蘇我氏由縁の宗我都比古神社

橿原市曽我町に鎮座する蘇我氏ゆかりの宗我都比古神社

かつて曽我町には蘇我一族の居館があったと伝えられます。地元民から「曽我さん」の愛称で親しまれる宗我都比古(そがつひこ)神社は、遥か推古天皇の御代に蘇我馬子が社殿を造り、石川宿禰(いしかわのすくね)夫妻を祀ったのがその起源とされます。

宗我都比古神社拝殿

宗我都比古神社の拝殿。

ソガの用字には色々あるようですが、神社名には「宗我」、地名には「曽我」、人名には「蘇我」が用いられます。蘇我馬子創建の「宗我都比古神社」には、神社名ということで「宗我」が使われているようです。

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長い参道の宗我都比古神社

道路に面した鳥居をくぐると、拝殿まで真っ直ぐに長い参道が続きます。

直線の参道はやはり気持ちがいいものです。戦艦大和で知られる大和神社の参道は、その巨艦の長さと等しく鬱蒼とした杜に覆われています。その点、宗我都比古神社の参道脇には民家も見えていたりして、生活空間に近い神社を思わせます。

宗我都比古神社の百度石

宗我都比古神社の百度石

参道向かって右脇にお百度参りの百度石がありました。

拝殿からこの地点までの往復は相当な距離がありそうです(笑) 参道脇には石灯籠も見られます。

宗我都比古神社の車止め

鳥居を抜けるとすぐに、車止めの札が参道真ん中に立てられています。

宗我都比古神社の前は車の往来が激しい道路です。真菅駅に近いということもあり、駅を利用する乗降客の姿も見受けられます。車道の脇に拝殿が見えたら、思わずそのまま進んで行ってしまいそうです。それを未然に防ぐための車止めのようです。

宗我都比古神社の鳥居

踏切近くの車道から宗我都比古神社を望みます。

鳥居向かって右側に社号標が建ち、その背後に狭いスペースの駐車場が用意されています。

古語における「ソガ」は、清々しいを意味する「スガ」にも通じています。

播磨国風土記を紐解くと、「吾が意(こころ)宗我宗我志・・・」という記述が見られます。お察しのこととは思いますが、気持ちが晴れやかで清々しい様子を、この場合「宗我宗我志」と表現しているのです。山野に自生する菅(すげ、すが)は、古来より神聖な植物と見なされてきました。笠や蓑の原料とされてきた菅草(すがくさ)ですが、そこには清新なイメージも重ね合わせられたものと思われます。

鳥居から一直線上に見える拝殿は、まさしく清々しい風景です。

真菅という地名も、宗我や菅草に関係していることは言うまでもありません。

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歴史を感じさせる大神輿収納殿

宗我都比古神社の境内にはお神輿も奉納されていました。

神社の歴史を辿れば、かつて飛地境内までの1.3㎞を渡御する神輿渡御が行われていたことが分かります。

秋季祭期間の10月10日より17日まで、宮座四座の各当家宅において小神輿を祀ります。17日の宵宮祭には、御神体を大神輿に担いで曽我町集落内の御旅所(飛地境内)まで渡御します。ご神職は終夜御神体を守り、翌18日神社に還幸するという流れです。なお、この御旅所への神輿渡御だけは昭和37年以降廃止されているようです。

宗我都比古神社の御神体とは一体何なのでしょうか。

神輿収納庫

大神輿収納殿。

「大和志」によると、「曽我村の北に在り。今(享保年間)入鹿宮と称する」とあります。その創祀については、「五群神社記」に「推古天皇の御代に蘇我馬子が武内宿禰と石川宿禰を祀って神殿を蘇我村に造営した」と記しています。宗我都比古神社は二体の木像神像を御神体としているようです。境内は中曾司遺跡の中心地で、その付近にはソガドン塚・鳥居脇塚などの小さな古墳があります。

神輿収蔵庫

大神輿収納殿の石碑。

御神体を神輿に載せて渡御していた時代が蘇ります。

宗我都比古神社の神紋

シャッターに宗我都比古神社の木瓜紋が描かれていました。

御神紋ですね。

宗我都比古神社の神輿

これが大神輿でしょうか?

御神体を担ぐ渡御祭は全国各地の神社に見られますが、どこのお社でも御旅所までの道程には数多くの参拝客が詰め掛けます。概ね一年に一回だけ、いつも居る場所から小旅行に出かける神様。たまの外出とあって、神様もきっと心がウキウキする一日なのではないでしょうか(笑) 残念ながら現在は廃止されてしまった、宗我都比古神社の御旅所への神輿渡御。いつか復活される日は来るのでしょうか。

宗我都比古神社本殿

宗我都比古神社の本殿。

玉垣に囲われた本殿は、少々見えにくい場所に鎮まります。

宗我都比古神社拝殿

こちらは拝殿。

蘇我氏の祖・武内宿禰の子である石川宿禰が河内から移り住んだ時、石川姓を蘇我姓に改め、以後一族の姓としたと伝えられます。橿原市内には蘇我入鹿を祀る入鹿神社もありますが、橿原市は立地的にも明日香村に近く、蘇我氏ゆかりの石舞台古墳や甘樫丘はよく知られるところです。

宗我都比古神社の狛犬と祓所

拝殿前の狛犬。

石灯籠の向こうに、樹木の生えた玉垣が見えます。何か神聖な場所を想像させますが、どうやら祓所のようです。

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境内に祀られる八大夫稲荷神社

宗我都比古神社の境内には、お稲荷さんも祀られています。

拝殿向かって右手前に鎮座する八大夫稲荷神社。

八大夫稲荷神社の鳥居

八大夫稲荷神社の鳥居。

鳥居が幾重にも重なり、京都伏見稲荷の千本鳥居を思わせます。

八大夫稲荷神社

朱色の鳥居額束に「八大夫稲荷神社」と書かれています。

稲荷神社ということで、やはりそのご利益は商売繁盛なのでしょうか。

八大夫稲荷神社

真ん中に八大夫稲荷神社、向かって左側に戎神社、右側には八坂神社が祀られます。

これらの三社はそれぞれ、宗我都比古神社末社の位置付けです。

八大夫稲荷神社の戎社

戎神社には大国主命と事代主命が祀られています。

恵比須さんといえば事代主なのですが、こちらの社殿には大国主も合祀されているようです。親子の関係にある大国主と事代主ですが、三輪坐恵比須神社境内にも仲良く祀られていることを思い出します。

宗我都比古神社の手水

手水舎の龍と、宗我都比古神社の小さい駐車場。

仏教擁護派の蘇我氏に仏教排斥派の物部氏。舶来の宗教であった仏教をめぐり、両氏の間で戦いが繰り広げられました。日本史の教科書でもおなじみの出来事ですが、その蘇我氏のルーツに触れる神社がここ橿原市曽我町に鎮まります。

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