東京九段下に鎮座する靖国神社。
日本武道館の間近に鎮まるお社で、戦争で祖国に殉じた尊い神霊が祀られています。内閣総理大臣をはじめ、閣僚の靖国参拝問題ではいつも取り上げられていますよね。
靖国神社拝殿。
拝殿は明治34年(1901)に建てられています。十六菊花紋の幕が掛かり、日本国を象徴する神社であることをうかがわせます。今回私が参拝した際にも、拝殿前には複数の警官が警護に当たっていました。
男神を意味する垂直の千木
悲惨な戦争に散った英霊たち。
二度と戦争はするものではない。その誓いを新たにする場として靖国神社の果たす役割は大きいものと思われます。時折しも8月下旬の参拝となり、タイミング的にも良かったのかなと思います。
靖国神社大鳥居。
靖国神社の第一鳥居です。
地下鉄半蔵門線の九段下駅を降り、いざ目的地の靖国神社を目指します。地上への出口付近で二手に分かれており、それぞれ靖国神社と日本武道館を指し示していました。地下鉄出口からは緩やかな坂道が続き、その先に高さ25mの大鳥居が見えて参ります。
この大鳥居は大正10年(1921)に、日本一の大鳥居として誕生しています。かなり巨大な鳥居でしたが、大神神社の大鳥居(高さ約32m)よりは少し小さいようです。
「空をつくよな大鳥居」と歌われた大鳥居でしたが、経年劣化は避けられず、昭和18年(1943)に撤去されました。現在の大鳥居は、戦友たちの奉納により昭和49年(1974)に再建されたものです。
神門(しんもん)の千木。
大鳥居をくぐり抜けて大村益次郎銅像を仰ぎ見ます。さらにその先の第二鳥居の向こう側には神門が控えています。大手水舎(おおてみずしゃ)から神門の屋根に目を移すと、外削ぎの千木が視界に入りました。地面と垂直に先が削られた千木は男神を表すと言います。英霊たちは男性ですから、なるほどと納得します。
大村益次郎銅像。
大村益次郎は近代日本陸軍の創設者で、靖国神社創建に尽力した傑物です。
この銅像は明治26年(1893)、日本最初の西洋式銅像として建てられました。
大村益次郎はかつて緒方洪庵の適塾で学んだこともあり、村医者として働いていました。その後、独学で兵学を修め、天才的な軍事才能を発揮するに至ります。維新の十傑にも名を連ねる人物として知られます。
第二鳥居と神門。
左手に見えている建物が大手水舎です。
第二鳥居は明治20年(1887)に建てられ、青銅製鳥居としては日本一の大きさを誇ります。
昭和9年(1934)に建てられた靖国神社の神門。
スケールの大きい、立派な神門ですね。
神門の両脇にはさざれ石も置かれていました。
旗を掲げるポールのようなものが突き出ていますね。外削ぎの千木も鋭く天に向かっています。
靖国神社の大手水舎。
花崗岩で作られた手水盤です。
手水盤の重さは18トン以上にもなります。昭和15年(1940)、アメリカ在住の日本人の方々から奉納されたそうです。見るからに重厚感のある手水です。
神門の菊花紋章。
神門中央の2つの扉には、直径1.5mの菊の紋章が取り付けられていました。
靖国神社中門鳥居と拝殿。
平成18年(2006)に建て替えられた中門鳥居(ちゅうもんとりい)には、埼玉県産の檜が使われています。
靖国神社の境内案内。
本殿には246万6千余柱の神霊が鎮まっています。
本殿の屋根にも千木と鰹木が配され、鰹木の数は奇数の7です。「奇数の鰹木」ということで、こちらも概ね男神と言えるでしょう。本殿の背後には、合祀される神霊の名を記した霊璽簿(れいじぼ)を納める霊璽簿奉安殿(れいじぼほうあんでん)が控えています。
靖国神社境内には数多くの建物があります。
斎館・社務所、能楽堂、参集殿、到着殿、神池庭園、行雲亭、洗心亭、招魂斎庭、相撲場(すもうじょう)、遊就館(ゆうしゅうかん)等々多岐にわたります。
靖国神社に相撲場があるとは思ってもみませんでした。
春の例大祭を奉祝し、横綱をはじめとする力士による奉納相撲が執り行われています。明治2年の靖国神社鎮座祭において大相撲が奉納されました。その時以来の恒例行事となっています。相撲見物は無料とのことで、当日の相撲場は大いに盛り上がりを見せます。
遺品などを収蔵、展示する遊就館へ足を運べば、悲しい過去に真正面から向き合うことにもなります。
神門脇に置かれたさざれ石。
国歌にも歌われるさざれ石ですね。有名な神社にお参りすれば、必ずと言っていいほど目にする光景です。
旧歩兵第三連隊 速射砲中隊の献木(モチの木)。
昭和60年に植樹されているようです。
靖国神社参拝。
決して十分な準備が整った上での参拝ではありませんでしたが、かねてからの念願が叶い、どこか胸をなでおろすような気分が味わえました。またいつの日か、時をまたいでお参りする日が来ることを願っています。