銀杏紋と亀鉦!融通念仏宗の大念仏寺@大阪市平野区

大阪市平野区の大念佛寺にお参りして来ました。

融通念仏宗の総本山で、日本最初の念仏道場なんだそうです。大念仏寺のある平野郷界隈には昔ながらの町並みが残り、お寺を参拝した後は平野の街歩きも楽しめます。

大念仏寺のお守り

大念仏寺のお守り。

銀杏紋や亀がデザインされていますね。

なぜ亀なんだろう?と思ったのですが、大念佛寺のパンフレットを見て納得。お寺に伝わる亀鉦をモチーフにしているようです。

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良忍上人の大念佛寺!勅額『大源山』と樟の巨木

大念仏寺の開創は良忍上人(りょうにんしょうにん)です。

比叡山で修行を終え、さらに仏道を深めるために京都・大原で修身に勤しんだようです。

大原の来迎院や浄蓮華院も良忍上人の創建と伝わります。大原の来迎院といえば、耳の病にご利益があると聞きます。来迎院は上人が最期を迎えた地でもあり、良忍上人の御廟があります。求道の中で念仏三昧に浸った大原の地は、融通念仏宗にとっての聖地のような気がしますね。

大念仏寺本堂

大念仏寺の本堂。

軒下には五色幕が掛かります。

平安時代の1117年5月15日に、良忍上人は阿弥陀如来より偈文(げもん)を授かり、融通念仏を感得しました。偈文の内容を理解しようと試みるのですが、なぜか頭の中を One for all, All for one が駆け巡ります。

一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行 是名他力往生 十界一念 融通念仏 億百万遍 功徳円満

一人の念仏が他の全ての人(一切人)に功徳を及ぼし、一切人の念仏が一人の功徳となり、また念仏の一行をもって他の萬行に通じ、萬行をもって一行におさまるがゆえに功徳も広大になる。皆の唱和する中に阿弥陀仏の本願力と自己の念仏の力と一切人の念仏の力とが互いに融通して現世に喜びあふれ智慧輝く楽土を建設することをめざす。

う~ん、深いですね。

念仏三昧の境地に至ったことのない身には、果てしなく広がる大宇宙に放り出されたような気がします。”互いに融通して現世に喜びあふれ” という箇所が、融通念仏宗の一つの骨子なのかなと思われます。

大念仏寺の楠

境内の龍王殿背後には、立派なクスノキが生えていました。

注連縄に紙垂が下がり、御神木として仰がれているようです。

隆々とした木の根っこが八方に広がり、生命力の強さをうかがわせます。

大念仏寺山門

大念仏寺の山門。

「大源山」の勅額が掛かっています。

山号を諸仏護念院大源山と称するようです。

この山門は江戸時代初期の建造で、平成18年には大阪市指定有形文化財になっています。山号の記された勅額ですが、霊元天皇皇女・宝鏡寺宮徳厳尼ご親筆のようです。天皇家の十六菊花紋と、大念仏寺の銀杏紋が提灯にも施されていますね。

大念仏寺本堂

山門をくぐると正面に見えてくる本堂。

大阪府下最大の木造建築です。

総欅造り銅板葺きの本堂は、平成15年に国の登録有形文化財に指定されています。

東西約50m、南北約40mの規模を誇ります。堂内に足を踏み入れると、大数珠くりに使われる巨大な数珠が壁に掛けられていました。冒頭のお守りも本堂内で販売されています。

かつて大念仏寺では万部経(まんぶきょう)を輿に載せて練り歩く法会が行われていたようです。

万部経とは、永代供養として上納された霊位とその施主名を記した霊名簿のことです。その万部経を輿に載せて練り歩き、10日間にわたって阿弥陀経を一万部読誦(どくじゅ)して懇ろにご回向する法会。江戸時代中期に創始されたようですが、昭和12年を最後に輿による渡御は途絶え、本堂内での回向に切り替わったそうです。

時は流れて、また輿による渡御が復活しています。お守り授与所の上手に、霊名簿を載せる万部輿(まんぶごし)が展示されていました。

聖應大師良忍上人略伝

経蔵の前に、大念仏寺を開いた良忍上人の略歴が出ていました。

上人は平安時代の終わり頃、延久4年(1072年)尾州知多郡富田荘(びしゅうちたぐんとみたのしょう;現東海市)の領主藤原秦氏(ふじわらはたうじ)の家に生まれ、12歳で比叡山に登り出家した。

大いに修行に努めて天台密教の学問を深め、若くしてその学徳は一山に重きをなした。

23歳の時、真の仏道を求めんと、意を決して山を下り洛北大原に移った。一日六万遍の念仏を唱え苦行を重ね、法華経等あらゆる教典を読破書写し、来迎院を開創し、浄蓮華院(じょうれんげいん)等を復活建立した。

