天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)を御祭神とする等彌神社。
さかさモミジや献灯祭の紅葉ライトアップで知られ、上津尾社・下津尾社を中心に摂末社七社と桜井市護国神社が鎮座するお社です。桜井市立図書館の前に位置していることからも、休日の読書ついでに参拝する人も多いのではないでしょうか。
等彌神社の上津尾社拝殿。
拝殿の前には狛犬が陣取り、その脚には赤い紐が結び付けられています。注連縄の横の提灯には、等彌神社御神紋の三つ巴紋がデザインされています。紅葉の時期ということもあってか、境内のあちこちに綺麗な花が活けられていました。
一の鳥居は伊勢神宮内宮の鳥居
現在の等彌神社一の鳥居は、伊勢神宮内宮の鳥居を譲り受けたものです。
伊勢神宮の式年遷宮に伴って建て替えられた内宮鳥居。その古い鳥居の一つが、奈良県桜井市の等彌神社玄関口を飾っています。伊勢の式年遷宮の際に、等彌神社が伊勢神宮に譲渡希望を申請していたそうです。内宮正殿(しょうでん)の最も近くにあった中重(なかのえの)鳥居に当たるそうで、その神性の高さがうかがえます。
道路に面して建つ等彌神社一の鳥居。
この前の道を右へ進んで行くと、十一面観音の聖林寺、さらには関西の日光と称される談山神社へとアクセスします。
桧造りの一の鳥居は、高さ約6m・幅約8mの大きさです。譲渡されてきた ”お古の鳥居” とは思えないぐらいに綺麗です。この場所にはかつて鳥居がありませんでした。これからは ”等彌神社の顔” として参拝客を出迎えてくれることでしょう。
鳥見山霊畤(れいじ)の石標。
霊畤とは天地の神霊を祀る所で、「まつりのにわ」とも言われます。
「畤」という難しい漢字が使われていますが、そもそもこの「畤」には「止」の意味があります。神霊が止まる斎場といったニュアンスが伝わってきます。
等彌神社は神武天皇ゆかりの神社でもあります。
古事記に伝わる東征後、神武天皇は橿原市に於いて初代天皇として即位します。その時の大嘗祭が、意外にも桜井市で行われているのです。神武天皇が皇祖天津神を祀り、大孝を祈った聖地こそが鳥見山だったのです。
鳥見山山中は日本初の大嘗祭の場所である。そのことを踏まえると、等彌神社がパワースポットとして名高いことも納得がいきますね。
等彌神社社務所。
社務所前にも花が活けられています。
宇宙人にも似た土偶が受付所の棚に飾ってありました。
紅葉ライトアップで知られる等彌神社献灯祭のポスター。
11月末に催された献灯祭と紅葉のライトアップ。500基の行燈が参道を彩り、期間中にはコンサートや飲食接待なども行われます。紅葉が見頃を迎えるトップシーズンだけに、残念ながらまだ一度も献灯祭に訪れたことがありません。今後も難しいだろうなと思いつつ、昼間の紅葉で満足するようにしています(笑)
境内の子宝石や舞楽絵馬
一の鳥居をくぐると、すぐ右手に子宝石が祀られています。
どっしりとした感じではなく、どこかスタイリッシュな印象を受ける磐座です。
等彌神社の子宝石。
お参りの仕方はよく分かりませんが、この石を撫でて祈願するのかもしれませんね。
子宝石の周りには文人たちの句碑が建っています。
堀口大学や佐藤春夫の名前が見られますね。
手水舎の東側にある堀口大学の句碑には、「草もみぢ 友の聲かと 虫をきく」と刻まれています。さらに等彌神社の社号標近くの歌碑には、「さきに來て等彌の おん神おがみし 友につづきて われもおろがむ」と歌います。明治から昭和にかけての歌人であり、フランス文学者でもあった堀口大学が等彌神社を実際に訪れていたことがうかがえます。
神社入口近くの佐藤春夫の句碑には、「大和には みささき多し 草もミぢ」と歌われています。
この角度から子宝石を見ると、台座との接地面積がわずかであることが分かります。不思議な石ですよね、標石にはカッコ書きで「鎧」の文字が見えますが、これは撮影ミスですね(笑) 鎧の下が切れてしまっています。子宝石改め鎧石あるいは鎧岩でいいのでしょうか。
