舎人親王や現人神(あらひとがみ)を祀る神社のようです。
桜井市高家の六地蔵より上手に、不思議な雰囲気の神社がありました。初めて訪れましたが、桜の名所のようです。花見シーズンは既に過ぎていましたが、境内にはたくさんの桜が植えられていました。
明宮神社の鳥居。
明神鳥居に注連縄が掛かります。目を引いたのは鳥居両脇の狛羊!普通の狛犬ではなく、羊のような角を持った石像が守護していました。さらに祠へ向かう石橋の欄干にも注目です。謎の神像が歯を剥き出しています。
太陽の道と水の道が交わる場所に鎮座!謎の石像オンパレード
明宮神社に関しては情報量が少なく、呼び名も定かではありません。
何と読むのでしょうか?「この世に人間の姿で現れた神」を表す明神(あきつみかみ)。その現人神を祀る「明宮(あきつみぐう)」なのでしょうか。
明宮神社の参道。
奉納旗が風に揺れていました。「明」の字体が崩され、デザイン性を感じます。
インパクトある尊像。
境内の南無大日大聖不動明王の御前に祀られていました。右手奥には陰陽石もあり、ミステリアスな雰囲気が辺りを包み込んでいます。
不動明王からさらに高台の石像群。
笏(しゃく)のような物を手にしています。由緒にも案内されていましたが、聖徳太子の冠位十二階とも何か関係があるのでしょうか。
男女のシンボルを表す陰陽石。
飛鳥坐神社でよく見かける石造物ですが、高家の明宮神社にも祀られていました。
ここまでくると、もう何がなんだか分かりません(笑)
歯を出して笑っています。奇異な石像があちこちにあり、とても興味をそそられます。
橋の欄干の石像。
四足歩行の動物であることに間違いはなさそうです。何かの霊獣なのでしょう。
今回私は、高家にある「ホテル奈良さくらいの郷」のレストランで昼食を済ませ、高家ウォーキングを楽しみました。六地蔵まで谷筋を上がって行く途中に小さな鳥居がありました。
道端の鳥居。
立小便禁止の鳥居のようにも見えますね。道の脇で幾つか発見したので、ひょっとするとこの先に神社でもあるのかなと思いました。
どんどん登って行くと、遥か彼方に六地蔵の背中が見えてきます。
谷筋を登る道は二つありますが、向かって右手の道をチョイスしました。もうすぐ六地蔵です。
剝き出しになった平野古墳の石室前に佇みます。この六地蔵の視線の向こうに、明宮神社へ上がって行く参道が見えています。
この青い奉納旗が目印になりました。
この旗が無ければ、ここに神社があることすら気付かなかったのです。もう何度も高家の六地蔵に手を合わせていますが、明宮神社の存在に初めて気付いた次第です。
祠前の石橋。
バツ印の竹は結界を表しているのでしょう。
橋の上にはたくさんのお賽銭が納められていました。
ニヤッ。
不気味な表情で神様を守っています。
やはり羊ですよね。
神社と言えば狛犬が定番ですが、狛虎や狛ネズミ、狛イノシシなども存在します。さすがに狛羊に出会ったのは初めてかもしれません。
くるっと巻いた角。
十二支の未年にお参りするとご利益がありそうですね。
「1400年を経て蘇る 明宮神宮 落慶記念」と書かれています。
舎人親王の万葉歌も掲げられていますね。
ぬばたまの 夜霧ぞ立てる 衣手(ころもで)の 高屋の上に たなびくまでに
高屋(高家)の上に、夜霧がたなびくほどに立ち込めてきた様子を詠っています。
舎人皇子が都のあった飛鳥から詠んだ歌とされます。飛鳥から東方の高家(たいえ)を望み、感慨にふけっている様子がうかがえますね。日本書紀の編纂者であり、天武天皇の第3皇子でもあった舎人親王。大和郡山市の松尾寺開基としても知られる人物です。
どうやら太陽の道と水の道が交わる場所に、明宮神社は位置しているようです。
明宮神宮の由緒が案内されていました。
【御祭神】天之御中主神(あめのみなかぬし)、明神(あきつみかみ)、舎人親王
【御鎮座】日本書紀以前(7世紀頃)
【御由緒】かつて人は、天皇のことを『明神(あきつみかみ)』と呼んだ。「現人神」である。太陽が現れ、世を照らし、地に幸を与える。太陽神の子孫は神に仕え、祭を執り行う。自身祭祀権者である。祭り祭られる関係である。
仏・儒・神の並行信仰の実践者であった聖徳太子が設置した冠位十二階の制度(603年)は、陰陽五行説の五常(仁、礼、信、義、智)に加えて、その上位に「徳」を置き、それぞれの階位を大小に分けたものである。聖徳太子は決して仏教だけの人ではない。
607年には敬神の詔を出している。