上人は生来、美声と音楽才能にめぐまれ、声明(仏教音楽)に励み、当時伝えられていた諸流諸派を統一大成し、声明中興の祖と仰がれている。

永久5年(1117年)46歳の5月15日、正午三昧中に阿弥陀如来より速得往生(そくとくおうじょう)の道・口称融通念仏(くしょうゆうづうねんぶつ)の偈文(げもん)を授かった。この時をもって本宗の開宗と定めている。

上人は鳥羽上皇のあつい帰依を受け、上皇下賜の勧進帳と鏡鉦(かがみがね)を奉持(ぶじ)し、宮中をはじめとして諸国を行脚し、融通念仏を広めた。

四天王寺に錫(しゃく)をとどめていた時、聖徳太子の霊告を蒙り、大治2年(1127年)摂津平野に根本道場として大念仏寺を創建した。

安永2年(1773年)後桃園(ごももぞの)天皇より「聖應大師」の大師号を授与された。

比叡山天台宗の一僧であった良忍上人の足跡が語られます。

略伝にも「声明中興の祖」と記されていますが、京都大原で修行していた良忍上人の唱える念仏があまりにも美しかったため、近くの滝の轟音がかき消されたと伝わります。今もその滝は「音無の滝」として、多くの観光客を集めています。

聖徳太子の夢のお告げで創建!JR大和路線平野駅から大念佛寺へアクセス

今回、私は公共交通機関のJRで大念仏寺を目指しました。

JR三輪駅から快速難波行きに乗車します。高田、王寺を経由して久宝寺駅で下車、向かいのホームの各駅停車に乗り換えます。久宝寺から加美、平野と二駅目で目的地に到着。平野駅から南へ徒歩5分ほどで大念仏寺に辿り着きました。

JR平野駅プラットフォーム

JR平野駅のプラットフォーム。

平野の次が東部市場前駅で、その次が天王寺駅です。JR平野駅のプラットフォームからも、”のっぽ” なランドマークが見えていました。そう、あの四天王寺を下界に望むあべのハルカスですね。

良忍上人は聖徳太子とも縁が深いことで知られます。

聖徳太子の四天王寺は天王寺にあります。時は1127年と言いますから、良忍上人が融通念仏を感得してからちょうど10年後のことです。太子信仰の厚かった良忍上人が四天王寺に立ち寄った際、太子から夢のお告げを受けたそうです。そのお告げが元で、平野の根本道場が創建されたと伝わります。

JR大和路線平野駅

JR平野駅前。

タクシーがくるっと回り込めるようになっています。

ロータリーと言うほどの広さはありませんが、ここが大念佛寺へのアクセスポイントになります。此処から徒歩で南へ進むと、国道25線が見えてきます。国道の横断歩道を渡った右手に広がるのが大念仏寺です。

大念仏寺の寺号標

大念仏寺の寺号標。

山門の手前には、石畳の参道が続きます。ちょうど撮影している背後に、大念仏寺の駐車場がありました。

大念仏寺本堂

立派な本堂。

ここは平安末期以降に広まった念仏信仰の先駆けです。

融通念仏宗の総本山らしい、威風堂々とした佇まいですね。

経蔵

本堂右手前に建つ経蔵

蔵の入口にも銀杏紋の幕が掛かっています。

楽邦殿と宝物館

経蔵の左後方へ足を進めると・・・

正面に楽邦殿(らくほうでん)、その右手前には宝物館

平成10年竣工の楽邦殿は大念仏寺の納骨堂です。霊骨、胎内仏、水子地蔵が祀られ、2階が本堂、1階は休憩所になっています。宝物館もまだ新しめの建物で、昭和55年に竣工しているようです。寺宝を収蔵し、展示ホールと収蔵庫から成ります。

大念仏寺の鐘楼

納骨堂の左後方には、江戸時代の鐘楼が控えます。

除夜の鐘も撞かれるようですが、この名鐘には従一位右大臣藤原家孝公撰の銘文があります。

大念仏寺の桜

1月初旬なのに桜?

河津桜でしょうか。寒さの厳しい境内に彩りを添えていました。

龍王殿

龍王殿

鐘楼向かって左後方の建物です。

お百度石が立ち、その周りを石畳が巡ります。

大念仏寺の霊明殿

こちらは龍王殿左手の霊明殿(れいめいでん)。

鳥羽上皇を奉安する権現造の社殿が映えます。

大念仏寺は鳥羽上皇の勅願により創建されています。霊明殿には徳川家の足跡も感じられました。

葵紋

葵紋の屋根瓦。

葵紋の右横は、おそらく十六菊花紋でしょう。

霊明殿

門から奥を覗くと、権現造の霊明殿が姿を現します。

江戸時代の建築のようですね。

ネパールから贈られたマニ車

霊明殿の奥には墓地が広がっていました。

そこは一旦スルーして本堂横を抜け、再び本堂の前へと出ます。すると、そこに何やら見慣れたものがありました。

大念仏寺のマニ車

マニ車(ぐるま)ですね。

回すと功徳があります。

主にチベット仏教で用いられる仏具で、「転経器(てんきょうき)」とも訳されます。マニとは如意宝珠を意味しますから、意のままに願いを叶えてくれる有難い仏具です。

マニ車の解説

マニ車(経車)の解説。

おおさか十三仏霊場会では、釈尊誕生の国ネパール パタン市の学校建設に援助をしています。このマニ車は両国の友好のシンボルとしてネパールより十三仏寺院に贈られたものです。マニ車の中にはお経が納められていて、手でまわすと、お経を一巻お唱えするのと同じ功徳があるといわれています。

