十一面観音と梵字池の本光明寺@田原本町

八条のお大師さんと称される田原本町千代の本光明寺(ほんこうみょうじ)。

弘法大師空海の開基と伝わる本光明寺(勝楽寺)を訪れて参りました。本光明寺には重要文化財指定の木造十一面観音立像が安置されています。弘法大師ゆかりの梵字池(バン字池)やお隣りの千代神社など、その見所を幾つかご案内致します。

本光明寺本堂

本光明寺本堂。

本堂内には御本尊の弘法大師坐像(室町時代)や十一面観音立像(平安時代)が安置されます。

木造大師像の下顎には傷があるらしく、高田十郎編『大和の伝説』の信憑性をうかがわせて興味深いものがあります。

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弘法大師伝説と境内のバン字池

さて、『大和の伝説』に語り継がれる ”下顎の傷” とは一体どのようなお話なのでしょうか。

昔々のある日、庄屋が蛇を殺そうとしました。そこへ通り掛かった旅の僧が、「そんな殺生はおやめなさった方がよい」と戒めたと云います。注意された庄屋は立腹して、僧の下あごを鎌で切りつけたそうです。旅の僧は「お前の仕業は七代まで祟るぞ、八代目にしてやっと罪が消えるだろう」と言い残して姿を消したと伝えられます。

そこで大師堂へ行ってお祈りをすると、本尊の大師像の下あごから血が流れているではありませんか!さてはお大師様が化けておられたのかと、それからというものは一生懸命に信仰を捧げるようになったそうです。

本光明寺の梵字池

本光明寺のバン字池(梵字池)

秦楽寺(田原本町)のア字池、与楽寺(広陵町)のウン池と共に、「大和三楽寺の池」と呼ばれています。大和三楽寺とは、つまりお寺の名前に「楽」の付く三つのお寺ということなのですが、現在本光明寺のある場所には勝楽寺(しょうらくじ)というお寺が建っていました。

勝楽寺は明治7年に廃寺になっているのですが、明治31年に天理市の本光明寺を本地に移して再興しています。一時は途絶えた勝楽寺が再び息を吹き返すことになったのです。勝楽寺の開基は弘法大師と伝えられます。「八条のお大師さん」と親しまれる所以で、本堂安置の弘法大師坐像は勝楽寺の頃からここに祀られていました。

ところで、そもそも梵字池とは何を意味するのでしょうか?

アの梵字池は胎蔵界、バンの梵字池は金剛界、ウンの梵字池は蘇悉地(そしつち)を表しています。

梵字池は弘法大師空海が著した『三教指帰(さんごうしいき)』とも深く関わっているようです。弘法大師の三教指帰は、三巻から成る宗教色の濃い寓意小説です。儒教、道教、仏教の三教の内、仏教が一番優れたものであることが書かれています。

延暦16年(797)に完成した三教指帰ですが、その執筆場所が本光明寺から間近にある秦楽寺(じんらくじ)の池の畔だったと伝えられます。執筆中に蛙の鳴き声がうるさくてお叱りになった弘法大師。その後、蛙は鳴かなくなったと云います。

そこで、大師は池をア字の梵字形で作らせ、池の中に「三教島」を造ったそうです。バンの梵字池は広陵町の百済寺、ウンの梵字池は与楽寺の境内に掘らせました。ここまでの経緯を見ると、梵字池の御三家・大和三楽寺の池の内、勝楽寺(本光明寺)だけが抜け落ちていますよね。しかし、ここからさらにお話は続いていくのです・・・。

今から200年ほど前になって、百済寺の住職が百済寺梵字池のバンの字には、頭に「、」が抜けていたので「、」を付けて誤りを正すことを許されたそうです。弘法も筆の誤りといったところでしょうか。それから、弘法大師は勝楽寺に自ら四十二体の像を刻み、寺を建て、境内に梵字池を造成したと伝えられます。

本光明寺十一面観音立像

本光明寺の十一面観音立像

平安時代中期の仏像で、国の重要文化財に指定されています。

桂の一木造で、背面には内刳(うちぐり)が施されています。一木(いちぼく)の場合、長い年月の間にヒビが入る恐れがあります。重量軽減のメリットもあるのでしょう、背中には穴が開けられそこに背板が当てられています。

像高は174.5cmで、ほぼ成人男性の等身大です。彩色は後補ですが、板光背や台座は当初のものとされます。十一面観音を拝観する際にいつも思うのですが、御顔の上に乗る様々な表情をした化仏が気になります。正面から見ることのできない真後ろには、暴悪大笑面(ぼうあくだいしょうめん)がいらっしゃるはずです。悪への怒りが極まる余り、悪にまみれてしまった衆生の悪行を大口を開けて笑い滅するという笑顔。その大笑面を是非見てみたいのです(笑)

ちなみにこの十一面観音様は、天理市森本町にあったという本光明寺からこの地に移されています。

本光明寺の築地塀

築地塀の瓦。

山門周辺の瓦は新しく葺き替えられていましたが、この部分だけは随分歴史を感じさせますね。

本光明寺の行き方ですが、国道24号線から千代交差点を東へ入ります。車の往来が困難とも思える細い道に入って行くと、やがて左手に本光明寺の寺域が見えて参りました。残念ながらお寺の駐車場はありませんでした。仕方なく門前を通り過ぎ、ぐるっと南へ回り込んでスーパーTRIALの駐車場に車を停めます。そこであんパンを購入して腹ごしらえをした後、再び徒歩で本光明寺へ向かいました。