社務所に飾られていた舞楽の絵馬。
振鉾(えんぶ)と読みます。
厭舞(えんぶ)とも表記し、「厭勝(まじない)の舞」を意味します。舞楽の始めに邪気を払うために舞われる舞です。乱声(らんじょう)を奏し、左右一人ずつの舞人が常(つね)装束で鉾を執って舞います。絵馬に描かれた格好は、悪魔を調伏し、災いを消す姿と伝えられます。魔を祓うためなのか、その装束は赤い色をしていますね。
劇場版「境界の彼方」の絵馬。
「境界の彼方」は奈良を舞台にした鳥居なごむのライトノベルです。橿原市の久米町周辺や橿原神宮周辺の風景がモデルとして登場しています。橿原神宮には神武天皇が祀られており、神武ゆかりの等彌神社とも深いつながりがあります。
勾玉型のペーパーウェイトですね。
とみ山さんぽの案内です。とみ山さんぽとは、好きな古本を箱に詰めて持ち寄る販売イベントです。チョイスした本を通して初対面の人との会話が盛り上がり、フードやドリンク、さらには手作り雑貨なども彩りを添えます。神霊が止まる斎場で行われる古本市は、他の会場にはない魅力にあふれています。
風林火山、武田信玄ですね。
甲斐国総鎮護・武田神社の絵馬のようです。なぜ武田神社の絵馬が、遠く桜井の地に飾られているのか定かではありませんが、個人的にも好きな武田信玄にボルテージが上がります(笑)
こちらも舞楽絵馬ですね。
雅楽の一つである甘州楽(かんしゅうらく)が描かれているようです。6人または4人で舞う舞で、唐楽に属する平調(ひょうじょう)の曲として知られています。
二の鳥居前のストレリチア。
極楽鳥花の異名を持つ南アフリカ原産の花です。
南国の雰囲気たっぷりの花ですが、パッと見は本当に鳥の姿を思わせます。数年前にユニバーサル・スタジオ・ジャパンで初めてこの花を見た時の衝撃は忘れられません。よりによってジュラシックパークエリア内のレストラン近くに咲いていたのです。思わず始祖鳥かと勘違いしたのを思い出します(笑)
二の鳥居前には様々な花が飾られていました。
等彌神社といえば百合のイメージが強いのですが、こうやって寒い時期でも境内を彩ることができるんですね。関係者各位のご尽力に感謝申し上げる次第です。
往復2㎞の鳥見山ハイキング
鳥見山の西麓に鎮座する等彌神社。
桜井市の鳥見山は中世の鵄山(とびやま)城跡であったとも言われ、山中には鉄砲塚があるようです。また鳥見山の西麓を能登山と言ったことから、等彌神社のことを能登宮とも称します。
鳥見山稲荷神社の鳥居。
この朱色の鳥居が鳥見山登山の入口になっているようです。鳥居脇に案内板が出ていました。
往復約2㎞の鳥見山観光散策路が案内されています。
鳥見山は標高245m、面積約50ha余のなだらかな山容で、登るにつれ北に三輪山・南に音羽山系・東に外鎌山や初瀬谷などを眺めながら頂上へと至ります。途中、霊畤拝所(是より160m)、庭殿(同650m)、白庭(同890m)等を通り、山頂(同1,000m)に至ります。
古より多くの方々が登下山された道で、広葉樹林では春の新緑や秋の紅葉など四季折々の自然を満喫していただくことができる散策路です。また、万葉歌碑などを楽しみながら古代のロマンを味わっていただけます。植林された中を通過しますので、火の用心・ごみの持ち帰りなど、入山者は十分に気を付けてください。 鳥見山中霊畤顕彰会
片道1㎞のハイキングが楽しめるようです。
等彌神社の旧社地である庭殿、白山、祭場などはウォーキングの際の見所です。
数年前に途中まで足を向けたことがあるのですが、寒い冬の日だったため雪が積もっていたのを思い出します。足場が悪かったので引き返したのですが、鳥見山登山の所要時間は往復1時間ほどと言われます。
上津尾社前の弓張社側から続く稲荷社の鳥居をくぐります。
いつか時間に余裕のある時に登山も楽しみたいと思います。
上津尾社の鳥居と拝殿。
