師走の語源は、てっきり僧侶が年の暮れに忙しく走り回ることに由来するものだと思っていましたが、諸説紛々色々あるということに最近気付かされました。
師走のなんばパークス。
12月になると、心なしか夜の街もせわしなく感じられるようになって参りました。
為果つる月に由来する「師走」という言葉
12月のカレンダーをめくるやいなや、身の回りの整頓をしたくなるのが人の性ではないでしょうか。身支度を整えて新年を迎えたいと思うのは誰しも同じことだと思います。一年間に溜まったほこりや穢れを祓い去り、綺麗な心身をもってお正月を迎える。年神様はそういう準備をしている人の所にしか降りて来て下さらないような気が致します。
リスタートを控えて、一度全てを為し終える。
そういう月こそが、12月の師走なのではないか。つまり、「為果つる月(しはつるつき)」が転訛して師走になったという説が浮かび上がります。
師走に訪れた若宮社。
大神神社の若宮様を祀る神社はひっそりと静まり返っていました。
「為果つ(しはつ)」は ”電車の始発” にも通じて語呂がいいですよね。終わりは始まりであり、始まりは終わりである。四季に恵まれた日本では、めくるめく繰り返してきた営みではないでしょうか。ループ状につながって、永遠に続いていく自然と人の営み。果てる月でありながら、同時にそれは始まりの序章でもあります。
ユニバーサルスタジオジャパンの2012年度のクリスマスツリー。
師走にはクリスマスという一大イベントが控えています。一年の締め括りに、家族やカップルで過ごすひと時は生涯忘れられない思い出になることでしょう。
橿原神宮の橘。
外拝殿向かって左側に橘の実が成っていました。
若宮社の本堂前にも橘の木が植えられていますが、向かって左側という位置取りは同じですね。
「為果つる月」という説を唱えた江戸時代の儒学者・貝原益軒。「養生訓」を著したことで知られる人物ですが、その後、明治時代の民俗学者である折口信夫は師走を「シハツ」の転とし、「しはす」は仕事が終わることを意味しているのではないかと述べています。
師走のUSJパーク内で、ゲストたちの目をくぎ付けにするスノーマン。
師走のことを極月とも申しますが、四季の果てる月を表す「四極(しはつ)」に起源を有するとする説もあります。
空気が乾燥する冬になると、火の元にも十分な注意が必要です。今の世からは笑い話になりますが、昔は12月に油をこぼすと火の祟りがあるという言い伝えがあり、こぼした人に水を浴びせて祟りを防いだ風習がありました。師走油(しはすあぶら)と名付けられた冷や水を掛けられた人はたまったものではなかったでしょうね(笑)
師走の海柘榴市に椿の花が咲いていました。
師走の最終日に当たる大晦日の夜には、全国各地で除夜の鐘が撞かれます。
古い年を除き去り、新年を迎えるという意味から「除日(じょじつ)」とも言われます。その夜のことを除夜、除夕(じょせき)と呼んでいるわけです。カレンダーの日めくりの31日をめくって、赤く顔をのぞかせる元旦の日付け。なぜか居酒屋ののれん越しに顔をのぞかせるお客様の姿が重なります(笑) 日本語というのは面白いもので、この「除く」も「覗く」もルーツは同じなのではないかと思わせます。
始発に乗り遅れないように、12月を身辺整理を為果つる月にして参りましょう。