夏の語源は『泥む』

日本には四季があります。

春夏秋冬それぞれに言葉の成り立ちがあり、その意味するところがあります。

春は芽吹きの季節で「張る」、秋は空高く「開く(あく)」、冬は増ゆ籠りの「増ゆ」とされます。では、夏の語源は何なのか?その由来を辿れば、どうやら「泥む(なずむ)」という言葉に行き着きます。

元興寺の蓮

元興寺の蓮。

武田鉄矢さんの『贈る言葉』の歌詞にもある「暮れなずむ町の」の「泥む(なずむ)」に当たる言葉です。

「泥む」は自動詞で、行きなやんだり、はかばかしく進まない状況を意味します。滞り拘泥し、物事を苦心しながら押し進めるといったニュアンスがあります。

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行く手を阻む夏!そこからスコンと明ける秋

水や草などに足腰を取られて、先へ進むのに難渋する。

確かに夏になれば、草はぼうぼうに生えて行く手を阻みますよね。

古墳探索のベストシーズンは草木の繁茂しない冬であり、夏の時期は避けたいところです。

唐招提寺の蓮

唐招提寺の蓮。

夏の池の水は淀んだ感じがするものです。

真夏の太陽に照り付けられて、どこか重たい感じがします。特に湿気の多い日本では、じと~っと纏わりつく夏は「泥み(なずみ)」そのものではないでしょうか。

夏の語源を暑いの「アツ」とする説もあるようですが、”泥む説” の方がどこか信憑性があります。

夏の終わりから初秋にかけて、心も体もす~っと軽くなったような経験があります。あの感覚は不思議ですよね。いつしか空も高くなったように感じられ、徐々に世界が開けてきます。まさしく「空く」「明ける」「開いた」感じに等しいでしょう。

商売のことを「商い(あきない)」と言いますが、これも秋に由来しています。

収穫の秋になると人々が集い、山、川、海や田畑で獲れたものをお互いに物々交換したのです。「秋におこなう」から商いなのです。

現代的感覚からいえば、夏は開放的で開けたシーズンのように思いますよね。秋はどちらかと言えば物悲しい季節です。でも、昔の人は少し違っていたのかもしれません。

”泥む夏” に “明ける秋” 、なかなか興味深い対比ですね。

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