平城宮跡に四天王が降臨する奈良大立山まつり。
初詣シーズンを終え、節分までの閑散期に当たる1月末から2月初めにかけて、奈良の新たな伝統行事が産声を上げました。その名も「大立山(おおたてやま)まつり」。四天王を模した大型灯籠・大立山の運行をはじめ、奈良県内各地の伝統行事が一堂に会するお祭りです。
大極殿前のステージで、広陵町の戸閉祭だんじりが演じられます。
箸尾だんじりでお馴染みのお神輿が、掛け声と共に舞台上で躍動します。
奈良の冬のイベントといえば、若草山焼き、東大寺二月堂修二会(お水取り)、なら瑠璃絵などが知られていますが、また新たに誘客イベントが誕生しました。奈良の地元に根付く「立山」とは、人形(ひとがた)などを身代わりにして厄落としをする風習を意味します。上半期の穢れを祓う茅の輪神事なども厄払いの行事ですが、一年の始めに無病息災を祈る大立山まつりにも似たような願いが込められています。
四天王の山車が見所
奈良大立山まつりの見所は、何といっても巨大四天王の山車ではないでしょうか。
照明装置の仕込まれた四天王山車の大きさは、高さ約7m・幅約9mにも及びます。祭典期間中の5日間、毎日19時30分から行灯奉納、大立山巡行とスケジュールが組まれています。
ライトアップされた四天王の増長天。
増長天は南の方角の守護神とされます。大極殿院内に入ると、手前左側に増長天の山車が陣取っていました。
四天王のそれぞれの位置を覚える語呂合わせを思い出します。
「地蔵買うた」(笑) なんだか罰当たりな語呂合わせにも思えますが、覚えやすかったのか未だに脳裏に焼き付いています。地蔵買うたに従えば、持国天、増長天、広目天、多聞天の順番になります。東の守護神・持国天、南の増長天、西の広目天、北の多聞天と続きます。ちなみに多聞天は、戦いの神様・毘沙門天の名でも知られる四天王です。
こちらは西の守護神・広目天ですね。
巻物を手にする姿が特徴的な四天王です。
東大寺大仏殿の中にも、厳めしい表情の広目天様がいらっしゃいますよね。さすがに悪鬼もたじたじといった感じですが、大立山まつりの広目天も実に凛々しいお姿です。国宝居並ぶ東大寺戒壇院の四天王を拝観してから、平城宮跡の会場に足を運んでみてもいいでしょうね。四天王一色に染まる一日になることでしょう。
大立山まつりのアクセス方法
今回、私は大立山まつりの会場である平城宮跡へバスで向かうことに致しました。
奈良県肝入りのイベントということもあり、車だと渋滞に巻き込まれる可能性もあるかなと思いました。結果から言えば、さほどの混雑も無かったかと思われます。なにせ会場は広大な敷地面積を誇る平城宮跡です。そこそこの人が集っていたとしても、入場者同士の肩が触れ合うこともなく、至って平穏無事なイベントデーとなりました。
奈良大立山まつりには無料シャトルバスが運行しています。
バスの発着所はJR奈良駅西口の12番乗り場です。近鉄奈良駅からも出ているかなと思って駅観光案内所の方にお伺いしたのですが、無料シャトルバスは近鉄西大寺駅発かJR奈良駅発のみとのことでした。
イトーヨーカドーのカード会員専用のバスもここから出ているようです。
バス乗り場の向こうに見えている建物は、JR線路沿いにあるホテル日航奈良です。
15時過ぎにバス乗場に到着してしばらく待っていたのですが、なかなかバスが来なかったためスマホで時刻表をチェックしました。なんと始発は16時のようです。私が訪れたこの日は、16時30分から大立山まつりがスタートする日です。祭りの開始時刻に合わせて発車するようですね。16時以降は約20分間隔で運行が繰り返されます。
