奈良県橿原市小綱町に鎮座する入鹿神社。
小綱(しょうこ)という地名は、当麻寺と長谷寺を結ぶ横大路(伊勢街道)と南北に走る矢継街道との十字路に当たります。古代交通の要所であった場所に、蘇我入鹿と素戔嗚尊を御祭神とする入鹿神社が佇みます。
入鹿神社の拝殿。
大化の改新の際に首を斬られた蘇我入鹿。飛鳥板葺宮に於いて中大兄皇子や中臣鎌足らに倒された時、入鹿の首が小綱町まで飛んできたことから、この地に祀られていると伝えられます。
頭痛に霊験あらたかな入鹿神社
首を斬られた蘇我入鹿にちなみ、首から上の病にご利益があると言われています。
飛鳥板葺宮で斬首された入鹿の首は、飛鳥寺の西方~現在の入鹿の首塚がある辺りに飛んで行ったのではないか?ふとそんなことを思いました。そもそも言い伝えは、それを語り継ぐ地域の人々によって形成されていくものなのかもしれません。色々な伝説があって、歴史ロマンがさらなる深みを帯びていきます。
近鉄八木駅南口を降りた所に周辺の観光地図が案内されていました。
八木西口駅の横を通って、入鹿神社や人麿神社を歩くルートが描かれています。この通りに入鹿神社を目指したつもりだったのですが、途中で迷ってしまいました。結構分かりづらい場所にあります。道行く人に入鹿神社へのアクセス方法を聞いたのですが、ほとんどの方がご存知ではありませんでした。どうやら地元の人にもあまり知られていない神社のようです。
飛鳥川沿いを行ったり来たりしながら迷い込んでしまいましたが、何とか入鹿神社の道標を見つけることができました。道標にも案内されていますが、入鹿神社本殿は橿原市指定文化財として知られます。
この角を左に曲がれば、入鹿神社に辿り着きます。
近鉄大和八木駅からの所要時間は徒歩で10分と、入鹿神社のパンフレットには案内されています。石標には「大日如来」とも刻まれています。入鹿神社拝殿の右斜め前に佇む正蓮寺大日堂には、重要文化財の大日如来座像が安置されています。
右手に入鹿神社本殿の背後が見えて参りました。
このまま右手に入って行くと、乗用車約5台収容の小さな駐車場があります。
菜の花と正蓮寺大日堂。
入鹿神社本殿の裏手に回ると、菜の花や寒桜が咲いていました。
首から上の病に霊験あらたかな入鹿神社。
「首から上」というキャッチフレーズから、吉野の脳天大神を思い出します。金峯山寺蔵王堂の下手に鎮座する脳天大神は合格祈願のお社としても人気を集めています。入鹿神社には入試合格を祈願する参拝者はいらっしゃらないのでしょうか。
橿原市指定文化財の入鹿神社本殿。
全体的に室町時代の風格を漂わせる建造物として、昭和55年3月17日に橿原市指定文化財となりました。御神体は木像の素戔嗚尊立像と入鹿大臣坐像、さらには神石も奉安されています。
入鹿神社拝殿前の狛犬。
鶏、多武峰、小原を恐れた小綱の人々
蘇我入鹿は鶏鳴を合図に首をはねられたと言い伝えられています。
そのため、入鹿を崇敬する地元住民は鶏を飼わなかったそうです。鶏が引き金を引いた乙巳の変。入鹿の運命を終結させた鶏に対する恐れを抱いていたのでしょうね。
入鹿神社と正蓮寺大日堂。
蘇我入鹿暗殺に関わった中臣鎌足。
その鎌足を祀る多武峰へのお参りには覚悟が必要だったのではないでしょうか。小綱で生まれた者が、多武峰へ参ると腹痛が起こるという言い伝えも広まりました。また明日香村小原は中臣鎌足の母の出生地だということで、小綱町と小原は縁組みをしないという伝説も残されています。
綺麗な蝋梅の花が咲く明日香村小原。
数週間前に小原を訪れたばかりだったので、妙にリアルなお話として伝わって参ります。
橿原市周辺は蘇我氏ゆかりの地として知られます。
蘇我、曽我という地名が今も残ります。小綱町に隣接する曽我町には、蘇我馬子が創建した宗我都比古(そがつひこ)神社が鎮座しています。蘇我氏の始祖を祀る神社として、歴史ファンからも熱い注目を集めています。
入鹿神社参拝案内
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橿原市指定文化財 入鹿神社
住所:奈良県橿原市小綱町14
拝観料:無料
駐車場:境内隣に約5台
アクセス:近鉄大和八木駅下車、南口より西へ徒歩10分 近鉄大和八木駅南出口より南へ約50mのセブンイレブンを右折、飛鳥川を超えて突き当りT字路を左折。