第10代崇神天皇の皇女・渟名城入姫命(ぬなきいりひめのみこと)。
同床共殿ゆかりの皇族ですね。アマテラスに付けた豊鍬入姫に対し、ヤマトオオクニタマに付けた神様として知られます。上ツ道沿いの天理市岸田町に鎮座していました。
渟名城入姫神社拝殿。
大和神社の摂社で、御祭神は渟名城入姫命です。
崇神天皇の御代、疫病が国内に蔓延したため、それまで皇居に祀られていたアマテラスとヤマトオオクニタマをそれぞれ皇居外で祀ることになりました。そこで、その斎王として白羽の矢が立ったのが渟名城入姫でした。倭大国魂神(やまとおおくにたま)は現在、大和神社の御祭神として祀られています。
髪が抜け落ち、痩せ衰えた渟名城入姫!祭祀不能の皇女
皇居の外で祀られることになったヤマトオオクニタマ。
その大役を担った渟名城入姫ですが、どういう訳か祭祀不能に陥ったと伝わります。髪の毛が抜け、痩せ衰えた渟名城入姫はヤマトオオクニタマを祀ることが出来なかったと・・・。
上ツ道沿いの渟名城入姫神社案内板。
長岳寺五智堂から少し北へ行くと、左折するポイントに道案内がありました。これは分かりやすいですね。
民家の石垣にしっかりとかませてあります。
西方に木が植わっているのが見えます。
到着しました、渟名城入姫神社です。
割と透け透けの印象です。瑞垣は四方を囲うわけでもなく、見通しのいい境内です。
拝殿も”高足”といった感じですね。
手前右手には市場公民館と石仏群があり、反対方向には田畑と民家が広がっています。
正面の石鳥居。
スタンダードな明神鳥居ですね。二本の柱を支える亀腹も小振りです。
遠市丸生誕地
渟名城入姫神社より西側 岸田町坂井周辺
遠市丸?謎の人物ですね。
渟名城入姫神社の本殿。
拝殿奥にあり、注連縄には紙垂が下がります。
太神宮石碑と狛犬。
この辺りはかつて、お伊勢参りで賑わった街道沿いです。
本殿の背後。
石垣の上の一段高い場所に祀られています。
脇にはかなり太い木の切り株がありました。御神木だったのかもしれません。
金比羅大権現。
神社やお寺など、各所に見られるコンピラさんです。
狛犬の後ろ姿。
やや平面に立つ、この尻尾が好きです。
渟名城入姫神社の案内。
例祭 4月1日 9月23日
人皇第10代崇神天皇は皇居(磯城水垣宮)に祀られた大和神社の神々を市磯邑(大和郷)に遷御遊ばされ皇女渟名城入姫命を斎王として親しく祀らしめ給う当社は同皇女を祀る。
西から境内へ振り返ります。
ここから北へ1㎞ほどの場所に大和神社があります。
観光的には戦艦大和の神社で通っていますが、古代史の重要ポイントである同床共殿の流れからも注目したいと思います。
歴史に残る疫病。
古今東西、伝染病との戦いが語られますが、崇神天皇のお話は日本史における最も古い記録です。疫病退散のために、皇女・渟名城入姫に祀らせたのです。失敗に終わったようですが、その理由は何だったのか知りたいところですね。
長い歴史のあらゆる場面に登場する疫病。
仏教容認をめぐる蘇我氏と物部氏の争いも、疫病をきっかけにして、百済伝来の仏像を難波池に捨て去ることになります。東大寺の大仏も疫病退散の願掛けだったと言います。2020年度を生きる私たちは今、時代の転換点にいるのかもしれませんね。