私が乗車した16時発の便は、第一便ということもあってか50名の収容人数一杯いっぱいでした。平城宮跡までの所要時間はわずか10分ほどです。途中で停車するバス停もなく、平城宮跡まで直通で運んでくれます。
JR奈良駅西口のバスターミナル見取図。
ぐるっと左へ回り込んだ所に12番乗場があります。
ちなみに帰りの最終便は21時とのことでした。さすがに真冬のだだっ広い平城宮跡で21時まで滞在する自信もありません。最終便のことなど気にせず、とにかく一通り楽しめたら帰路に着こうと思いました。
平城宮跡に到着し、バスから降りて大立山まつりの行われる会場を目指します。
昨日の雨がまだ残っているようですね。かなりの量の水たまりが見られました。
バスが到着する場所は、遣唐使船が展示される平城京歴史館の近くです。そこから大極殿まではちょっとした距離があります。アクセスの途中には、近鉄電車の踏切もあります。線路を超えて北へ、ひたすら真っ直ぐにメイン会場を目指します。
行く手に近鉄電車の架線が見えていますね。
左側通行を促す立看板がありました。もうしばらくすると、祭へ行く人と祭りから帰って来る人が行き交うことになるでしょう。中央ラインは引かずとも、往路と復路を意識的に分ける試みのようです。
まだまだ先です。
テントの張られた通路も用意されていました。降雨の際は足場も悪くなりますからね、悪天候に備えた通路はありがたいです。
おや?これは遣唐使船の模型でしょうか。
周りには照明設備が見られます。夜を迎えて暗くなると、綺麗にライトアップされるものと思われます。
その時を待ちます。
これだけ広い場所に展示されていると、”大海原を漂う船” といった趣ですね。
ようやく中央エントランス付近までやって参りました。
ここまで来て一つ気付いたことがあります。意外にも外国人観光客の姿をあまり見かけませんでした。事前の宣伝活動も十分だったかとは思うのですが、東大寺門前に群がる多くの外国人観光客を見慣れていると、ちょっと拍子抜けしたような感じがします。さすがに寒風の中、平城宮跡まで足を伸ばすのは億劫に感じられるのでしょうか。
かく言う私も、今回の大立山まつり見学は早々と18時30分頃に終えています。大立山4基が会場内を練り歩く19時30分以降になると、狙い澄ましたかのように外国人観光客が押し寄せていたのかもしれません。寒さに怖気づき、早々に退散してしまった私には知る由もありません(笑)
立山展示とあったかもんグランプリ
大立山まつりの会場は、大極殿院内と院外に分かれています。
大極殿の塀の外では、あったか料理やゆるキャラが集合して多くの人で賑わっていました。
中央エントランスの右手前に立山が展示されていました。
写真撮影OKのようです。
かぐや姫の立山展示。
奈良県の広陵町はかぐや姫の里として知られます。今回の大立山まつりのステージ上では、広陵町から広陵金明太鼓と戸閉祭(だんじり)が奉納されます。
つい先日、桜井市商工会で観光課の集いに出席したのですが、残念ながら桜井市からのイベントエントリーは無かったようです。来年以降も予定されている大立山まつりに向けて、桜井市発の伝統行事もPRが待たれるところです。
名札にかぐやちゃんと書かれていますね。
そのモチーフは、もちろん竹です(笑)
こちらのブースでは、広陵町大垣内の立山まつりが案内されていました。
「古事記編纂1,300年余」と題し、天岩屋戸のシーンが再現されていました。
天照大神と天手力男神(あめのたぢからお)のようですね。
