天武天皇と医薬の神を祀る櫻木神社。
宮滝方面から吉野山へ抜ける道中に鎮座しています。
皇室をはじめ、徳川将軍家や紀伊藩、大和高取藩、郡山藩からの崇敬も篤かったと言います。奇岩の集まる柴橋エリアから徒歩圏内です。宮滝遺跡からも歩いて行ける距離ですので、是非皆さんも一度お詣り下さい。
桜木神社鳥居と御神木。
象の小川に架かる木末橋を渡ると、鮮やかな朱色鳥居が出迎えてくれます。清々しい川音に身をゆだね、古代への扉を開く瞬間です。
桜木神社由緒と喜佐谷の地名由来
宮滝遺跡前の古民家カフェ『弓絃葉(ゆずりは)』で一服し、桜木神社を目指しました。
喫茶店のオーナーに色んな話を聞かせて頂き、予備知識を得ることが出来ました。宮滝遺跡からは柴橋を渡って桜木神社に向かいます。道中には「夢のわだ」や「うたた寝橋跡」があります。地図を片手に、見学しながら向かうのがおすすめです。
櫻木神社の社号標。
象の小川を左手に見ながら山道を登って行きました。麓から5分余りだったでしょうか、程なく桜木神社に到着します。この手前に公衆トイレがあり、駐車場も完備されていました。
象の小川。
桜木神社のお膝元を流れる清流です。
「象(きさ)の中山」の裾を縫って本流吉野川へ注ぎます。水源は“青根が峰”のようです。
樹齢800年の御神木と拝殿。
拝殿は昭和26年(1951)に改築されているようです。
幹を巻く注連縄に紙垂が下ります。
御神木の高さは40m弱のようですね。大杉の背後は苔生し、鬱蒼とした杜の中を感じさせます。
拝殿の奥に本殿。
その右脇は境内末社でしょうか。
稲荷神社と大山祇神社がご奉祀されているようです。
元禄15年(1702)に造営された桜木神社本殿。
千木は外削ぎで男神ですね。
御祭神は三柱で、少彦名命(すくなひこなのみこと)と大己貴命(おおなむちのみこと)、それに天武天皇を祀ります。スクナヒコナにオオナムチと言えば、医薬の神です。
檜皮葺の本殿は、向千鳥破風造りの様式。極彩色の流造がとても美しく映えます。
石燈籠の灯り。
これはおそらく桜木神社の御神紋でしょう。名前の通り“桜”ですね。
桜木神社の歴史を紐解くと、第36代孝徳天皇の大化年中に遡ります・・・
この地方に悪病が流行したようです。そこへ大きな象に乗って天下った神様がいらっしゃいました。その神こそが、医薬の祖神と言われるオオナムチとスクナヒコナの二神です。それから時は下り、壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)が大友皇子に攻められた際、吉野離宮のあった宮滝から「象の小川」の奥地へと追い詰められました。桜の大木の陰に身を潜めた大海人皇子は、危機一髪で難を逃れたと伝わります。その後、飛鳥の浄御原宮で即位することになる天武天皇。
吉野の桜木神社は、天皇即位への道のりを物語る場所として貴重ですね。
山部赤人の万葉歌碑がありました。
み吉野の 象山(きさやま)の際(ま)の 木末(こぬれ)には 幾許(ここだ)も騒(さわ)く 鳥の声かも
「幾許(ここだ)」とは、副詞的に用いる上代語です。
程度や量について、甚だしい様子を表します。鳥がかまびすしく鳴いているのでしょう。木末(こぬれ)は枝の先端のことで、いわゆる梢ですね。
宮滝遺跡から望む象山(きさやま)。
多くの歌人が詠った山です。吉野川を挟んで宮滝遺跡の対岸にそびえます。
『和名抄』によれば、材木の木目模様を木偏に雲と書いて「橒(きさ)」と読みます。雲のように波打つ木目模様・・・同じく正倉院宝物の象牙文様も、波状の縞模様を成す木目に似ています。おそらくそこから、「象谷(きさだに)」と称したのでしょう。
スマイルバス「喜佐谷下」のバス停。
桜木神社から降りて来た所に停留所がありました。この辺りの地名を喜佐谷(きさだに)と言います。S字カーブを描きながら蛇行する喜佐谷。
桜木神社参拝の後、高滝を目指して山道を登りましたが、くねくねと曲がりくねっていました。木目模様のような象牙に由来する「象山」を実感します。
「吉野宮滝万葉の道」沿いの公衆トイレ。
この奥にも、桜木神社の専用駐車場がありました。
桜木神社の周辺地図。
現在地が桜木神社を示し、吉野山へ抜ける道中が案内されています。喜佐谷多目的研修会館、高滝、稚児松地蔵、如意輪寺を経由して吉野山の中心エリアへ入って行きます。
この後、上流へ向かって車を走らせましたが、高滝の手前で通行止めになっていました。ロープが張られているところを見ると、事前の通行許可が必要なのかもしれません。
屋根の付いた橋を渡り、境内へと入ります。
木末橋(こぬればし)。
この下を「象の小川」が流れています。
万葉歌人の大伴旅人も“象の小川”を詠っています。
昔見し 象の小川を 今見れば いよよ清(さや)けく なりにけるかも
今も昔も変わらず、象の小川は清らかなようです。
鳥居下の手水処。
手水舎の柱も朱に塗られていました。
こぬれ橋を渡り、振り返ります。
清流は音がいい。
静寂を助長するような響きに身を任せます。
岸の岩にも苔が生えます。
自然そのものが味わえる空間です。
向こう側の下流へと流れる象の小川。
この流れが吉野川と合流するポイントが「夢のわだ」です。淀んだ淵は、見るからにミステリアスでした。「柴橋」袂の宮滝展望台からも見ることができます。
すみません、ブログでは音が伝わりませんね(笑)
鳥居下から覗く御神木。
そんなに広い境内ではありませんが、「象の小川」も桜木神社の一部のようなものです。
せせらぎの音の届く範囲であれば、桜木神社の神域と言ってもいいでしょう。
拝殿左から上がっていく石段があります。
確認し忘れましたが、上の建物は神饌殿かもしれません。
境内末社のようですが、やや左の社殿が大きいですね。
右手前に山部赤人の歌碑。
斜めのアングルで、主要な社殿を収めることができました。
本殿下の狛犬。
本殿は瑞垣に守られています。
拝殿から鳥居へ振り返ります。
柴橋から登って来る道中にも万葉歌が(^O^)
瀧の上の 三船の山に 居る雲の 常にあらむと 我が思はなくに
天武天皇の第6皇子・弓削皇子(ゆげのみこ)の歌です。この歌を詠んだ後、ほどなく亡くなったそうです。自分の死を間近に感じていたのでしょうか。
中荘地区まちづくり協議会の寄贈によるものです。
国道沿いに中荘(なかしょう)温泉があり、この中荘という地名にも見覚えがありました。そう言えば、古民家カフェで頂いた地図も「中荘マップ」でした。
史跡宮滝遺跡の向こうに聳える三船山。
柴橋から見ると、東南方向の山です。象の小川をはさんだ対岸には象山が聳えています。象山と三船山は、いずれも万葉歌人が愛した山です。
桜木神社周辺は、どっぷりと古代史に浸れる場所でした。カフェオーナーとも約束しましたが、また宮滝エリアに足を運ぼうと思います。それだけの魅力に溢れています。