 

本光明寺山門

本光明寺山門。

近所の子供たちが境内で野球に興じていました。こういう光景は、なんだか微笑ましいですね。

本光明寺の十三重石塔

境内に入ると、本堂右手前に十三重石塔が建っていました。

その前には石灯籠が建ち並び、小ぢんまりした境内に心地よい秩序が感じられます。

本光明寺の十三重石塔

本光明寺の十三重石塔

壇上に高く聳え立ちます。その背後には、春日神社(千代神社)の建物が見えています。

石燈籠竿の弘法大師

本堂前の石燈籠、その竿の部分には「弘法大師」と刻まれています。

弘法大師の「法」の書体が独特ですね。通常は ”さんずいに土にム” ですが、この書体は ”さんずいに大にム” になっています。偉大な開基・弘法大師様が意識されているのでしょうか(笑)

千代鎮座の春日神社

本光明寺の東隣りには、南面する春日神社が祀られています。

お互いの境内を自由に行き来できるようになっていました。由緒は不詳ですが、どこか神仏習合の名残を感じさせます。

春日神社本殿

本堂前から右手に目をやると、お隣りの春日神社本殿が見えます。

旧八条村の村社で、春日四神を祀る神社のようです。

祠の中央が春日神社、右が千代神社、左はスサノオノミコトを祀る八坂神社です。そして、その前面に向かい合う格好で琴平神社と稲荷神社が祀られています。

春日神社鳥居

春日神社の石鳥居。

道路に面して瑞垣が張られ、その真ん中に春日神社の鳥居が建っています。正面には拝殿と狛犬が見えています。

千代神社

延喜式内社の千代神社と案内されています。

社号標には、御祭神・八千々姫命(やちちひめのみこと)と記されます。川西町の比売久波(ひめくわ)神社にも同名の神様が祀られています。そう言えば、比売久波神社の本殿が春日移しだったことを思い出します。比売久波神社本殿は春日大社摂社の若宮神社から移築されたものなのです。

春日神社境内

春日神社境内に一歩入ると、すぐ右手に八条村の歴史が案内されていました。

この辺りの地名は、現在「千代(ちしろ)」ということになっていますが、その昔は八条村と呼ばれていたようです。

大字八条

八条村の歴史解説パネル。

江戸時代の初め、八条村から阿部田村が分村する。明治8年(1875)に両村合村し千代村となる。明治22年(1889)に多村の大字千代となる。昭和31年(1956)に田原本町の大字になる。八条村とは、奈良時代の条里制で城下郡路東十八条一里に立地したことから、十八条から「十」を略した村名である。また、天平19年(747)の大安寺の記録によれば、当地に十市郡千代郷があり、神社の荘園であった。村屋神社の記録によれば、当地に千代神社があったが、天長年間(830年頃)の洪水により社殿が大安寺領に漂着し、そこで祀ったとある。しかし、地元の崇敬が厚く、大正9年(1920)には、当地の春日神社の境内社として祭祀を行っている。当地には古くから勝楽寺(しょうらくじ)があって明治7年(1874)に廃寺になったが、その由緒のため、明治31年(1898)に添上郡にあった本光明寺を勝楽寺跡に移して再興した。本光明寺の十一面観音立像は、平安時代中期の作で国・重要文化財。明善寺は、永正10年(1513)、僧空念の開基創立と伝える。妙称寺は、天文元年(1532)、僧達念の開基創立と伝える。極楽寺は、近在の大字の墓郷を管理した墓寺であり、本尊の阿弥陀如来立像は十三世紀の作。

宝暦3年(1753)、当八条村ほか八村が年貢の減免を求めて一揆をおこしたが、幕府の弾圧を受けた。当村庄屋山口与十郎はこの時、伊豆の新島に流されたが、その子庄右衛門が新島に渡って父を助け、安永7年(1778)に釈免されて帰郷した。庄右衛門の事跡は安永8年刊行の「八条ものがたり」に詳しい。

春日神社拝殿

春日神社拝殿。

千代には昔、荘園があって千代荘と称していました。

十市郡に属していた千代荘ですが、そもそも千代とは古代の代制(しろせい)のことではないかと思われます。一代が五坪を表す単位ですから、千代は五千坪に相当します。田植えの準備が整った田んぼのことを代田(しろた)と言うのですが、代(しろ)は何かに替えることのできる財産のようなもの。そう考えれば千代の地名からも歴史が偲ばれますね。

本光明寺の社号標

本光明寺の宗派は真言律宗です。

大和北部八十三番霊場の無量山本光明寺。

弘法大師が自ら彫った「八条のお大師さん」が人気で、毎年2月21日には初大師法要が営まれます。

本光明寺のバン字池

本光明寺の梵字池。

池の真ん中には島が造られていますね。いわゆる ”三教島” なのでしょうか?

本光明寺の瓦

境内の南西隅から長い塀が続いています。

国道24号線の千代から一本南側には千代八条の交差点があります。千代八条から東へ抜けると、県道14号線の味間西に通じています。今までに幾度となく国道24号線を通っていますので、「千代八条」という地名だけは知っていました。空海ゆかりのお寺が、橿原市寄りの田原本町に存在していたとは・・・改めて奈良の歴史の深さを知った次第です。

<本光明寺の拝観案内>

  • 住所  :奈良県磯城郡田原本町千代1159
  • 駐車場 :無し
  • アクセス:近鉄橿原線笠縫駅下車、北東へ徒歩10分