筋骨たくましいタヂカラオが見事に表現されています。
古事記といえば太安万侶ですよね。
天平の貴族と題する立山。
長屋風に仕切られた白いテントブース内に、様々な格好をした立山が展示されていました。
大立山まつりの「あったかもんグランプリ」。
真冬のイベント会場には有り難い、温かい食をテーマにしたあったかもんグランプリ。奈良県内の各市町村が、地元食材を使い様々に工夫を凝らした料理でもてなします。1食300円の割安料金で、色々なあったか料理を楽しむことができるイベントです。リーズナブルな価格ゆえ、食べ比べてみるのも面白そうですね。
大極殿院内は飲食が禁止されています。
マナーを守って楽しみましょう。
露店の前には、飲食専用のテントも設けられていました。もちろん立ち食いもOKですが、テント内の方が少しは暖が取れそうです。
ぼんぼりのような照明器具が備え付けられています。
此処は薄暮の平城宮跡大極殿院前。祭りの前の静けさとよく言いますが、そんな言葉はどこ吹く風といった感じで、祭典前から辺りは大変賑わっていました。
おトイレは大極殿向かって左手前にあります。
大極殿院内ではなく、塀の外に用意されています。大立山まつりの会場は体が冷え込みますから、おトイレの場所は事前に確認しておきましょう。
常設トイレの背後には簡易型トイレもありました。
イベントごとには必須のおトイレですね。
下市町マスコットキャラクターのごんたくん。
左目の下の黒子(ほくろ)が魅力的です。
観光大使のごんたくんですが、そのネーミングは「ごんたくれ」に由来するようです。「義経千本桜」三段目に登場する ”いがみの権太” なのでしょうか。お付きの方からGontakunと記された名刺のようなものを頂きました。肘をついて寝そべるごんたくんのイラスト入りで、メッセージを書き込むための余白が設けられています。よく見てみると、裏側がシールになっていて貼り付け可能のようです。
ごんたくんの他にも、何体かのゆるキャラ達があったかもん広場の周辺で記念撮影に応じていました。
梛の木に特別奉納する大極殿院内
さぁ、いよいよ大極殿の領域内へ入ります。
大極殿院内では飲食禁止だったりおトイレが無かったりと、さすがに聖域が守られているようです。
時期的に見ても、大立山まつりは初詣の総決算に当たります。四天王の山車にばかり目を奪われがちですが、本来は無病息災や平和を祈る神聖な場です。それぞれの願い事を届ける特別奉納受付もありますので、希望される方は是非この機会にどうぞ。
院内に入ると、まずこの看板が目に飛び込んで参りました。
「大極殿へは、左側(西側)からお入りください」。どうやらイベント当日も、大極殿の中を見学できるようですね。
大極殿院内の南西方向に立つ増長天。
大相撲の土俵に例えるなら、南を守護する朱雀の「赤房下」に相当しますね。増長天を囲む四角い枠の部分も赤色にデザインされています。
山車の足元に置かれているのは重しでしょうか。
大立山巡行を控え、この場所にスタンバイしているわけですが、勝手に動き出してもらっては困りますからね(笑)
こちらは北の方角を守る多聞天。
同じく土俵に例えるなら、玄武の黒房下に当たります。黒房下と言っても、濃い紫色をしていることが多く見られます。多聞天の山車を見ても、確かに濃紫色にデザインされていることが分かります。
山車に近づいてみます。
多聞天の文字の横に描かれているのは、おそらく亀と蛇を模った玄武ではないでしょうか。高松塚古墳やキトラ古墳の四神壁画でおなじみの神様ですよね。
ライトアップされた多聞天!