並行信仰の人であった。大化3(647)年には改訂されたが、天武天皇14(685)年、天皇は諸臣四十八階を設けた。その時、上位の階位に『明・浄・正・直』を順に設けた。持統天皇・文武天皇もおおよそこれを引継いだ。
『万葉集』
大君(おほきみ)は神にし坐(ま)せば
赤駒(あかこま)の匍匐(はらば)ふ田居(たゐ)を
都(みやこ)となしつ大伴御行(おおとものみゆき) 巻19 4260番歌
【訳】天皇は神でいらっしゃるので、赤駒が腹ばう田を都としてしまわれた。
と詠んで、天皇を神と崇めたことにも、また天皇自身が『明神(あきつみかみ)』と称していることにもそれがうかがわれよう。
2008年3月8日
竹林草庵・補陀落山の舎人親王の別荘跡地
(旧栗山)で明宮(あきつみぐう)摂社跡を発見。
舎人親王は、この別荘跡地にて『日本書紀』を編集された。
舎人神宮の案内板。
竹林草庵に鎮座する明宮神社ですが、舎人神宮とも呼ばれているようです。学業成就とボケ治癒のご利益が説かれます。
神の降臨が紹介されています。
つい最近の出来事のようですね。神坐を造って8年目にして祈願達成と書かれています。
本当に不思議な神社です。
石像パワーも手伝い、スピリチュアルな空気が漂っています。
憤怒の表情の仁王像でしょうか。
何かこう、テーマパークのような雰囲気です。
井戸もありました。
井戸の手前の手水鉢ですが、どっしりした安定感があります。
キューブ状の石が祀られていました。
サイコロのような石が積み上げられ、見たことのない光景に驚きます。
うん?
これは楽器を持った仏像ですね。音声菩薩でしょうか。
極めつけの尊像。
間違いなく一番インパクトがありました。
切り株を彫り上げているのでしょうか。
南無大日大聖不動明王の御前に祀られています。
両脇に立つ石柱も初見です。
如意宝珠にしてはやや直線的です。奥に祀られる陰陽石のことを思えば、これも男根を表しているのかもしれません。
護摩壇と不動明王。
荒々しい護摩行がここで修められます。
背にする炎光背に勢いを感じます。
ここは煩悩を焼き尽くし、修身に至る場所ですね。
煤けた護摩壇。
見ているだけで、炎の熱が伝わってきます。
護摩壇に向き合う陰陽石。
竹垣で結界が張られていました。
さらに奥に、これまた不思議なサークル。
先ほど見た立方体の石が並びます。これは一体何を意味するのでしょうか。
石塔も建っています。
一段上がった場所に、見慣れない石像が並んでいました。
向こうの二体は仏像のようですが、手前の四体は人だと思います。笏(しゃく)のような物を手にしています。
聖徳太子と関係する石像でしょうか。
仏像にも笑みがこぼれます。
背後は桜並木です。花見の季節は正に極楽浄土ですね。
桜井市内にこんな場所があったとは。
市民でも知らない人が多いはずです。ましてや観光客には“言わずもがな”です。
やはり桜の季節に訪れたいですね。
絵になること間違いなしです。
おっ、鼻が黒いですね。
どうされたのでしょうか。余計なことが気になります。
反対側にも整列しています。
微笑む仏像。
螺髪に白毫、さらには施無畏印に与願印など、仏像の特徴をそのままに引き継いでいます。
おや?
これまた摩訶不思議な石像が広場を見下ろしていました。
まるで異国に迷い込んだようです。
広場にはステージのようなものがありました。
ブルーシートが掛かっていますが、イベント会場になっていたのかもしれません。
三面の仏像です。
三者三様の表情でした。
モヤイ像を連想しますが、似て非なるものであることは明らかです。
面長でのんびりした表情に癒しを覚えます。
やはり歯を出していますね。
憎めない石像たち。
こちらはやや真面な石像です。
蓮坐の仏像は阿弥陀如来でしょうか。お地蔵様の数は六体で、こちらも六地蔵のようです。
「きづき地蔵」と案内されていました。
一体だけ、右手に錫杖を持っています。錫杖を手にするスタイルはお地蔵様ならではですね。一番手前の地蔵が手にしているのは数珠だと思います。
きづき地蔵に花が供えられます。
とても景色のいい場所です。
遥か西方に二上山を望みます。視界が開け、奈良盆地もよく見えています。
明宮神社の帰り道。
振り返ると、参道脇に大きな石が剥き出しになっていました。ここ高家は古墳の多いエリアです。大きな石が地中から顔を出していると、横穴式石室の石材かと勘ぐってしまいます。まぁそんなことは無いのでしょうが、とにかく色んな驚きに満ちた神社参拝でした。