桜井市上之庄南垣内の殖栗(えぐり)神社。
由緒ある式内社ですが、地元の方以外あまり参拝者も見られません。イオン桜井店の南西方向に位置し、箸中付近から西へ分岐する国道169号線からも社叢が見えています。あるいは県道14号線からも、こんもりとした杜が東に見えます。
殖栗神社の本殿。
朱塗りの立派な本殿が建っていました。一間社・春日造銅葺の本殿です。
御祭神は殖栗王(えぐりのみこ)と天児屋根命。
天児屋根命は春日大社にも祀られる神様ですね。殖栗王は用明天皇の皇子です。さらに母は穴穂部間人皇女で、聖徳太子の同母弟に当ります。上之庄の地に、聖徳太子と血のつながりのある皇子が祀られていたのですね。
十ノ森の春日神社を合祀!明治初期までは三十八社神社
殖栗神社の創始年代は不詳です。
不明な点の多い神社ですが、どうやら上之庄に鎮座する十之森神社との関係は深いようです。
元来、殖栗神社はここになく、別の地に祀られていました。
明治初期までは三十八社神社と称していたようです。1907年(明治後期)に、十ノ森の春日神社を合祀して「殖栗神社」に改称した歴史があります。春日神社を合祀したのなら「春日神社」でいいのではと思いますが、殖栗神社となっています。その理由はどこにあるのか?
どうやら十ノ森の近くに、字江繰(エクリ)という地名があったようです。
殖栗神社の社号標。
東向きに式内社の石標が建ちます。上之庄の集落内にあり、上之庄に住む人たちにとっては産土神なんだと思います。
鳥居奥の右手に見えているのが拝殿です。
石燈籠の竿に「三十八社」と刻みます。
昔の名残ですね。
同じ桜井市内の大福に、三十八柱(みそやはしら)神社というお社があります。
三十八柱とは、宮中神36柱とイザナギ・イザナミの2柱を足した神々の総称です。殖栗神社の旧称・三十八社との関係はよく分かりませんが、何かの参考になるような気がします。
殖栗神社の石燈籠。
社号標近くの燈籠竿には、「殖栗神社」と記されていました。
殖栗神社の拝殿。
本殿に比べ、古色蒼然とした雰囲気です。
拝殿右奥へ通じる参道。
境内社の二社が祀られています。
左が稲荷社、右が春日社。
随分鄙びた雰囲気の社殿です。右側の石燈籠にも、「三十八社」の文字が見えますね。
何やら歌碑が建っていました。
鏡餅くし柿供之柏手を打てばひびきて色鳥も鳴く 柑子
静かな殖栗神社境内。
殖栗神社(えぐりじんじゃ)とは難読社名ですよね。
そもそも殖栗の端緒はどこにあるのでしょう。
『春日社記』を紐解けば、茨城県鹿嶋市の鹿島大神を大和へ奉遷する際に、随行の中臣時風・秀行に殖栗連の姓を賜ったことが記されているそうです。ここでも、春日の神に深く関係していることがうかがえます。