稲渕棚田の間近にある塚本古墳。
墳形は方墳で、被葬者は蘇我氏関連の人物ではないかと言われます。
朝風峠から下って来た辺りに石材が露出していました。飛鳥川上流域に築かれた古墳で、築造年代は7世紀前半とされます。玄室奥壁には楔(くさび)を打ち込んだ跡が見られました。
稲渕の塚本古墳。
封土は失われ、羨道部もほぼ消滅しています。かろうじて玄室奥壁とその東壁が残存していました。案山子ロードで知られる稲渕は、日本の原風景が残る棚田で知られます。何度も足を運ぶエリアではありますが、今回が初めての見学になります。
塚本古墳の行き方!飛鳥川に架かる南渕橋から脇道へ
巨石墳ということで、そんなに迷うこともないだろうと高を括っていました。
古墳への最終コーナーで、農道のような脇道に入ることを覚えておきましょう。
塚本古墳を発見し、見学を終えた後に一旦石室を見下ろす上手へと上がります。
道の左手に露わになった横穴式石室の石材が見えていますね。あれが塚本古墳です。
稲渕の休憩所。
おトイレが設置されていました。道の向こうに見えるのは稲渕の勧請縄です。車を休憩所近くに路駐し、歩いて塚本古墳へ向かいます。
「現在地」と書かれているポイントが休憩所です。
ここから左へ下って行く道に入ります。峠を越えて、キトラ古墳や亀石方面へ続く車道ですね。
ちょっと間違えやすい分岐点。
ここを左へ下るのではなく、矢印方向へ進み、すぐに左へ降りて行きます。きれいにカーブを描く車道が見えていますが、あの道を行きます。
道中に咲いていた花。
あまり見慣れない花ですね。訪れたのは4月下旬で、春爛漫の飛鳥を楽しみました。
朝風峠へ向かう道を進みます。
左手に三角形の木が見えていますが、その手前の脇道を左折します。
ここです。
この坂道を上がって行くと、やがて塚本古墳が右手に見えてきます。
ありました、ありました。
探し求めた塚本古墳(笑)
塚本古墳からは家形石棺も発見されているようです。
玄室南端から羨道部にかけ、棺台を伴う家形石棺が見つかっています。玄室奥壁は巨石の二段積みで、南東に開口する両袖式横穴式石室とのことです。
飛鳥川に架かる南渕橋。
古墳の帰り道に撮影しました。アクセスの際にはポイントになる橋です。ついうっかり “案山子ロード” の道へ入る人も多いのではないでしょうか。塚本古墳へ向かうためには、南渕橋の架かっている道を選択します。橋の名前の由来は、おそらく南淵請安だと思われます。
石舞台古墳からさらに上手へ、奥飛鳥の入口付近に佇む塚本古墳。
封土を消失し、石材が露出している点では石舞台古墳とも似ています。
ただ天井石を失っているのは残念ですね。
すぐ背後は農地です。
ちょっと脇道に入る。私にしてみれば、たったこれだけのことでなかなか見つけられなかった古墳です。不思議なものですね。
周囲に溶け込んでいます。
長い年月を経て、人々の生活圏に取り込まれていった古墳なのでしょう。
整備されていないありのままの姿。
石棺には二上山鹿谷寺付近の凝灰岩が使われていたようです。
来た道を振り返ります。
見晴らしのいい場所です。被葬者のことを思ってか、古墳の築かれる場所は概ね視界良好です。
おそらく今は、農家の方の通勤路。
その脇道沿いに、時代に取り残された石室を見学することが出来ます。