田原本町の伊勢降(いせふり)神社。
神社名に思わず目が留まります。お伊勢さんが降る?
いかにもご利益ありそうなお社ですが、伊勢神宮とは直接関係が無いようです。すぐ近くの天理市庵治町(おうじちょう)にも、同名の伊勢降神社があります。田原本町のイセフリが男神で、天理市のイセフリは女神の位置付けのようです。
田原本町八田宮ノ本に鎮座する伊勢降神社。
男神が女神の元へ通うという伊勢降神社。八田より南方の法貴寺には斎宮神社があり、在原業平と斎宮が繰り広げたロマンスが伝わります。斎宮神社が歴史の舞台なのですが、伊勢降神社にも斎宮伝説が囁かれています。
伊勢降神社の御祭神は大名持命と豊受姫命
八田の伊勢降神社が奉る御祭神は、大名持命と豊受姫命とされます。
ところが、田原本歴史遺産の案内板には、二柱の他にも在原業平と斎宮の名前が掲載されています。
天照皇大神に仕え、その妻となっている斎王に“穢れ”はご法度です。その禁忌を犯して伊勢神宮に仕える斎王を連れ出した在原業平。当地へ引き連れ匿ったという逸話が残されています。斎宮神社と伊勢降神社の距離は近く、どちらが伝説の場所なのか興味の尽きないところです。
伊勢降神社の拝殿。
瑞垣に囲まれた拝殿で、平成7年(1995)に建て替えられています。
拝殿前の狛犬。
神様を守るお目付け役が、参拝者を出迎えていました。
奈良県内には天理市の在原神社をはじめ、在原業平ゆかりの地が散在しています。ここはひとつ、串刺しで訪れてみるのも面白そうですね。
伊勢降神社の由緒。
勧請年代や由緒などは明らかでないが、境内には寛永元年(1624)銘の燈籠がある。また文久元年(1861)には社殿の修築が行われ、明治29年(1896)には拝殿の建て替えが行われている。
境内社 道祖神社、市杵嶋神社、多賀神社、保食神社、住吉神社、春日神社の六社と祖霊社が祀られている。
境内社が6社案内されていますが、百度石の左手奥に鎮座する道祖神社が一番手厚く祀られていたような気がします。
神明鳥居を入ると、やがて左手に手水舎が見えてきます。
ここで身を清め、境内へと入って行きます。
注連縄と共に、細竹で作った結界のようなものがぶら下がっていました。
再び伊勢降神社の入口付近。
石燈籠の間に「車止め」、その向こうに石造の神明鳥居が建ちます。
参道の突き当りに百度石と切り株がありました。
ここから右へ折れて、伊勢降神社の心臓部である拝殿と本殿へ向かいます。
田原本の神々を訪ねて~と題する案内板。
本殿脇に配祀される境内社が図示されていました。位置関係がよく分かりますね。
伊勢降神社の拝殿。
唐破風の付いたバランスのいい建築物です。
拝殿奥の本殿。
一段高い場所に厳かに祀られていました。
拝殿左手前のお社。
おそらく祖霊社だと思われます。
道祖神社の左手に祀られていた祠にはキツネが居たことから、五穀豊穣の保食神社(うけもち)神社で間違いないでしょう。
百度石の左奥へ歩を進めると、これまた神明鳥居が建っています。
薄暗いエリアへと入って行きます。
塀に囲まれた道祖神社です。
その左手の朱鳥居が保食神社でしょう。
厳重な空間に守られる道祖神社。
道祖神のサルタヒコが祀られているのでしょうか。千木の形から男神であることがうかがえます。
かろうじて案内札が下がります。
つい見逃してしまいそう(笑)
頭貫(かしらぬき)の先端に取り付けられた木鼻(きばな)。
ゾウの形をした象鼻ですね。
うん? 恵比須様でしょうか。
保食神社の方を向いています。
屋根を被った御神木。
どこか愛嬌を感じますね。
ここで90度曲がって拝殿へと続きます。
実はこの日、久しぶりに唐古鍵遺跡史跡公園を訪れました。道の駅に駐車し、ここまで歩いて来ました。かなり距離はありましたが、普段は歩かないエリアだけに新鮮に映りました。
伊勢降(いせふり)。
やはり名前に惹かれますよね。
次回は是非、女神に当たるという天理市庵治町の伊勢降神社を訪れてみたいと思います。