ならまちの毘沙門町に、江戸時代後期の町家があります。
登録有形文化財に指定される正木家住宅で、現在は奈良女子大学の「奈良町セミナーハウス」として利用されています。元興寺極楽坊から南へ下った場所にあり、ならまちのほぼ中央に位置しています。
正木家住宅「奈良町セミナーハウス」。
普段は玄関が閉ざされていることが多いのですが、この日は開放されていました。中を見学できるのかなぁと、足を踏み入れます。係の方が竈(かまど)で仕事中でしたが、許可を得て中に入らせて頂きました。
つし二階の虫籠窓!主屋に残る診療所の面影
正木家住宅は江戸時代の町家で、かつては診療所や乾物問屋、カメラ店などを営んでいたようです。
橿原市にある今井町の町家は何度もお邪魔したことがありますが、奈良町の町家は数えるほどしかありません。さすがに歴史を感じさせる造りで、なかなか見応えがありました。
正木家住宅の中庭。
建物奥の蔵から主屋(しゅおく)へと通じる回廊です。廊下沿いに幾つかの扉が付いていました。
正木家住宅の主屋(しゅおく)。
診療所だった過去を踏まえると、手前の間が待合室で、奥の間が診察室でしょう。かつての診察室はフローリングだったようで、パイプ椅子が複数並び、今はミーティングルームのような空間が広がります。
奈良町セミナーハウスの厨子二階(つしにかい)。
二階部分に虫籠窓が付いています。
つし二階とは、天井の低い二階部分のある建物を意味します。中二階(ちゅうにかい)とも言い、住居スペースと言うよりは倉庫的な役割を担っていたようです。正木家住宅の二階には、カメラケースやフィルムが残されており、カメラ店を営んでいた歴史がうかがえます。
連子格子に案内板が付いていますね。
毘沙門町の由来。
毘沙門天を安置した毘沙門堂がこの町にあったので町名となったと言われている。この堂にあった諸仏は現在この近くの法徳寺の寺仏となっている。信貴山の本尊であった毘沙門天は兵乱で持ち出され、このあたりの芝生に捨てられていたのを町の人が安置したという。 奈良町座
ならまちの法徳寺と言えば、五髻文殊で有名なお寺ですよね。
坪庭のようなスペースもありました。
ここがかつての待合室だとすれば、患者の気持ちをほぐすには十分だったでしょう。
土間の方へ振り返ります。
土間には昔ながらの竈が設えられています。土間との間の一室は、かつての受付所でしょうか?ガラス戸に向こうを覗き見る”透け”が付いていますね。事務方が診察の様子をうかがい、順番待ちのコールをしていたのかもしれません。
主屋の奥座敷。
床の間や書院風の違い棚も見られます。
床の間は大切な空間ですから、竿縁天井の竿は床の間に対して直角に付いています。
物入れの地袋(じぶくろ)ですね。
右隅にあるのは囲碁盤でしょうか。
地袋のスペースが末広がりになっています。
角度を付けた遊び心が感じられますね。
奥座敷のさらに奥には、中庭を挟んだ蔵がありました。
この造りは見覚えがあるなぁと記憶が呼び覚まされます。母方の実家が、ちょうどこんな感じでした。
主屋から蔵へと通じる廊下。
幼い頃の記憶を辿れば、この右手には”ポットン便所”があり、蔵のある場所には寝室がありました。もちろん、ここは正木家住宅ですから同じ間取りではありません。
廊下の突き当りは、かつてのレントゲン室のようです。
いいですね、この鄙びた雰囲気。
蔵の入口。
当然のことですが、厳重に施錠されていました。
再び主屋に戻って、ガラス戸に施された意匠に注目。
あまり見慣れない文様ですね。
さすがに天井が高い!
剥き出しの梁も相まって、歴史の重さをずっしりとこの身に感じます。
昔の箪笥。
今はもう、使われていないことでしょう。
玄関入ってすぐ右手には、屋根瓦が展示されていました。
こういうのを軒丸瓦と言うのでしょうか、吉祥の巴紋が見られます。
土間の竈でせっせと作業なさっていました。
割とこの空間は明るいですね。
町家には付き物の箱階段。
収納スペースを兼ねた合理的な階段です。
奈良女子大学奈良町セミナーハウスの案内書。
2004~2005年度の地域貢献特別支援事業で、奈良町の町並み保全、活用支援事業に取り組み、奈良町空き家調査を通じて、奈良女子大学が毘沙門町に立地する正木家所有地の町家を「奈良町セミナーハウス」として当面10年間利用させていただけることになりました。
この建物は、かつて乾物問屋を営んだりまた二階に残るカメラケース、フィルム、また正木氏の話からカメラ店を営んだ時期があることが分かります。
さらに、それ以前の一時期、診療所に利用していたことがあり、この時の改造があります。表の2室は床を下げていて洋風の内装になっており、おそらく受付・事務所と待合室であると考えられます。座敷の手前にあるフローリングの部屋は診察室、通土間の一番奥にレントゲン室があります。
建築年代は確かな資料はありませんが、構造の様子、座敷の構えから、明治時代中期と考えられます。外観はつし二階で虫籠窓を設け、軒高さが低いので建築年代に比べると古風で江戸時代後期の様相となっています。
正木家住宅の見取図と共に、その歴史が案内されています。
かつては診療所として利用されていたことが、ここにも記されていました。
平成17年に奈良女子大学が借り受けた歴史的建造物は今もなお、多くの歴史ファンを魅了し続けています。