もう一人の自分。
鏡って神秘的です。現代に生きる私たちは、自分の姿をはっきりと鏡に映し出すことができます。そこに居るのはもう一人の自分。悩み苦しんだ時、一段高い所から客観視できる道具です。今ほど鏡の性能の良くなかった古代には、水面も活用されたことでしょう。
角刺神社の鏡池。
蓮の花は既に終わり、花托があちこちに見られました。
角刺神社は飯豊天皇の政務地です。境内の東側に飯豊天皇が鏡代わりに使ったという池が広がっていました。
蓮の実と中将姫の蓮糸伝説
穴の空いた花托を見ていると、ハチの巣を思い出します。
蓮の実が成る花托には穴が空いています。その穴は空気を吸うためなんだそうです。花托を通して酸素を取り込み、それはそのまま蓮の根っこにつながっています。
鏡池の花托。
いつの時代も執政者に悩みは付き物です。あれこれと考えを巡らしながら、ふと我に返る瞬間。飯豊天皇にとってこの鏡池は、“もう一人の自分”と対話する場所だったのではないでしょうか。
角刺神社から少し歩くと、飯豊天皇の墓があります。民家の迫る小型の前方後円墳です。宮内庁管轄で墳丘内には入れませんが、お濠の周りを歩くことができました。
葛城市忍海に鎮座する角刺神社。
葛城市内にある當麻寺の御本尊は當麻曼荼羅です。中将姫ゆかりの曼荼羅ですが、角刺神社の鏡池に生える蓮糸が材料だったと伝わります。蓮糸のお礼に中将姫から贈られたのが、『西国三十三所名所図会』に描かれる「袖の松」だったと言います。
角刺神社の鏡池。
水面に木々が映っていますね。
蓮の実。
既に色落ちはしていますが、こんな風に結実するんですね。
角刺神社の傍を流れる安位川。
橋の向こうに見えるのは忍海小学校です。
西に聳える葛城・金剛山系。
自分を見つめる目。
いつの時代も必要なんだと思います。ややもすれば忘れがちですが、冷静な視点を持ち続けたいものです。もう一人の自分に救われる時がある。それはきっと、天上界とつながっているのかもしれません。