かつて三輪山の弥勒谷にあったという石棺。
「ミロク谷石棺」とも呼ばれ、その内の一つには阿蘇ピンク石が使われています。
文字通りピンク色の石で、阿蘇山の噴火で流れ出た火砕流が固まり形成された溶結凝灰岩です。金屋の石仏のお堂下に置かれていることを知り、訪れてみることにしました。
阿蘇ピンク石を使った石棺。
家形石棺の蓋石です。外側には四つの縄掛突起が付いており、5世紀末頃のものと推測されています。
阿蘇ピンク石は熊本県宇土市馬門(うとしまかど)で産出されることから、馬門石(まかどいし)とも呼ばれます。近畿や瀬戸内エリアでは石棺材として使われていました。穏やかな航路の瀬戸内海を通って、馬門石が行き来していたことがうかがえます。
山の辺の道のお土産に!印を結ぶオリジナル商品『金屋の石仏』
金屋の石仏から少し北へ行くと、焼き物屋さんがあります。
オンリーワンの焼き物を販売する『やきもの うめだ』さんです。山の辺の道沿いの小屋の中で、静かな印相の金屋の石仏が売られていました。日本最古の道でこんな素敵な出会いがあるとは(^^♪
金屋の石仏の焼き物。
向かって左が弥勒菩薩で、右は釈迦如来ですね。
細部に至るまで如実に再現されています。特に二体の印相の違いがはっきりと見て取れます。弥勒菩薩が施無畏印と与願印を結び、釈迦如来は説法印を結んでいます。瞑想するような目に自分を重ね合わせれば、自然と心も落ち着きますね。
金屋の石仏のお堂。
かつては野晒しだったと伝わりますが、頑丈なコンクリート造りの堂内に安置されていました。
金屋区会所。
磯城瑞籬宮跡から金屋の集落へと入って行きます。程なく左手に見えてくるのが金屋区会所です。
建物の前に建つ「青面金剛(しょうめんこんごう)」の石碑。
梵字も刻まれていますね。
青面金剛は庚申待(こうしんまち)の御本尊です。人間の体内に棲むという悪い虫・三尸(さんし)を押さえる神と仰がれていました。
金屋区会所の木札。
寄合いの場なのでしょうが、この時はひっそりとしていました。
丁字路を左に曲がって歩を進めます。
行く手に見えるお堂が金屋の石仏ですね。
阿蘇ピンク石の蓋石。
浅古の兜塚古墳の石棺にも阿蘇ピンク石が使われています。
兜塚古墳は明らかにピンク色をしていましたが、ミロク谷石棺の方はどうでしょうか。わずかにピンク色を残す程度でしょうか。この他にも、箸中の慶運寺石棺仏、杣之内の東乗鞍古墳などにも阿蘇ピンク石が使用されています。
金屋の石仏。
堂内にカメラを向けます。
格子状の柵の向こうに祀られています。
供花に前掛けと、地元の人に愛されている様子が伝わります。
もう一つのミロク谷石棺。
こちらは阿蘇ピンク石ではないようです。四角い穴が開けられていますね。
横殴りの雨でない限り、通常の風雨は防げるでしょう。
巨石が二つ置かれた金屋の石仏のお堂下。
よく注意して見ないと、見落としてしまうポイントですね。
山の辺の道の公衆トイレ。
金屋の石仏の向かって左隣に設置されています。
山の辺の道のルート案内です。
北へ600mで大神神社、南東へ500mで海柘榴市観音と案内されています。大神神社や海柘榴市観音にもおトイレのあることが記されます。
それにしても可愛い!
他所では買えないオリジナルの置物です。
山の辺の道の記念グッズとして人気が出そうです。
耳の不自由な人にご利益があるという金屋の石仏。耳の病気平癒に買い求めるのも良さそうです。店頭でまったりした時間を過ごしながら、阿蘇ピンク石にまつわるおみやげも見てみたい気がしました。全国的にも貴重な石材です。しかも、その石材を使った棺が目の前に安置されているのです。ピンク色の釉薬って無いのかなぁと、勝手な想像を膨らませます。
金屋の石仏の見学ついでに、是非『やきものうめだ』さんへも足を運んでみましょう。