マニ車を回しながら、ふと四天王寺の転法輪のことを思い出しました。なんだかよく似ていますよね。

大念仏寺マニ車

本堂向かって左前にありました。

マニ車が8個、綺麗に一列に並んでいます。

大数珠くり看板

百万遍大数珠くりの看板。

毎年1月、5月、9月の各16日午後1時より行われているようです。

瑞祥閣

瑞祥閣(ずいしょうかく)。

門の瓦が尺八の形をしているそうですが、残念ながら撮り忘れてしまいました。門をくぐると、百畳敷きの大書院が控えています。

白雲閣

瑞祥閣から左手後方の白雲閣(はくうんかく)。

平成10年に竣工した二階建ての多目的会館です。

大念仏寺梁松院

こちらは南門近くの梁松院(りょうしょういん)。

もと役寮であったものを昭和47年に再建しています。

大念仏寺毘沙門堂

梁松院の真横に佇む毘沙門堂

行基菩薩作と伝わる毘沙門天を祀ります。堂内が開放されており、脇壇には十六羅漢が安置されていました。

大念仏寺の香炉台

本堂の香炉台。

銀杏紋が美しいですね。

大念仏寺にとって最大の行事は、5月1日から5日にかけて行われる万部おねりです。

阿弥陀経を一万部読み上げ、極楽浄土をこの世に現出し、二十五菩薩が練り歩くお練りの儀式として知られています。当麻寺の練り供養などとも似ていますが、GWシーズンの開催とあってはなかなか見学するのも難しいかもしれません。

大念仏寺のお守り

大念仏寺のお守り。

本堂前のベンチに腰掛けて、そのデザインに見入ります。

大念仏寺には亀鉦伝説が伝わります。

創建から時を経た鎌倉時代のこと、中祖の法明上人が播磨国加古にある教信寺へ融通念佛の勧進に向かわれました。

難波津から船に乗り、播磨国を目指したのですが、航海の途中に嵐に見舞われます。荒れ狂う波間に呑み込まれそうになった時、寺宝の鐘を海に沈めて嵐を鎮めようと試みます。するとどうでしょう、何事もなかったかのように凪の状態に戻ったと云います。

銀杏と銀杏葉

銀杏と銀杏の葉。

大海原に沈めた鉦の正体は、良忍上人が鳥羽上皇から拝領した鉦を鋳直した「鏡鉦」でした。

目的地で無事に勧進を終えた御一行は帰路に就きます。その途上、海中から大きなウミガメが現れました。亀の甲羅の上には海に沈めたはずの鏡鉦が載せられていたと伝わります。後に「亀鉦」と呼ばれるようになる大念仏寺の寺宝ですね。

円通殿

山門入ってすぐ右手にある円通殿(えんつうでん)。

観音堂とも称され、伝教大師作の聖観音立像を祀ります。扁額「円通殿」は大通上人の直筆とされます。左右に羽の生えたような建物ですが、その内部には大通上人が募った日月祠堂位牌が安置されています。

根付きの門松

山門の門松。

根付きの松ですね。

このまま大念仏寺を後にして、平野郷界隈のそぞろ歩きを楽しみました。あれこれ周りながら、四つ辻にある和菓子屋さんの前で足が止まります。

亀乃饅頭

「亀乃饅頭」のお店。

亀!ここはやはり、亀鉦をモチーフにした和菓子屋さんなのでしょうか。

福本商店;亀鉦饅頭

見世棚にも亀が展示されています。

大念佛寺が平野の町全体に馴染んでいるのがよく分かりますね。

【大念佛寺の拝観案内】

  • 開基  :良忍上人
  • 本尊  :十一尊天得如来
  • 札所  :おおさか十三仏霊場第10番、なにわ七幸めぐり第4番、神仏霊場巡拝の道第46番、河内西国三十三箇所特別客番
  • 住所  :大阪市平野区平野上町1-7-26
  • アクセス:JR大和路線平野駅から南へ徒歩5分、大阪市バス「JR平野駅筋」・近鉄バス「平野元町6丁目」下車すぐ、大阪地下鉄谷町線「平野駅」1・2号出口から北へ徒歩8分