等彌神社の境内は大きく二つに分けて上ツ尾社と下ツ尾社に分かれています。その中でも上ツ尾社が本社に当たります。上ツ尾社の御祭神は大日孁貴尊(おおひるめむちのみこと)で、天照大神のことを指しています。
元来は鳥見山中に祀られていましたが、天永3年(1112)5月に大雨で山崩れが起こり、社殿が谷に埋没してしまいました。この年に悪疫が流行したため、9月5日に山の尾の現在の場所に遷座したと伝えられます。
拝殿右横の儀式殿。
拝殿向かって右隣りにあります。拝殿とは渡り廊下で続いており、おそらくこの場所で厳かな結婚式が執り行われるものと思われます。
儀式殿の中には絵が奉納されていました。
歴史の奥行きを感じさせる建物ですね。
「大孝を申ぶ」の石碑。
拝殿と儀式殿を結ぶ渡り廊下の前に、大嘗祭の際の御言葉が刻まれます。天孫が天下り、神武天皇がその意志を次ぐことになります。日本の国土に稲を植え付け、国民が食に困らなくなった ことを御親である天照大神に報告します。神武天皇以降、代々の天皇は即位後初めての新穀をお供えする大嘗祭、さらには毎年の新嘗祭を行う慣わしとなっています。
桃神池に映るさかさモミジ
池に映る紅葉。
等彌神社の見所の一つに、境内の桃神池に映る逆さ紅葉が挙げられます。桃神池の御祭神は意富加牟豆美命(オホカムヅミノミコト)とされます。あまり聞き慣れない神様ですが、桃の神様として知られます。
二の鳥居手前に「さかさモミジ」の道案内が出ていました。
ここから左手へ降りて行くと、左側に霊気に満ちた桃神池があります。
桃の絵と共に桃神池が案内されています。
池の中央には祠が祀られていました。
これが逆さ紅葉ですね。
ライトアップされた夜に見ると、またさらに綺麗なのかもしれません。逆さマッターホルンや逆さ富士はよく知られるところです。神の宿る山はどれも、水面に映し出されても神秘的な輝きを解き放ちます。水面に「映す」と言いますが、古代の人々は現物そのものがそこに「移されて」いると感じたのかもしれません。現身(うつしみ)は現世の人の身であり、生きている人を表します。つまり、実体そのものなのです。
水面に手を伸ばせば、実際に木の幹に触れることが出来ると感じていたのかもしれませんね。
もちろん、こちらが実体の紅葉です(笑)
この紅葉が桃神池に映し出されて、幻想的なさかさモミジが演出されます。
等彌神社の献灯祭・紅葉ライトアップには毎年数多くの参拝客が訪れます。
点火式に始まり、オープンカフェやピアノミニコンサートも開かれます。
さらには大根炊き、邦楽の夕べ(お能謡又は狂言等)、等彌神社 新嘗祭、衣冠束帯奉納着装(十二単)、青年部屋台村、衣冠束帯装束公開着装、参道周辺ブライダルフラワー展示、ブライダルイベント「花嫁行列」、模擬挙式(江戸時代から明治にかけての結婚式を再現)、餅投げ・お花のプレゼントと続きます。
拝殿では、土舞台ユーラシアアンサンブルが催され、第二鳥居前では和太鼓大美和奉納と、実に盛りだくさんのイベントです。
なぜか2,000年の歴史を持つ等彌神社にもよく似合います。
ストレリチアの花期は9月から10月とされますが、11月末に訪れた境内でも見事に開花していました。英名を bird of paradise と言うそうですが、まさしく言い得て妙ではないでしょうか。ちなみに花言葉は「気取った恋」とされます。スタイリッシュな花姿そのままの花言葉ですね。
猿田彦社と下津尾社
等彌神社には道祖神の猿田彦大神も祀られています。
奥行きのある境内には数多くの神様が祀られていましたので、順を追ってご案内致します。
二の鳥居をくぐってすぐ左手にある御祓戸岩。
祓戸社の代わりになる神石という位置付けでしょうか。紙垂が下がり、結界が張られていました。
しばらく進むと、左手に二手に分かれた杉の木が見えて参ります。
それほど大きくはありませんが、長谷寺の二本の杉を思わせます。
縁結び祈願の夫婦杉のようです。
夫婦円満の縁結びスポットですね。木の根元に鳥小屋のようなものが見えますが、これはお賽銭箱でしょうか。祓戸岩の前にもありましたね。
