薬の町として知られる高市郡高取町。
薬の歴史の出発点で、薬草の自生地でもある波多甕井神社を訪れました。以前から気を引く神社でしたが、場所の見当が付きませんでした。それもそのはず、波多甕井神社の鎮座する羽内(ほうち)地区は、私にとって未踏の地でした。
波多甕井(はたみかい)神社。
羽内の集落を抜けた丘陵上にありました。
高取町唯一の延喜式内大社であり、『続日本紀』には神護景雲4年(770)創建と記します。平城京の時代に産声を上げたようです。波多甕井神社の名前の由来ですが、羽内地区はかつての豪族・波多氏の住む波多郷だったようです。神社下手の井戸谷には、清水の湧き出る井戸があります。地元の水甕(みずがめ)として利用されてきたため、波多の“甕井”と名付けられたようです。
害獣除け電気柵とオリエンティアの作法!薬猟の波多甕井神社
とにかく自然豊かな場所です。
細い道が通る羽内集落を抜け、田圃脇のアクセスルートを登ります。イノシシや鹿が出没するのでしょう、害獣除けの電気柵を横目に登って行きます。境内はオリエンテーリングにも使われたようで、チェックポイントになる目印がありました。
波多甕井神社の鳥居。
石段を上がった先に、小さな境内があります。
集落手前の道案内。
ここは羽内遺跡の案内板のある辺りです。この地点から 380m 離れているようですね。
羽内集落の入口付近。
細い道を抜けた先に、垢抜けた建物がありました。
御所市に本社を置く建設会社のようです。ブランド名は「TO ともにつくる。」で、ここは高取事務所のようです。日本の原風景が残るエリアに、小気味いいアクセントが生まれていました。
事務所からさらに登って行きます。
害獣除けの電気柵ですね。
注意喚起の黄色い札に「Speedrite」と書かれています。獣害防止柵で知られる“未来のアグリ株式会社”のものでしょう。札の右下に“北原電牧”と書かれていますね。未来のアグリ株式会社は、三つの会社が一つになることで誕生しました。北原電牧(札幌市)もその内の一つです。
電気柵に沿って歩いて行くと、右手に波多甕井神社の社叢が見えてきました。
可憐な花が鳥居前に咲いています。
石段を登ります。
普通は参拝者の往来を考慮して、手摺りは真ん中にあるものです。見ての通り階段の幅も狭く、右端に取り付けられていました。どうやら本殿は壇上に祀られているようです。
一段高い場所に仰ぐ波多甕井神社の本殿。
御祭神は甕速日命(みかはやひのみこと)です。棟札には天照大神を祀ると記されています。江戸時代の『高市郡神社誌』にも、天照大神社とあります。波多甕井神社はアマテラスとの関係も気になる古社のようです。
オリエンティアは自然保護の監視役。
オリエンティアとは、オリエンテーリングの参加者を意味します。
自然保護のエチケットが記されていました。参加者はコンパスと地図を頼りに、順番にチェックポイントを周ったのでしょう。この案内札が立っているということは、波多甕井神社がオリエンテーリングのチェックポイントであったことを示しています。
このオレンジ色の立札が目印です。
本殿と向き合うように建つのは舞台でしょうか。神様の前で舞楽が奉納されるのかもしれません。あるいは絵馬が掲げられていましたので、絵馬殿とも言えます。
「式内大社 波多甕井神社」の木札。
波多甕井神社の狛犬。
本殿直下の石段脇に配置されます。赤い前掛けは魔除けを意味するものと思われます。台座も含め、苔生した姿から湿度の高さをうかがわせます。
波多甕井神社の本殿。
簡素な造りの一間社です。
狛犬の頭上。
頭の上も苔生していました。
舞台の屋根裏には絵馬が掲げられます。
祭事の様子なのか、はたまた推古天皇の薬猟行宮を描いたものなのか分かりませんが、鮮やかな彩色が残っています。
波多甕井神社周辺では、古代の薬狩りが行われました。
女性は薬草を摘み、男性は男鹿の角を狩ったと言います。いずれも薬効があり、身体に良かったのでしょう。薬狩りは天皇が催す行事であり、皆着飾って臨んだようです。
斜面に築かれた本殿。
石段の傾斜はかなり急で、まるで天へと続く“高橋”のようでした。これはもう、梯子と言ってもいいですね。
瑞垣に守られる本殿。
鳥居から石段を登り切った所に、礎石が二つありました。
何か棒状のものを二つ立てた跡ですね。
石燈籠の笠は反り返り、鳥居の楔(くさび)も反り返ります。
鳥居手前を左へ、どんどん登って行きます。
境内は石垣で区画されているようです。この先が気になりましたが、時間配分を考えて参拝を終えることに致しました。
今も「置き薬」の文化が残る奈良県。さすがに行商の薬売りは見なくなりましたが、置き薬の補充に回る製薬会社の社員さんをたまにお見受けします。
高取町は薬の町です。
観光案内所「夢創館」の蔵の一部を再利用したくすり資料館へ行けば、薬の歴史を学ぶことができます。土佐街道の石畳に目を向ければ、薬草を紹介するタイルが埋め込まれています。そして、羽内の波多甕井神社にお参りすれば、遥か昔の推古天皇の薬猟に触れることができます。