広陵町的場の大福寺にお参りして来ました。
聖徳太子建立と伝わるお寺です。
県道14号線から北へ入って行くのですが、少々分かりづらい場所にありました。駐車場も完備されていませんので、徒歩で向かわれることをおすすめします。
大福寺本堂。
六間四方と言いますから、およそ10m四方の立派なお堂です。
本堂内には大福寺の寺宝・十一面観音立像や板絵著色両界曼荼羅、さらには御本尊の薬師如来坐像が祀られています。
宿院仏師の仏像を安置!満嶋山大福寺
木肌の美しさで知られる宿院仏師の彫像。
約2年前の夏、天理市福住町の西念寺で見た十一面観音を思い出します。質素で柔らかい雰囲気の宿院仏師の作品は見る者を魅了します。今回はふらりと訪れたため、仏像の拝観予約はしていませんでした。しかしながら、ここ大福寺にも宿院仏師作と伝わる十一面観音が祀られていることを記しておきます。
大福寺山門。
高野山真言宗のお寺で、山号を「満嶋山」と称します。
今もなお室町時代の文化財を残し、『満嶋弁財天(みつしまべんざいてん)』として信仰を集めています。
大福寺の十一面観音立像。
左手に水瓶、右手には錫杖を持ちます。
長谷寺の十一面観音を踏襲するスタイルですね。十一面観音の左に難陀竜王像、右側には雨宝童子像が侍っているようです。この並びも長谷寺の御本尊そのものです。一具完存する三尊像としては数少ない遺品の一つとされます。
像内の墨書から、箸尾殿の立願により永禄3年(1560)に造立されたことが判明しています。
彩色を施さず、良質の檜材で彫られた仏像で、県指定文化財にもなっています。
本堂前の花。
まだ2月末ですが、境内は春の陽気に満ちていました。
こちらは大福寺の御本尊・薬師如来坐像。
その背後に見えるのは、板絵著色両界曼荼羅(県指定文化財)です。
向かって右に胎蔵界、左に金剛界曼荼羅が配されているようです。桧板7枚を横使いにして、漆、白土を下地に極彩色で曼荼羅諸尊が描かれています。額縁側面の刻銘から、元々田原本町楽田寺の灌頂堂曼荼羅として制作されたことがうかがえます。金剛界が2年、胎蔵界は6年を要して応永30年(1423)に完成したと伝わります。
天神社(天満宮)。
本堂向かって右奥に赤い屋根の祠が祀られていました。
おそらくこの社殿が天神社だと思われます。大福寺の解説によれば、境内には天神社や満嶋弁財天社が祀られているようです。山門を入ると、真正面にもう一つの社殿があります。多分そちらが満嶋弁財天社なのでは?と思われるのですが、いかがでしょうか。
「かぐや姫の里」の道案内。
県道14号線から北へ、近鉄箸尾駅方面へ向かって歩いて行くと、こちらの看板に出くわしました。道中には箸尾御坊(教行寺)もありました。このポイントを東へ向かうと、目的地の大福寺へ辿り着きます。
道案内には「箸尾城跡」と書かれていますね。
この辺りを散策すれば、非常に入り組んだ道が交差しているのが分かります。寺内町の今井町にも見られる見通しのきかない道は、やはり防御の目的で作られたものかもしれません。大福寺の住所は「的場」ですが、この地名にもお城の名残が感じられます。
このポイントを右へ入って行きます。
「諸車乗入禁止」との注意書き。
後で分かったのですが、ここから細い道を通って至る入口は ”大福寺の裏口” に当たります。表門の山門はその反対方向にありました。
こちらが大福寺の正面。
一旦境内を抜けて、正面に回り込みました。山門の随分手前に寺号標が建ちます。
大福寺の案内板。
聖徳太子の建立と伝えられ、もと東大福寺、西大福寺が存在した。
天河弁財天社から勧請した弁財天の信仰と、中世大和土豪箸尾氏の帰依により鎌倉、室町、戦国時代には隆盛を誇ったとみられる。
江戸時代を通じても徳川歴代将軍の護持を受けた朱印状を多数拝受しているが、現代はこの西寺だけが残った。
