知恩院勢至堂!重文の勢至菩薩像

知恩院発祥の地を訪ねました。

その名も勢至堂(せいしどう)。

知恩院境内で最も歴史ある建築物で、重要文化財に指定されています。勢至堂の中には、法然上人の本地身(ほんじしん)・勢至菩薩像が祀られていました。法然上人は比叡山において「智慧第一の法然坊」と呼ばれ、勢至菩薩の再来と言われました。上人の幼名は勢至丸ですから、その知恵の深さがうかがえますね。

知恩院勢至堂

知恩院の勢至堂。

境内上段にあり、法然上人御廟の下手に当たります。

勢至堂の左手前には、与板大仏の仏頭があります。参拝客の多い中段エリアに比べ、水を打ったように静かな空気が流れていました。

知恩院阿弥陀堂!丈六御本尊と三門の意味
国宝の知恩院御影堂。その向かって左側に、1910(明治43)再建の阿弥陀堂があります。阿弥陀堂には知恩院の御本尊・阿弥陀如来坐像が安置されています。知恩院阿弥陀堂。桜の季節になると、華やかにお堂が彩られます。知恩院の境内は広く、実に甲子園球...

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吉兆の紫雲!阿弥陀如来の知恵の分身

勢至堂は1530年に再建されています。

法然上人が念仏を説いた大谷禅房の故地に建ち、別名を本地堂と言います。

元は法然上人像をご本尊としていたようですが、御影堂に遷されたため、上人の本地身である勢至菩薩像をご本尊としています。勢至菩薩と言えば、阿弥陀如来の脇侍ですよね。阿弥陀如来を中心に三尊形式で祀られ、向かって右手が観音菩薩で、左手に勢至菩薩という並びです。観音菩薩が阿弥陀様の“慈悲の分身”に対し、“智慧の分身”が勢至菩薩です。

法然上人像

上段へ向かう石段。

手を合わせるのはおそらく法然上人像でしょう、勢至堂へ通じる場所でお出迎えです。

知恩院の境内は上段、中段、下段に分かれ、どこかお城の構造を思わせます。知恩院は二条城と並んで江戸幕府のお抱えエリアです。所々に葵の紋が見られ、徳川家の影響下にあったことを偲ばせます。

知恩院勢至堂

石燈籠の竿に「勢至堂」の文字を刻みます。

建物入口には「本地堂」の額が掲げられていますね。

勢至堂は知恩院最古の建築物ですが、お隣の青蓮院の護摩堂を移築したものと伝わります。

紫雲水

紫雲水。

勢至堂向かって右側に、小さな池がありました。

紫雲(しうん)とは阿弥陀如来が乗る雲を意味しています。阿弥陀来迎図に描かれる紫色の雲ですね。念仏行者の臨終の際、阿弥陀仏が紫雲に乗って来迎します。二十五菩薩と共にお迎えが来る・・・これ以上にないお目出度い徴(しるし)とされました。

法然上人がお亡くなりになられたのは、西暦1212年の1月25日です。

上人が入滅する際、聖衆が来迎して紫雲が水面に現れ、芳香が漂ったという伝説があります。現代でも紫雲が立つと、徳の高い僧侶が亡くなったサインとされます。瑞雲(ずいうん)、慶雲(けいうん)、景雲(けいうん)とも呼ばれる吉祥ですね。

知恩院の紫雲水には、初夏になると天然記念物のモリアオガエルが産卵に訪れるそうです。

知恩院御影堂

知恩院御影堂。

平成大修理を終え、多くの参拝客を出迎えていました。

知恩院唐門

如意宝珠越しに唐門を見ます。

阿弥陀来迎図で思い出すのが、平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩です。

思い思いの楽器を奏でるなど、バリエーション豊富な格好で来迎する姿は印象的です。その中心にいるのが阿弥陀如来。知恩院にも阿弥陀如来坐像が祀られており、阿弥陀堂で拝ませて頂けます。東山連峰の東方を向いて坐し、西国にあるという極楽浄土を演出します。

阿弥陀堂の象

阿弥陀堂の外陣に象の置物がありました。

徳川家の葵紋がデザインされています。三つ葉葵の紋章を見ると、令和に生きる私たちでも背筋が伸びますね。

知恩院お参りの際は、是非上段の勢至堂まで足を延ばしてみて下さい。法然上人が最期を遂げた地で、各々何かを感じることができるでしょう。

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