さらに進むと、左手に朱色の鳥居が見えて参ります。
猿田彦社ですね。
伊勢神宮から譲り受けた一の鳥居と同じく、神明鳥居のスタイルです。
十二支や方向の記された石盤。
猿田彦社の鳥居手前に置かれていました。
道先案内人の猿田彦にちなむものなのでしょうか。気になる来年は申年ですが、「氣門」と出ていますね。その意味するところは何なのかと考えてしまいます。
下津尾社の鳥居と拝殿。
猿田彦社とは反対の右側参道沿いに佇みます。
下津尾社の御祭神は品陀和気命(ほむだわけのみこと)と天児屋根命(あめのこやねのみこと)です。
左殿に春日社(高皇産霊神・天児屋根命)、右殿に八幡社(神武天皇・応神天皇)を祀ります。
下ツ尾社拝殿前にも、わずかに黄葉が残っていました。
明治期以前の能登宮(等彌神社)は、下ツ尾社が祭祀の中心だったと伝えられます。現在では上ツ尾社がその中心となり、下ツ尾社は末社の位置付けになっているようです。
保田與重郎の歌・棟方志功の画による石碑。
下ツ尾社拝殿から左奥に足を伸ばすと、棟方志功の画が刻まれた石碑が建っています。
不遇時代の棟方志功は、桜井出身の文人・保田與重郎の手厚い援助を受けたそうです。そのことへの感謝の印なのでしょう、棟方志功の意思でこの歌碑の画が描かれています。
「神苑一煌」と刻まれた石灯籠が建ちます。
石碑の前の石が気になりますね。明日香村の飛鳥坐神社境内で見たならば、これは間違いなく陰陽石なのですが、果たしてその正体は何でしょうか?単なる石にしては、どこか造形の意図が感じられるのです。
石碑の左奥に見えている社殿は蛭子社ですね。
蛭子社。
えびす神社にも色々な表記があります。恵比須神社、恵比寿神社、戎神社、夷神社、そして蛭子神社と・・・それぞれに大した違いはないのかもしれませんが、「蛭子」と書けば、古事記に伝わる水蛭子(ひるこ)のことが頭をよぎります。
水蛭子(ヒルコ)は伊邪那岐と伊邪那美が結ばれて最初に生まれた子供の名前です。
骨の無い子だったため、葦で編んだ小舟に乗せて流されるという運命を辿ります。海を漂流した後、ヒルコはエビス神として戻って来たと言われます。エビス様の元のお姿こそが、ヒルコその神様であったことを銘記しておきたいと思います。
金毘羅社。
再び猿田彦社から上ツ尾社へと続く参道に戻ると、金毘羅さんが祀られていました。
さらに歩を進めると、左手に愛宕社が祀られています。
祠の前には「愛宕山大権現」の社号標が建ちます。
参道沿いの石灯籠に、緑色の綺麗な苔が生していました。
鬱蒼とした杜の中に鎮座する等彌神社ならではの光景です。神域にはいつも何かが生み出されるチカラが宿ります。
紅葉ライトアップの照明器具。
上ツ尾社の拝殿前に、夜の紅葉を映し出したであろう照明器具が置かれていました。
宿泊施設を経営している関係上、なかなか夜間の外出がかないません。そのため、等彌神社の紅葉ライトアップもまだ見たことがありません。いつかはきっとと思うのですが、なかなか実現しないのが現状です。
上津尾社拝殿の中。
紅白の鈴緒が垂れ下がる向こう側に、祈祷を受ける際に座る椅子が置かれています。
拝殿右手前には御神木が祀られています。
献灯祭・紅葉ライトアップと同時開催で、桜井の本町通1~3丁目では「ソラほんまちフェスタ」も開催されました。
桜井駅前の商店街も高齢化の波が押し寄せているのか、年を経るごとに寂しくなってきましたが、こういったイベントを機に活気が生まれるのはいいことですね。
延喜式内社の等彌神社。
等彌神社へのアクセスは、JR桜井駅から多武峰行きバスに乗車して、図書館前の「神の森バス停」下車すぐとなっています。バスでの所要時間は5分ほどですので、駅から徒歩で向かうことも可能ですね。マイカーでお参りされる方には無料駐車場(普通車40台)も完備されています。
平成27年5月4日のGWに盛大に執り行われた一の鳥居竣工奉祝祭。この場所に鳥居が建ってまだ半年余りですが、すっかり等彌神社の顔として定着した感があります。