四天王の中でも単独で祀られることのあるのは多聞天だけだと聞いたことがあります。かの聖徳太子も感得した神様です。威風堂々としたそのお姿に、しばらく時を忘れて見入ります。
南北の守護神を拝んだ後、さらに大極殿方向へと歩を進めます。
大極殿院内の北東方向に構える持国天。
こちらは東の守護神・青龍に相当します。土俵における青房下なわけですが、緑色にデザインされていますね。まぁ、信号の青と同じと考えればいいでしょうか。大極殿を背景に収める位置に陣取っているのがポイントです。
大型の照明設備も整っています。
夜になってライトアップされると、さぞ荘厳な雰囲気に包まれることでしょう。
かなり明るい照明です。
持国天の山車を拝んだ後に振り返ったのですが、目がヤラレてしまいそうなほどの明るさでした(笑) 視線の中に入らないよう注意が必要かもしれませんね。
腰をくねらせて独特のポーズを取ります。
その足元には、邪鬼が踏みつけられています。
持国天の文字の横に注目です。
やはり四神の中の東の守り神・青龍が描かれているようです。
山車の周りにも少しずつ人が集まって来ました。
大立山まつりは、3時間半から4時間の間行われています。開始時刻の16時30分(土日)や17時(平日)は日没前です。まだ明るい空の下でも、四天王の大立山を堪能することができます。
広陵町の櫛玉比女命(くしたまひめのみこと)神社に伝わるだんじり神輿です。
17時30分からの出番に備え、既にステージ横にスタンバイしていました。
こちらが梛(なぎ)の木です。
大極殿前の両サイドに3本ずつ、計6本の梛の木が四角い木枠の中に立っていました。木枠には結界を示すバッテン印が二重にデザインされていますね。
梛の木に300円の初穂料で願い事を括り付けます。
こんな感じですね。
神社仏閣でもよく見られる光景ですが、平城京大極殿を背景にこの風景に出会うとは(笑) しっかりと梛の木に括り付けて祈りを捧げます。
「結ぶ」という言葉を思い出しますね。
結びの語源は、「霊(ひ)を生す(むす)」にあると言います。尊く玄妙な霊を生みだしていくプロセスには、言葉では言い表せない各々の思いが込められています。
梛の葉は熊野詣でのお守りにもなったそうです。
その頑丈な葉は、なかなか裂くことができないことから縁結びの象徴ともされています。困難をなぎ倒し、平穏無事な「凪」にも通じている大変縁起のいい木です。
京都哲学の道の起点に鎮座する熊野若王子神社には、御神木として梛の木が祀られています。私も訪れたことがありますが、大変立派な御神木だったことを思い出します。
奈良大立山まつりの特別奉納はこの他にも、大立山運行の際の行燈奉納儀式参加が用意されています。こちらは2,500円と少々お高めですが、本格的に大立山まつりを堪能したい方にはおすすめです。なお、奉納者には奈良県産生薬を使った薬がプレゼントされるようです。
さて、こちらは院内の北西方向に陣取る広目天です。
西を守護する白虎、白房下に通じる四天王ですね。
広目天も人気のある四天王像です。
須弥山を守護する四天王の中でも、一際クールな二枚目といった役どころでしょうか。眉間にしわを寄せ、睨み付ける形相に魅了される人も多いことでしょう。
デジカメの撮影モードを「打上げ花火」に設定。
広目天が放つ光が、ゆらゆらと夜空に舞い上がっていきました。これはこれで幻想的です(笑)
戸閉祭のだんじり神輿で盛り上がるステージ
四天王巡行の他にも、奈良県内の祭事が一堂に会する「伝統行事見学」が大立山まつりの見所の一つになっています。
年間を通して様々な伝統行事が行われる奈良県内。
日程を合わせるのがなかなか難しく、現地まで足を運ぶことの出来ない人も数多くいらっしゃいます。サービス業に従事なさっている方々は祝休日に行われることの多い祭事には無縁の生活です。そんな方々には朗報ですね。
戸閉(とたて)祭の神輿。
戸立祭と表記することもあるようですが、広陵町の櫛玉比女命神社に伝わる伝統行事として知られます。
神輿には縄が掛けられ、神社建築によく見られる木鼻のような意匠も施されています。
