王寺町本町に鎮座する片岡神社。
聖徳太子と達磨大師の逸話「片岡山飢人伝説」の “片岡” です。片岡神社の背後の丘を“片岡”と呼ぶようです。片岡神社の奥には、聖徳太子創建の放光寺があります。
王寺町の片岡神社。
片岡神社は放光寺の鎮守社とされます。
片岡神社には天照皇太神をはじめ、住吉三神、品陀別命、清瀧命などが祭神として名を連ねます。本殿左手には大原神社、金計(かなけ)神社ほか計四社が祀られます。右側にも「吉岡大明神」の扁額を掲げる鳥居が建っていました。
片岡神社参道の「神道」と境内社
達磨寺参詣の日に訪れました。
達磨寺から国道168号をはさんで西側に当たります。JR王寺駅にも程近く、鎮座地は王寺町の観光ルート上と言ってもいいでしょう。王寺小学校に隣接し、元気な児童の声が聞こえてきます。
片岡神社の拝殿。
見事な唐破風が張り出しています。
こちらは達磨寺の境内。
本堂脇から鐘楼を向いています。左手に見えるのは、達磨寺に隣接する保育園です。
王寺町のマンホール蓋。
地域のシンボル「和(やわらぎ)の鐘」がデザインされています。聖徳太子の十七条憲法を引用した “和を以て貴しとなす” ですね。王寺町の梅とサツキを両脇に配したデザインでした。
達磨寺から国道を渡り、西へ入ります。
片岡神社を囲う瑞垣が見えてきました。
片岡神社の社号標。
式内社であり、旧社格は郷社のようです。
片岡神社の由緒。
古くは元町大峰の東北端に鎮座していたそうです。
「新抄格勅符抄(しんしょうきゃくちょくふしょう)」に大同元年(西暦806)のこととして片岡神の神戸(封戸、昔神領に付属して租庸調を神社に納めていた農民)のことが出ているそうで、その頃既にこの神社が成立していたことを示しています。
また「三代実録」には、貞観元年(西暦859)正月、正五位下に昇叙されたことがでています。
この社は、放光寺の鎮守社ともいわれ、本殿向かって左方には大原神社、金計(かなけ)神社ほか計四社がまつられています。
社伝によると風雨の神として尊信せられ正暦5年(西暦994)には、疫病や天変地異が続いたため、中臣氏人(なかとみのうじひと)が宣命使となって救済を祈願して奉幣したといわれています。
片岡神社の参道。
真ん中に神様の通り道である「神道」が通ります。左側を参進し、お参りを終えたら右側から帰るのでしょう。神社参拝の作法ですね。
ここから見ても、両脇に境内社が祀られているのが分かります。
唐破風には立派な懸魚が下ります。
懸魚(げぎょ)は、元は魚の尾っぽに見立てたものと言います。魚から連想する水に掛け、木造建築の火難除けとされます。一種のおまじないですが、建築意匠としても見ごたえがありますよね。
「神道」の立札。
ここまではっきりと、“神様の通り道”が整備されているのも珍しいのではないでしょうか。
片岡神社の扁額。
片岡神社の南方に、志都美神社というお社があります。所在地は王寺町ではなく香芝市今泉になりますが、片岡氏が祖神を祀った神社と言われます。
拝殿の左に目を移すと、四つの石燈籠が建っていました。
おそらく大原神社をはじめとする四社を祀っているのでしょう。
反対側の吉岡大明神。
少し調べてみると、「賢岡神社」と案内されています。賢岡(よしおか)と読むようです。境内から外へ、瑞垣越しにもその本殿を見ることができました。
吉岡大明神の扁額。
大阪市東住吉区杭全に鎮座する神社のようです。平野区の杭全神社にも、吉岡稲荷大明神が祀られています。お稲荷さんなのでしょうか。
片岡神社の境内社・吉岡大明神。
境内の北端にひっそりと祀られていました。片岡神社は住吉三神や品陀別命を奉じていることからも、大阪方面とのつながりを感じます。
生活道路沿いに鎮座する吉岡大明神。
民家が迫り、住民との距離が近いことがうかがえます。
拝殿を背に、鳥居を見ます。
小学校のグラウンド先には国道が通り、その左向こうに達磨寺があります。片岡神社にお参りする際は、達磨寺と放光寺へも足を向けておきましょう。