宅に造った寺「石川精舎」の跡と伝えられます。蘇我稲目、馬子、蝦夷、入鹿と続く蘇我氏の系譜の中において、仏教を擁護した馬子の足跡を辿ります。

石川精舎跡

石川精舎跡(本明寺)。

三間四面の入母屋造りで、庫裡に続く建物です。ご本尊は釈迦如来で、文殊・普賢の両菩薩が脇を固めます。正面に見える虹梁と蛙股も立派ですね。

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鎌倉時代の五輪塔『馬子塚』

石川の自宅を精舎として祀ることにより、仏教支持を宣言した蘇我馬子。

馬子の父に当たる稲目も、同じように仏像を祀って仏教を擁護しました。明日香村の豊浦寺跡に足を延ばせば、その軌跡を辿ることができます。仏像崇拝の歴史に想いを馳せながら、本堂左手奥へと歩を進めます。するとそこには、高さ2.3mの立派な五輪塔が建っていました。

蘇我馬子五輪塔

蘇我馬子の五輪塔と伝わる「馬子塚」。

万物を生成する「地水火風空」の五輪が完全に残っていますね。最下層の地輪(じりん)から最上層の空輪(くうりん)に至るまで、欠けることなく綺麗に残ります。

南北朝様式の五輪塔です。

『越智家譜伝』によれば、大永3年(1523)2月19日の久米寺石川の合戦に討死した32人の追善供養の為に越智家栄が建てたとあります。この五輪塔は、元は久米町イモアライ地蔵境内にあったそうです。越智氏の先祖を守るために置いてあったものをここに移したのでしょうか。

蘇我馬子五輪塔

五輪塔の横には、こんもりと盛り上がる土壇がありました。

墓石も並んでいますね。

第二次大戦で戦死した村の兵隊たちを弔っているようです。

本明寺の御由緒書によれば、

石川精舎 今本名寺と称す。敏達天皇十三年、蘇我馬子、百済より貢するところの仏像を請い受け、己が石川宅に於いてこれを安置す。仏法の初まりは茲より作れという

と記されます。

橿原市石川町の石川精舎跡へアクセス

ちょっと分かりづらい場所にある石川精舎跡。

この日、私は大軽町の軽寺跡から本明寺を目指しました。

大軽町の集落から東方向の剣池(石川池)方面へと下って行きます。しばらく行くと、右手に畝傍東小学校が見えてきます。その手前を左折します。

リストランティーノバルジェット

そのまま上がって行くと、右手にお洒落なレストランがありました。

『リストランティーノ バルジェット』という名前のイタリア料理店です。お店の前を通り過ぎてさらに進むと、左へ折れる道に出ます。

石川精舎跡

ここです。

あっ、あれですね!行く手に見える建物が本明寺(石川精舎跡)です。その右手奥には大和三山の畝傍山を望みます。

石川精舎跡

境内が築地塀に囲われています。

寺観は少し寂しいですね、主な建物は一つだけのようです。

本明寺

ある意味、仏教の始まりの地とも言える場所です。

孝元天皇陵のある剣池の西側に当たります。民家の間を抜けて、ようやく辿り着くことができました。

本明寺

周辺に道案内があるわけでもなく、少々分かりづらい立地です。

蘇我馬子の家がここにあったのかと思うと、不思議な気持ちになります。

石川精舎跡本堂

本堂の虹梁を見上げます。

ご本尊の釈迦如来像は拝観できるのでしょうか。

石川精舎跡の墓標

本堂の左横。

七つの墓標が並び、その横には小さな石仏も祀られています。

本明寺から望む畝傍山

土壇の上から畝傍山を望みます。

山麓には橿原神宮が鎮座しており、自然と本明寺も大和の風景に溶け込みます。

石川精舎跡役行者像

光背を負う役行者像。

各地で崇められる役行者の遺徳を偲びます。

石川精舎跡の役行者像

台座には「岩井講中」と刻みます。

本明寺は無住寺のようで、辺りは水を打ったような静けさです。

石川精舎跡の壺

何やら古い壺のようなものも埋まっていますね。

この土壇を掘り起こしたら、何か出てくるのではないかと思わせます。

石川精舎跡の磐座

縄状の突起が浮き出る岩。

まるで脈打つ血管のような文様が浮かび上がります。どこかで見たような ”既視感” があります。そうだ、これは天香久山の蛇つなぎ石に似ているのではと気付かされます。

石川精舎跡の磐座

なぜこの場所に置かれているのでしょうか。

ひょっとすると、スピリチュアルな謂れを持つ磐座なのかもしれません。

盃状穴を思わせる踏台

今回の石川精舎詣でで気になったものがありました。

完全無欠の五輪塔にご満悦になりながら、ふと本堂脇を見ると、穴ぼこだらけの長方形の石があるではありませんか。

石川精舎跡の盃状穴

本堂脇の踏台。

これはもしや盃状穴(はいじょうけつ)

その数の多さからも、大神神社若宮社の階段の比ではありません。

石川精舎跡の盃状穴

無数の穴が空いています。

豊穣や子孫繁栄の願いが込められたという盃状穴ですが、この石にも同じような意図があるのでしょうか。

石川精舎跡の盃状穴

間違いなく石川精舎跡の謎の一つです。

湿気を含んでか、一部濡れたような跡がうかがえます。この形状なら、水が溜まってもおかしくはないでしょう。

石川精舎跡の盃状穴

まさしく盃の形に似ています。

石川精舎跡にあるというだけで、なんだか意味深ですね。

石川精舎跡の石仏

土壇脇の石仏群。

名もなき石仏であればこそ、そこに流れる歴史の深さを感じます。

馬子塚と畝傍山

石川精舎跡に足を運んだら、このアングルは押さえておきたいところです。

馬子塚と畝傍山のツーショットです。

石川精舎跡の井戸

本堂前の井戸。

井戸の蓋が厳重に閉ざされています。

石川精舎跡の井戸

こういう格好の井戸を見るのも珍しい。

中を覗こうにも、これではお手上げですね。

石川精舎跡

青空の元の石川精舎跡。

土壇に生える木と共に、遥か仏教の歴史を今に伝えています。

この後、剣池畔の孝元天皇陵と大歳神社にお参りしして帰路に就きました。