近くにいらっしゃった関係者の方に、なぜ戸閉祭という名前が付いているのかお伺いしました。その名前の由来は、大和で一番遅い時期に行われる秋祭りにあるとのことでした。毎年10月31日が宵宮で、翌日の11月1日にかけて催される祭りのようです。
さらには、氏子が全員祭りのために出払い、家に戸をたてて戸締りしたことに因むネーミングでもあるようです。
10月31日といえば、ちょうどハロウィーンとも重なりますね。渋谷界隈で若者たちがコスプレを楽しんでいる最中に、奈良の広陵町は箸尾だんじりで盛り上がっているのですね。
それにしても、見事なお神輿です。
屋根に取り付けられた大幣が印象に残ります。
その大幣に焦点を当て、右横に平城京大極殿を入れてみます。
祭典当日の10月31日の昼から、伊勢音頭を歌いながらだんじりが氏子町を練り歩くそうです。そして、午後6時頃に櫛玉比女命神社に宮入りとなります。宮入りがこの祭りのメインイベントなんでしょうね。
早打ちの鉦や太鼓が打ち鳴らされる中、最初の一基が拝殿までの約30mを全力で曳き走ります。
それが、このシーンでしょうか。
出番を待っていた一基が、ステージ前へ勢いよく駆け出します。
だんじり前方に乗る紋付袴姿の方々を「うわのりさん」と呼ぶそうですが、この日は宮司さんもお越しになられていたようです。
一通り大極殿院内を練り歩いた後、山車の横でお休みになられています。
神社には四つの氏子区のだんじりがあります。最初のだんじりが宮入りした後、残りの三基も同様に宮入りを果たします。祝い唄の伊勢音頭が歌われた後、曳き手は拝殿になだれこんでお祓いを受けるのだそうです。
実に男らしく、勇壮なお祭りです。
大立山まつりの盛り上げ役としては適任だと思われます。祭りを見終って、近鉄電車の踏切付近に達した所でも伊勢音頭の歌声が聞こえていました。マイク片手に唄う青年の歌声が、次々と大立山まつりの会場へ向かう人々の目を輝かせていました。
こちらは、戸閉祭の一つ前に奉納された広陵金明太鼓です。
大立山まつりの点灯後に、華々しく祭りの火ぶたを切って落とします。広陵金明太鼓は、平成6年6月に結成されたそうです。かぐや姫の生誕伝説の中の金明孟宗竹に因む命名です。
ステージの横にも、たくさんの燈籠が掛かっていますね。
舞台前には広場が設けられていて、そこにはパイプ椅子らしきものが並んでいました。有料の観覧席だったのでしょうか、一般の見学客は中に入ることができないようです。
大極殿院内の片隅にこのような看板が出ていました。
奈良文化財研究所による立入禁止の看板です。さすがに此処は平城宮跡、こんなイベント会場の間近にも発掘現場がありました。ちょっとした驚きですね。
帰路に着きます。
まだ時間は18時30分過ぎのためか、これから会場へ足を運ぶ人ともすれ違います。行く手に見えているのは朱雀門ですね。
少し時間が経つと、こんな世界が広がります。
大極殿へ向かう途中に見た照明器具はミラーボールだったのですね。
遣唐使船の周りにも幻想的な海が広がります。
夜の帷がおりると、辺りはロマンチックなムードに包まれます。
闇に浮かび上がる多聞天。
手にする宝塔の輪郭がくっきりと出ていますね、実に鮮やかです。
こちらは夕闇迫るあったかもんグランプリの会場。
鴨都波神社の特設売場のようですね。鴨の宮と書かれたススキ提灯が掲げられていました。
今回私は、広陵金明太鼓と戸閉祭のみを楽しんだわけですが、祭りの期間中には様々な伝統行事が披露されます。
鴨都波神社のススキ提灯献灯行事、大和神社の紅しで踊り、藤原古代衣裳の舞、金峯山寺の鬼踊り(節分会・鬼火の祭典)、平群町のへぐり時代祭り、大淀町ちびっ子桧垣本座、門僕神社の曽爾の獅子舞、室生天地人の祭、香芝天衝太鼓、田原のおかげ踊りと祭文音頭、バサラ祭り、広陵町の立山祭等々、充実のラインナップです。
戸閉祭の氏子の方々。
法被の背には桜紋が描かれ、その中に「的」の字が見えます。だんじり祭りの行われる箸尾界隈にはその昔、お城があったと伝わります。奈良県内を見渡してみても、お城の周辺には「的場」という苗字や地名が散見されます。想像の域は出ませんが、その「的」を意味しているのかもしれませんね。
奈良の冬を彩る大立山まつり。
数多くの観光客や地元の人が集い、皆で幸せを祈る場として結実していきますようお祈り申し上げます。