葛城市寺口に鎮座する博西神社。
読み方ですが、「博西(はかにし)」と読みます。新庄の屋敷山古墳の西に位置することから、陵西・墓西(はかにし)と書かれていたようです。朱に映える春日造本殿は国の重要文化財に指定されています。
重文の博西神社本殿。
規模や形が全く同じの二つの社殿。その各々が障塀でつながっています。珍しいスタイルが目を引きますが、この本殿は室町時代末期の建立と推測されています。
北殿に下照姫命、南殿には菅原道真公が祀られます。
博西神社のアクセスルート
博西神社への行き方をご案内します。
今回、私は道の駅かつらぎから県道254号線(寺口北花内線)を南へ向かいました。
県道30号線(山麓線)を通ってもアクセスできますが、位置的には254号線と30号線の間に挟まれる格好です。やや254号線が通る西寄りに位置していますので、最短ルートとして254号線をチョイスしました。
博西神社鳥居と拝殿。
少々迷いながらの到着でした。結論から言えば、ここまで車で来ることも出来ます。ただ、民家の迫る狭い道ですので、周辺の道路脇に停めておくのが無難でしょう。ちなみに私は、博西神社の南側に路駐しました。
本殿前にも明神鳥居が建ちます。
境内には末社もいくつかありますが、主に二柱の神を祀っています。
本殿の右脇には、「墓西大明神」と記す石標がありました。
ここは屋敷山古墳の西に位置しています。
屋敷山古墳は屋敷山公園内の前方後円墳(5世紀頃)ですが、中世から近世にかけては、新庄エリアを支配していた布施氏や桑山氏の居館としても利用されていたようです。
藤の透かし彫りの中備蟇股(なかぞえかえるまた)。
向かって右側、北殿の下照姫を祀る春日造社殿ですね。軒は二軒繁垂木(ふたのきしげたるき)の構造です。平成12年に保存修理が行われたばかりで、極彩色の本殿が蘇っています。
さて、お待たせしました。行き方をご案内しましょう。
奈良県道254号線。
北を向いて撮影しています。ここから西の葛城山の方へ登って行けば、二塚古墳(銭取塚)や十一面観音を安置する置恩寺があります。今回はこの「寺口」交差点を東へ向かいます。
右手前方に緑の杜が見えて来ました。
まるで前方後円墳のような形ですが、あの杜の一番向こう側(東側)に博西神社があります。
しばらく行くと、カーブミラーに博西神社の道案内が付いていました。
このポイントから右へ200mのようです。
ここまでであれば、車でアクセスルートを辿れるのですが、右手を見た瞬間にためらってしまいました。
ちょっと道が狭いのです・・・しかも、行く手を見るとさらに右へカーブしています。その先に博西神社があるのですが、今回は車でこのまま直進して30号線を迂回することになりました。ぐるりと右手へ回り込み、大きな石垣のある道路沿いに駐車しました。そこから徒歩で、再び二塚古墳の道標のある寺口交差点まで出て、もう一度同じ場所に戻って参りました。
カーブミラーの設置された場所は、葛城市大屋です。
ここから民家を縫うように回り込むと、行く手に博西神社の鳥居が見えて参りました。
あれです、アレ。
はっきり”神社”と分かる風景ですね。
鳥居の真ん中に扁額が掛かります。
アクセス途中で見た杜の先端部分です。ひょっとすると、あの社叢全体が博西神社なのでしょうか。
左右対称のシンメトリーが美しい拝殿。
二体の狛犬も陣取ります。
境内から石鳥居へ振り返ります。
右手前の三角形の石は百度石でした。
松の枝が地面と水平に迫り出しています。
この拝殿の背後に重要文化財の本殿が控えます。
博西神社の由緒書。
木目が浮かぶ板材に案内されていました。
博西神社の年間行事ですが、3月25日の祈年祭に始まり、7月15日の夏祭、10月7日の例祭、さらには12月8日の新嘗祭と続きます。
博西神社の御祭神が案内されています。
北殿に下照比売命、南殿には菅原道真公を祀ります。
かつては倭文(しとり)神社と呼ばれていたようで、機織(はたおり)の神を祀っていたのでしょう。今も「道の駅かつらぎ」から南阪奈道路に沿う一般道を上がって行くと、棚機神社というお社が祀られています。その棚機の森から布施氏が勧請したのではないかと伝わります。時は下り、明治初年には棚機の神から下照姫命が祀られるようになったということです。
国指定重要文化財の博西神社本殿。
博西神社は屋敷山古墳(国指定・史跡)の西に建てられた社であることから、「陵西(はかにし)」または「墓西(はかにし)」とも書かれ、その創建や由緒については明らかではありませんが、中世にこのあたりを支配した布施氏の氏神として、布施郷(ふせごう)支配の信仰上の拠点となっていました。
本殿は身舎側面一間の「一間社春日造(いっけんしゃかすがづくり)」で、土台建の円柱に舟肘木(ふなひじき)を組み、軒は二軒繁垂木(ふたのきしげたるき)、妻を叉首組(さすぐみ)としています。庇は出三斗(でみつど)、中備蟇股(なかぞえかえるまた)<第一殿(北殿)は藤、第二殿(南殿)は牡丹の透彫>、一軒(ひとのき)繁垂木で身舎と繋虹梁(つなぎこうりょう)で結んでいます。幣軸付板扉、脇障子を前寄りに立て、切目縁(きりめえん)を回らし、屋根は檜皮葺です。
規模、形式とも全く等しい社殿を障塀でつなぎ連結式としている形式手法などから、本殿の建立年代は、伝えられる大永(だいえい)年間(1521~28)よりやや新しい室町時代末期と考えられます。
拝殿の右手後方へと回り込みます。
おっ、本殿が見えて来ましたね。
一段高い所に祀られているようですが、右手に石段が付いています。
境内社の一つですね。
末社として春日神社、神明神社、稲荷神社、熊野神社等々が祀られているようです。
瑞垣に守られる本殿。
真正面からもお詣りできますが、右手の石段からも上がれるようになっています。
博西神社の二座。
実に鮮やか!
見事な本殿です。
背後に塀があってこれが ”本殿” となると、やはりその背後に広がる社叢は博西神社とは関係がないのでしょうか。
脇にひっそりと祀られる末社。
こういうのを流造と言うのかもしれませんね。
建物から張り出すように人物画が描かれています。
まるで羽を広げているようです。
緑色を基調にした唐草文様。
本殿の意匠にも目を見張るものがあります。
もう一方の社殿にも人物画が描かれていました。
ちょっとした芸術鑑賞も楽しめますね。
波が重なるような文様も見られます。
「崩し青海波」でしょうか。
博西神社の参拝を終え、正面鳥居から左手へ回り込むと、葛城市の名産品・二輪菊と思しき畑に出ました。
この日は二塚古墳や置恩寺へも足を運びましたが、あちこちで同じような光景に出会いました。葛城市は二輪菊の生産高日本一を誇ります。二輪菊は主に生け花に用いられているようです。
葛城市の二輪菊。
地域の特産品を目にするとは思いもしませんでした。
博西神社の南方へ出ます。
てっきり博西(ひろにし)だとばかり思っていました。道理で車のナビに出てこないわけです。墓の西にあるから博西(はかにし)、これは覚えておかないといけませんね。
路駐した道路近くの石垣。
二塚古墳からさらに上手へ登って行くと、布施城址があるようです。まぁ直接の関係は無いんだと思いますが、葛城山麓にはこのような石垣がたくさん見られます。