手塚治虫の伝奇SF漫画『三つ目がとおる』の題材にもなっている飛鳥の酒船石。
生命の樹セフィロトを思わせる不思議な幾何学模様が多くのファンを惹き付けています。数ある謎の石造物の中でも、特に人気の高い酒船石。そんな酒船石ですが、実は私たちがよく知る酒船石は岡の酒船石であって、もう一つ別の酒船石があることをご存知の方は少ないでしょう。
飛鳥資料館の前庭に展示される「出水の酒船石」。
キバナコスモスが出水の酒船石(レプリカ)に寄り添います。そう、これが ”アナザー酒船石” なのです。なんだか滑り台のような恰好をしていますね。
大正時代に飛鳥川の畔で発見された酒船石
出水の酒船石は大正時代に発見されています。
農作業中の農民が二つの石造物を掘り起こし、その形状が岡の酒船石と似ていたために、出土地の地名から「出水の酒船石」と名付けられました。飛鳥川の畔で見つかったとのことですが、ちょうどその場所は飛鳥京跡苑池のエリアになります。
かなり深い溝が彫られていますね。
先っぽに円い孔が開けられ、そこから水が流れ出ていました。
飛鳥資料館の前庭は無料開放されていますので、資料館の中に入らなくても見ることができます。
飛鳥資料館入口右の駐車場に車を停め、広い庭の中へと入って行きます。まず目に付くのが巨大な亀石のレプリカです。その向こうには猿石や人頭石のレプリカが展示されていました。さらにその向こうには、移築保存された八釣マキト5号墳を見学することができます。そこからぐるりと回り込み、川に架かった橋を渡ります。右手に目をやると、巨大な須弥山石が見えてきます。そのさらに右手に、出水の酒船石が展示されていました。
酒船石の解説パネル。
真神原の東の丘の上にあって広く知られている岡の酒船石とは別に、京都の庭園に運ばれて、ほとんど人目にふれることのないもう一組の酒船石が有ります。大正時代に飛鳥川のほとりで発見された出水(でみず)の酒船石です。二つの酒船石は庭園の水あそびの装置だったとおもわれます。
岡の酒船石のまわりでは、丘陵を取り巻く立派な石垣が発見され、この場所が、斉明天皇の両槻宮にあたるのではないかと考えられるようになりました。
飛鳥川の畔で発見された出水の酒船石ですが、今は京都の野村碧雲荘(へきうんそう)に移されているようです。
野村碧雲荘と言えば、野村證券などを創設した実業家の二代目野村徳七が、大正から昭和にかけて京都南禅寺付近に築造した数寄屋造りの別邸として知られます。2006年には重要文化財に指定されており、外堀に咲く花菖蒲は実に見事です。
岡の酒船石は明日香村現存のためによく目にしますが、なるほど出水の酒船石にはお目にかかれなかったわけですね。
飛鳥川の畔で見つかった当時の、出水の酒船石。
二つの巨石が合わさり、その中に水が流れる構造になっています。発見当時の大正時代の写真なのでしょうか、セピア色に染まる写真が何かを訴えかけてきますね。
飛鳥資料館のミュージアムショップに、出水の酒船石の発見場所が案内されていました。
飛鳥川沿いの、伝飛鳥板葺宮跡のすぐ近くですね。現存する岡の酒船石からも程近い場所であることが分かります。
上手から出水の酒船石を見下ろします。
二つ連なる上の方の石ですね。石の表面には水路とおぼしき模様が見られます。岡の酒船石ほどではありませんが、幾何学模様のようなデザインには類似性が認められます。ここを伝って、下の石へと流れていくようです。
こちらが下の方の石。
随分深い溝が彫られています。
これだけ細長く、見事に彫り込むには相当な技術を要したのではないでしょうか。先っぽに穴が空いており、そこからチョロチョロと水が流れ落ちていました。レプリカとはいえ、その構造がよく分かるように展示されています。京都にある本物は、通常非公開のため見学することができません。なぜ京都へ移ってしまったのか、その経緯はよく分かりませんが少し残念な気もしますよね。
出水の酒船石の上手にある車石。
ここを伝って、下手の出水の酒船石へと水が流れていました。
荷車の轍(わだち)を思わせるラインですね。
この車石の上手には、岡の酒船石のレプリカがありました。つまり、岡の酒船石から車石を経由して、下方の出水の酒船石へと流れて行く仕組みのようです。実際にどうだったのかは定かではありませんが、現在の位置関係からすると、岡の酒船石から伝飛鳥板葺宮跡の横を通って飛鳥京跡苑池へと続いていたのでしょうか。
車石の案内板。
車石は明日香村の民家の庭にあったようです。村民の協力の元、飛鳥資料館の庭に移設されています。
一番上手に位置する岡の酒船石(レプリカ)。
写真左奥に見えている建物は、飛鳥資料館のミュージアムショップです。
岡の酒船石を下から見ます。
解説パネルには ”庭園の水遊び装置” と案内されていましたが、その用途は未だに不明です。
手塚治虫の『三つ目がとおる』では、岡の酒船石は薬の調合に使われていたのではないかとする説が唱えられます。奴隷を服従させるための ”薬の精製器具” という空恐ろしいお話です。土木工事に邁進し、民衆から反発を買っていたとも伝わる斉明天皇。その時代のことを思えば、あながち否定もできないような気がしてきます。
酒船石という名前の由来から言えば、酒の醸造施設という説も成り立ちますね。
『飛鳥古跡略考』には、
飛鳥由来記には酒谷山。大石あり、上に大壺を堀、これに溝あり、上の壺に濁酒盛りて下へ流し清して神酒となし、飛鳥神へ供ふ これ和国の清酒の始なりといふ
と記されています。
出水の酒船石の向こうに須弥山石を望みます。
ちなみに本物の須弥山石は、飛鳥資料館の館内に常設展示されています。
水が流れ落ちる一番手前には膨らみが見られます。
液体がこぼれ落ちることのないよう、巧みに工夫がされているようです。スムーズに液体が流れて行くためには、必要不可欠な中継ポイントになります。
出水の酒船石(上方)。
受ける方は広く、その反対に注ぐ方は狭く設計されています。真ん中には溜めるスペースもあり、合理的に作られた導水施設であることが分かります。
川縁にわずかにキバナコスモスが咲いていました。
飛鳥資料館から程近い藤原宮跡は ”キバナコスモスの名所” ですが、その野性味あふれる花を飛鳥資料館でも見られるとは思っていませんでした。まぁ野に咲く花ですから、どこでも咲くと言えば咲くのですが(笑)
独特の濃いイエローが残暑の日差しを受けて揺らめきます。
ミュージアムショップはガラス張りの建物で、とても開放的な印象でした。クリアファイルや絵葉書などの記念グッズが販売されており、中では飛鳥にまつわるビデオ上映を楽しむこともできます。
酒船石は一つのみならず。
そのことを改めて胸に刻みます。
10月初旬から飛鳥資料館では秋期特別展が催されます。
『祈りをこめた小塔』と題する特別展で、国内に伝来した銭弘俶八万四千塔や泥塔などの小塔が展示される予定です。
<飛鳥資料館案内>
- 入館料 :一般270円 大学生130円 高校生及び18歳未満、65歳以上は無料
- 開館時間:9時~16時30分(入館は16時まで)
- 休館日 :毎週月曜日
- 住所 :奈良県高市郡明日香村奥山601
- 駐車場 :無料駐車場有り(普通車11台)