天理市のマバカ古墳!古式土師器が出土

天理市にある前方後円墳。

最も古い時期の前方後円墳と目され、纒向石塚古墳や纒向勝山古墳などの築造時期と重なります。前方部と後円部を繋ぐ ”くびれ部” をえぐるように農道が通り、墳丘の姿は見るに堪えないものがありました。

マバカ古墳

後円部の墳頂から前方部を見下ろします。

前方部も後円部もどちらも果樹園になっています。真冬の時期に当り、墳丘からの見通しは良かったです。

スポンサーリンク

濠状区画を検出!大和古墳群のマバカ古墳

マバカ古墳のある場所は、大和古墳群(おおやまとこふんぐん)の南方です。

天理環状線沿いに位置し、萱生(かよう)交差点のすぐ近くです。柿の品種・刀根早生発祥の地碑が前方部の脇に建っています。国道169号線を桜井方面から北へ向かう場合は、コンビニやガソリンスタンドのある「大和神社前」で緩やかに右へ取ります。

マバカ古墳

天理環状線から見るマバカ古墳。

この地点から振り返ると、農道に寸断されている前方後円墳の姿がよく分かります。向かって左側が後円部(高さ7m)、道を挟んで右側が前方部(高さ2m)です。

前方部の傍を自転車が通過していますが、その横の天理環状線も含めた辺りから濠状区画が検出されたのでしょう。

マバカ古墳の墳丘図

マバカ古墳の復元図。

農道がきれいに斜めに通っていますね。

前方部西側では池状の落ち込みも検出されたようで、アメーバ状に色濃く示されている部分がそれに当たるものと思われます。

マバカ古墳の分断道

くびれ部を通る農道。

左が前方部、右が後円部です。道路にせり立つ石垣は後世に築かれたものでしょう。

マバカ古墳解説

マバカ古墳の解説文。

マバカ古墳は大和(萱生)古墳群の南寄りに位置する前方後円墳で、墳丘の全長は約80mの規模に復元される。明治年間の記録では、勾玉・管玉が出土したというが、埋葬施設の状況は明らかでない。道路建設に伴う発掘調査では、古墳前方部の西側において濠状の区画や、池状の落ち込みなどの遺構が検出された。

また、古墳北西部の調査では、幅27mほどの川跡から大量の古式土師器や須恵器、円筒埴輪などの遺物が検出され、古墳の南側の調査では、古式土師器をふくむ溝や土坑などの遺構が検出された。古墳は、墳形や周辺の出土遺物から、大和(萱生)古墳群の中でも、最も遡る時期に築造されたものであると考えられる。

なお、遺構は道路の下に保存されている。

周辺にはかなり幅の広い川が流れていたんですね。

川跡から検出された古式土師器や須恵器の土器類、さらには墳丘近くの川跡の写真も掲載されています。

刀根早生発祥の地碑

前方部脇の「刀根早生発祥の地」を示す石碑。

奈良県は全国有数の柿の生産地ですが、毎年初秋に出回る刀根早生は季節の贈り物です。マバカ古墳と刀根早生がこんな所で重なるとは・・・さすがは歴史の宝庫・奈良県ですね。

マバカ古墳を見学した後、天理環状線を北へ向かって歩いていると、右前方で発掘調査の現場に出くわしました。

どうやらヒエ塚古墳の発掘調査のようでした。

第5次のヒエ塚古墳発掘調査。

ヒエ塚古墳は3世紀後半の前方後円墳で、ヤマト王権を担った主要人物の墓と推測されます。今回の調査で、全長が129mであることが判明しました。前方部の墳丘端に、30㎡ほどの長方形の調査区を設け掘り起こされています。その結果、長さ約4.5mにわたって葺石が出土しました。

葺石が途切れた辺りから、葺石の崩壊を防ぐ基底石とみられる石も検出されています。ヒエ塚古墳のすぐ近くにあるノムギ古墳は既に国史跡に指定されています。今後、さらなるヒエ塚古墳の調査が待たれるところですね。