平群町の三里古墳近くに長屋王墓があります。
「ながやおうのはか」「ながやおうぼ」など、読み方は一定しませんが、天武天皇の孫にあたる人物のお墓です。国道から少し入った所にあり、割と小振りな印象でした。
長屋王墓。
正面に神明鳥居が建ち、向かって右手に「天武天皇皇孫 長屋王御墓」と刻みます。
春日大社に見る栄枯盛衰!長屋王の最期
久しぶりに奈良を散策。 春日大社の参道を歩いてみました。 奈良そごうの石灯籠。 今は亡き「奈良そごう」。イトーヨーカドーに変わってから、既に長い年月が流れています。 奈良そごうは長屋王の邸宅跡に建造された百貨店でした。
長屋王墓と梨本南二号墳の関係
長屋王墓の埋葬施設は未だに分かっていないようです。
肝心かなめの部分が不明で、本当に長屋王を葬る場所なのか定かでないというのが本当のところでしょう。
近年の発掘調査により、現在の長屋王墓と後円部が同心円に重なる位置に、新たに前方後円墳が確認されています。全長45mの前方後円墳で、梨本南二号墳と呼ばれています。
三里交差点から細い道に入ります。
長屋王墓までは200m、その先には紀氏神社が鎮座しています。
梨本南二号墳の築造時期は6世紀前半と推測されます。『続日本紀』によれば、長屋王は神亀6年(729)に生駒山に葬られたと記されています。明確な場所の記載が無いため、長屋王墓の確定とまではいかないようです。
長屋王墓の周辺地図。
長屋王墓から北東方向には、夫人の吉備内親王墓があります。
長屋王は謀反の罪で自害し、吉備内親王も後を追って自害しています。夫婦の最期は語り草にもなっていますが、こうして近くに葬られているとすればせめてもの救いですね。