奈良国立博物館で開催中の『法徳寺の仏像』展へ行って来ました。
奈良町にある法徳寺にはお参りしたことがなかったのですが、貴重な仏像を多数所有するお寺のようです。特に印象に残ったのが、五つの髻(もとどり)を頭上に戴く五髻文殊(ごけいもんじゅ)です。
法徳寺五髻文殊と地蔵菩薩立像。
かなり厳しいお顔をなさっています。
五髻文殊は全ての文殊の本体とされ、頭上の五髻は五智五仏を表します。童子形には天真の意味が込められ、その左手には梵筐(ぼんきょう)をのせた蓮華茎が握られます。五髻文殊は鎌倉時代以降に広がりを見せたスタイルで、法徳寺の文殊菩薩坐像はその逸品として知られます。
奈良国立博物館で鑑賞する興福寺千体仏
今回の特別陳列では、五髻文殊のみならず、様々な南都伝来の仏像を拝ませて頂くことができました。
冒頭の五髻文殊の左に写っているのは、平安時代の地蔵菩薩立像です。
この地蔵菩薩立像は、明治39年(1906)に興福寺の境内で撮影された仏像写真の中にも見出され、興福寺伝来のものであることが分かっています。その立ち姿は実に美しく、静かに瞑想するお顔の中に引き込まれていくようでした。
奈良国立博物館。
地下のレストランやミュージアムショップへと続くスロープを下ります。
折り返します。
この右手がレストランで、その奥にミュージアムショップがあります。奈良国立博物館は地下回廊によって、なら仏像館・青銅器館とつながっています。
『法徳寺の仏像~近代を旅した仏たち~』の宣伝ポスター。
凛々しい五髻文殊の右隣りには、子供向けのチラシが置かれていました。夏休みということで、展示物に子供向けの解説が付いています。自由研究の題材にもなったかもしれませんね。お釈迦様の入寂シーンを描いた「仏涅槃図」には、嘆き悲しむ様々な動物が描かれていました。
普賢菩薩が騎乗する象の牙は計6本なんですね。今回の仏像鑑賞で改めて知りました。
眉間にしわを寄せ、その上に白毫が見られます。
五髻文殊は獅子の上に乗ることも多いようですが、法徳寺の五髻文殊は右の足裏を上に向ける坐像スタイルです。
衣の文様がわずかに残っていますね。
本来は法徳寺の本堂に安置される仏像です。
ならまちに佇む法徳寺山門。
地蔵信仰の十輪院の西隣りに当たります。
宗派は融通念仏宗で、平安時代後期の阿弥陀如来立像を御本尊とします。奈良国立博物館からもそう遠くはありません。徒歩で向かうことも出来ますので、ご興味をお持ちの方は是非。
奈良国立博物館の観覧券。
一般の入館料は520円でした。このチケットで特別陳列展の他にも、なら仏像館を見学することができます。
興福寺千体仏と観音菩薩立像。
興福寺に伝わる千体仏ですが、その内の20体が法徳寺にあるようです。平安時代の菩薩立像で、各々にお顔の表情や仕草も違っていました。
奈良国立博物館の館内は、重厚な扉でそれぞれの展示室がつながっており、建築物としても大変貴重です。展示スペースの途中には、休憩室も設けられていました。その休憩室が、これまた歴史の重みを感じさせる”濃密な空間”です。
鎌倉時代の持国天立像と増長天立像。
躍動感あふれる四天王像です。
奈良国立博物館の鑑賞を終え、八窓庵(はっそうあん)を望む庭園へと降りて行きます。
ガラス張りの向こうに庭園、その手前には図書コーナーが設けられていました。
外へ出て、庭を望みます。
まじまじと仏像を見つめ、解説の文字を追いかけていたためか、ここへ来ると少しホッとします。
あれが八窓庵でしょうか。
かつて興福寺大乗院の庭園に建っていた茶室です。
奈良国立博物館にもこんな場所があったんですね。
おそらくここへ足を運んだのは初めてでしょう。
個性豊かな仏像です。
ならまちの奈良市十輪院町にある法徳寺。
観光寺院ではありませんので、拝観を希望される方は事前に拝観予約が必要です。拝観料も志納とのことです。こうして今回は奈良国立博物館でお会いすることになりましたが、普段は小さな境内の法徳寺にいらっしゃる仏像です。
5つの髻(もとどり)が可愛らしい。
頭髪には幾つもの筋が見られます。
興福寺の阿修羅像もその異形ぶりで知られますが、こちらの文殊様もなかなかのものです。表情が少し怖いですが、可愛らしい頭髪が補って余りあります。
ここで、またともに祈ろう。
額の上の「如意」を思わせる”渦巻き”がまたいいですね。
奈良国立博物館前の看板。
東大寺方面へ続く地下歩道を抜けると、いつものように展示内容が紹介されていました。一通り鑑賞を終え、仏像たちの普段の居場所である法徳寺へと向かいます。
法徳寺毘沙門堂。
山門のすぐ左手にあります。
奈良市指定文化財の法徳寺木造阿弥陀如来立像。
法徳寺は17世紀初頭に、倍巌上人が再興し融通念仏宗の寺となったと伝えられています。
本堂の阿弥陀如来立像は、おだやかな表情をなし、肉どりがゆるやかで、衣の襞も浅く整った形に刻まれているなど、12世紀ごろの特色がよく表れた仏像です。
左側の毘沙門堂には、毘沙門天立像や弁才天坐像などが安置され信仰を集めています。明治初期まで北西隣の毘沙門町にあり、町名もこれに由来するといわれています。
毘沙門町の由来は、この毘沙門堂にあったのですね。
毘沙門堂前の石標。
「毘沙門天」と刻みます。
毘沙門堂の中には、信貴山寺伝来の毘沙門天立像(室町時代)が祀られています。玉眼入りの迫力ある毘沙門天様のようです。この他にも8本の腕を持つ弁才天坐像、厨子に入った愛染明王坐像が祀られます。
弁財天の木札ですね。
弁天さんは江戸時代の仏像です。
法徳寺観音堂。
阿弥陀三尊像をはじめ、西国三十三箇所の観音像が安置されます。
法徳寺本堂。
山門を入って真っ直ぐ突き当りに位置します。
屋根の妻には、火難除けの懸魚が見られますね。本堂内には、ご本尊の厨子入り阿弥陀如来立像が祀られます。
本堂左手前のお堂。
こちらは位牌堂でしょうか。白壁に花頭窓が付いています。
本堂前の石仏群。
足を踏み入れることのなかった法徳寺境内ですが、色々興味を引くものが見られます。次回は是非、事前に電話予約をして訪れてみようと思います。
本堂右手前の庫裏。
蟇股の意匠が素晴らしいです。
うん?これは何でしょうか。
今回は奈良国立博物館でお会いした五髻文殊ですが、ひょっとすると余所行きのお顔だったのかもしれません。綺麗なガラスケースの中に収まる五髻文殊もいいですが、普段着のままのお姿も見てみたいものです。
法徳寺本堂の中の五髻文殊。
少しはリラックスしていらっしゃるのかもしれませんね。