天理市杣之内町の観光施設『なら歴史芸術文化村』。
意外と知られていませんが、親里競技場のすぐ近くです。野球場とラグビー場を備える親里競技場ですが、グラウンドからは天理高校野球部の掛け声が聞こえてきました。
親里競技場の入口。
なら歴史芸術文化村から幾坂池を回り込み、南東方向の親里競技場に辿り着きました。
幾坂池の南の道路向こうに駐車場があります。駐車場前には東乗鞍古墳の案内板が立っており、周辺観光に利用されているようです。なら歴史芸術文化村の駐車場が満車の場合は、こちらの駐車場が便利でしょう。
親里ラグビー場内にある杣之内火葬墓
石上宅嗣の墓ではないかとされる杣之内火葬墓。
以前からその存在は知っていたのですが、場所が不明でした。何気なく訪れた親里競技場で、親里ラグビー場内にあることを再認識しました。
親里競技場から『なら歴史芸術文化村』へ向かうルート。
この辺りは元気な高校球児の声が聞こえてくるエリアです。
なら歴史芸術文化村の文化財修復・展示棟。
建物の前にはバス停がありました。
親里ラグビー場。
親里競技場の入口から左手に野球場があり、その向こうにラグビー場がありました。
左奥に茶色い斜面が見えていますね。
どうやらあそこが杣之内火葬墓のようです。
奈良時代8世紀の火葬墓で、復元すると直径約11mの低い円丘状になります。
天理駅前に行くと、杣之内火葬墓から出土した海獣葡萄鏡のレプリカを見ることが出来ます。
火葬墓の中央には土坑があり、炭を充填した後に木櫃(きびつ)が納められていたようです。さらに木櫃の中には火葬骨と銀製のかんざしが収められ、やや離れて一面の海獣葡萄鏡が発見されました。人骨は火葬で焼け、粉々になっていたようです。
「保存古墳」と案内されています。
石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)は日本初の公開型図書館である芸亭(うんてい)を設けた公卿であり、文人です。ラグビー場にそんな偉い人の墓所があるとは意外ですね。思えば天理高校の敷地内、アーチェリー練習場の近くにも巨大横穴式石室の塚穴山古墳がありました。古墳の多い天理市ならではで、その歴史の深さに感じ入ります。
親里競技場。
「親里」というネーミングもいいですね。
天理教における「おぢば」や「親里」。天理のアーケード街には「ようこそお帰り」の文字が踊ります。人間幾つになっても、帰る場所があるのはいいものです。
幾坂池の周回路。
目の前、南方に見えている墳丘がおそらく東乗鞍古墳でしょう。
幾坂池の北に『なら歴史芸術文化村』を望みます。
四方が開けた場所で、特に西に広がる大和平野の景色は最高です。野球部員の声がこれだけ綺麗に響くのも、遮るものが無いからでしょう。青春時代の瑞々しい息吹を注入されたようで、なんだかスッキリしました!