橿原市の鳥坂(とりさか)神社を訪れました。
鳥坂神社のある場所は、県指定史跡・益田池堤跡のすぐ南側です。益田池堤跡から県道133号線(戸毛久米線)を挟んだ南方の高台にひっそりと鎮座していました。
鳥坂神社拝殿。
正面に短くて太い注連縄が掛けられています。
切妻造り瓦葺拝殿の前には、二体の狛犬と二基の石燈籠が見られます。
大伴氏が神武東征の功により賜った築坂邑
近鉄橿原神宮前駅から西へ伸びる県道133号線。
今回私は明日香村方面から新沢千塚古墳群を目指しました。
国道169号線を西へ横切り、久米御縣神社の東を南進してそのまま右へ折れます。しばらく戸毛久米線を西へ進んで新沢千塚古墳群に辿り着きました。古墳公園内の「龍の広場」を見学した後、折り返すように宣化天皇陵まで歩きます。天皇陵からさらに来た道を戻ると、左手に益田池堤跡が見えて来ました。
以前から気になっていた益田池堤跡ですが、その堤跡から道を挟んだ向かい側に、こんもりとした杜が見えます。これは神社に違いないと思い、向かってみることに致しました。
鳥坂神社拝殿内の奉納絵馬。
切妻造りの屋根下に、歴史を感じさせる絵馬が掲げられていました。
宣化天皇陵から県道133号線(戸毛久米線)を東へ向かいます。
街路樹の下にはキバナコスモスが咲いていました。
行く手右側に緑の杜が見えていますが、どうやらあれが鳥坂神社の神域のようです。
道中にあったバス停。
奈良交通バスの停留所「鳥屋」ですね。
一つ東側のバス停は「船付山口」のようです。
この船付山(ふなつきやま)という地名も気になります。
益田池の台石説も囁かれる益田岩船のある場所でもあります。実際には船付山バス停から南へ距離がありますが、益田岩船を築いた所が船付山村だとも言われています。
築坂邑伝承地の石碑。
県道沿いの曲がり角に石碑が建っていました。
大伴氏の本貫地を示しているようです。
かの有名な神武東征の際、大伴氏の遠祖・日臣命(ひのおみのみこと)が大来目を率いて山を踏み分け、宇陀までの道を通したと伝えます。この功により道臣(みちのおみ)の名を賜わったというのです。神武即位の翌年には、道臣命は築坂邑(橿原市鳥屋町付近)に宅地を賜わることになります。
書紀・神武天皇2年条によれば、
春2月2日、天皇は論功行賞をおこなわれた。道臣命(ミチノオミ)は宅地(イヘドコロ)を賜り、築坂邑(ツキサカムラ)に居らしめられ特に目をかけられた
と記されています。
「築坂(つきさか)」で思い起こされるのが、宣化天皇陵のある桃花鳥坂(つきさか)という地名です。
ツキは桃花鳥(トキ)を表わし、今の橿原市鳥屋町付近を指しています。「神武紀」の築坂邑と古代地名・桃花鳥坂はおそらく同一地域を表わすものでしょう。
県道から鳥坂神社へ上がって行く道中、虫食いの葉に出くわします。
葉脈が綺麗に浮かび上がり、ここまでくると芸術ですね。
緩やかな坂道を道なりに登って行くと、左手に白橿幼稚園が見えてきます。元気な園児の声を聞きながら、右前方の地道を登ります。坂道を上がった右手に鳥坂神社の境内がありました。
鳥坂神社社号標と鳥居。
第28代宣化天皇陵のことを「身狭桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのえのみささぎ)」とも言います。桃花鳥坂(つきさか)という地名にも、ちゃんと ”鳥坂” が入っていることに気付かされますね。
拝殿右手前にあった神籬。
玉垣に囲まれた御神木が手厚く祀られています。
かなり強固な瑞垣です。
四方には注連縄も張られていました。
榊でしょうか。
今は切り株の状態ですが、少し前までは高木が聳えていたようです。
境内社の数々。
拝殿の両側には、弁才天社をはじめ計9社の末社が祀られています。石燈籠が建つのみで、社殿は見当たりません。
拝殿前。
鳥坂神社の御祭神は豊受比咩命とされます。
真ん中に注連縄が吊るされていました。
いつも思うことですが、注連縄は雌雄の蛇が絡み合う姿なのでしょうか。注連縄の「シメ」は「占め(しめ)」であり、”過半数を占める”など「占有」を表わす言葉だと聞いたことがあります。
俗界と聖域を分ける結界にある注連縄は、確かに神の領域を占有しているのかもしれません。
拝殿の奥に本殿らしき建物も見えます。
紅白の鈴緒が下がっていますね。
本来であれば、あそこまで進み出ることが出来るのでしょう。
阿形の狛犬。
狛犬の足の紐は、止め事成就を祈願するものと言われます。
消息を絶った人の足が止まり、再び家に戻って来ますように・・・あるいは禁酒、禁煙が成功しますように。さらには、受験のすべり止めや、悪所通いの足止めにも願掛けがなされたようです。
鳥坂神社の手水舎。
手水石の模様が印象に残りますね。
県道を挟み、向かい側にある益田池堤跡。
鳥坂神社の参拝を終え、坂道を伝って県道まで下りて来ました。
鳥坂神社周辺には幾つかの観光スポットが散らばります。北東方向には久米寺、西へ向かえば『歴史に憩う橿原市博物館』、南へ足を向ければ小谷古墳にアクセスします。主に大和八木駅を発着点とする橿原市の観光ですが、かなり広域に見所が散在しています。
県道の戸毛久米線沿いも面白い!そう思わせてくれる散策コースでした。