本堂は江戸時代中期頃の建築で、本尊は薬師如来坐像(江戸時代)。
客仏に永禄3年(1560)箸尾殿御立願による南都宿院仏師作の十一面観音及び難陀竜王・雨宝童子像(県指定文化財)や、鎌倉時代の不動明王立像などがあり、田原本町楽田寺から伝来した応永31年(1424)作の板絵両界曼荼羅(県指定文化財)等優れた遺品が多い。なお、境内には弘法大師坐像を祀る大師堂、天神社、満嶋弁財天社、鎌倉時代後期の優美な層塔がある。
現在の大福寺はかつての西大福寺に当たるようです。
江戸時代までは東大福寺、西大福寺、弁財天社があり、幕府より三十石を与えられていたようです。家康から家茂までの朱印状が残されていることでも知られます。
明治初めの神仏分離令により東大福寺は廃寺となり、弁財天社は櫛玉神社へ移され、現在の大福寺となった経緯が語られます。
山号を刻んだ寺号標から民家前を通って、山門に至ります。
ここが聖徳太子を開基とするお寺なのですね。
山門を入ると、右手奥に本堂が見えます。
立派な十三重石塔も建っていました。
山門の正面奥に何か祀られていますね。
真正面に位置することから、大福寺にとっては重要なお社なんだと思われます。私が察するに、あれが箸尾の満嶋弁財天社なのでしょう。
山門入ってすぐ右手には石垣に囲われた土壇がありました。
かつてここに何かあったのでしょうか。
満嶋弁財天社。
その右手奥には歌碑のようなものが建立されていました。
大福寺の本堂。
境内には尼さんがいらっしゃいましたが、忙しくされているようでご挨拶だけに留めました。
本堂前の香炉台。
蓮弁の下には「薬師如来」と刻みます。大福寺の本尊ですね。
「観世音」と記されています。
格子戸の中央下には穴が開いており、そこから堂内の様子をうかがうことができました。
本堂右横の墓石群。
赤い前掛けの地蔵石仏もたくさん祀られていました。墓石群の左手に見えるのが、天神社です。
本堂に太陽光が差し込みます。
参詣者は誰一人いません。実に静かな境内です。
天神社は一段高い所に祀られていました。
立派な瑞垣で囲われています。
色付きの屋根も珍しいですね。
その分、よく映えます。
社殿前から本堂へ向き直ります。
広陵町のお寺はどこも静かです。三重塔の百済寺をはじめ、与楽寺、正楽寺なども訪れましたが、どこも鄙びた雰囲気で心が落ち着きます。
近鉄箸尾駅からは徒歩10分ほどです。
距離にすれば800mほどで大福寺にアクセスします。
大師堂と四国遍路!四国八十八ヶ所霊石めぐり
本堂の背後には、四国八十八箇所霊場のミニ遍路道がありました。
ここを巡れば、お砂踏みのようなご利益があるのでしょう。
四国八十八ヶ所霊石めぐり。
弘法大師空海を祀る大師堂の周りに、88箇所の霊石が置かれていました。
第二十二番平等寺の霊石。
入口近くの霊石ですが、こんな感じで数多くの石が配されていました。
大師堂の前には石灯籠が二基建っています。
不思議な空間ですね。
こちらは第十九番の立江寺(たつえじ)の霊石。
弘法大師が修行した地を巡りながら、心を洗い直します。
霊石をめぐりながら、ここにも石宝塔が建っていることに気付きます。
数を数えてみると、どうやら九重石塔のようですね。その手前には、何やら礎石のようなものも見えます。
広陵町のマンホール。
帰り道の路上で見つけました。町の花であるヒマワリがデザインされています。
広陵町の花が向日葵だとは知りませんでした。そういえば、広陵町にまたがる馬見丘陵公園では、毎年8月にひまわりウィークが開催されます。あながち無関係でもないようですね。
大福寺の観光案内。
やはりここは穴場でしょう。
訪れる人の少ないお寺故、ゆっくりと自分の時間を過ごすことが出来ます。