葛城市染野にある櫟山(くぬぎやま)古墳。
当麻寺をはじめ、傘堂、石光寺などの周辺観光も楽しめる場所に佇んでいました。櫟山古墳は首子古墳群の中の一つで、首子1号墳に当たります。
東から見る櫟山古墳。
直径20mの円墳とされます。道の向こうに見えるのは、二上山の雌岳です。
二上山や当麻寺東西両塔を望む古墳
郡山藩主の影堂である「傘堂」を見学した後、病院の前を通って東へ下ります。
道標に「首子塚古墳」と案内されていました。首子塚?聞き慣れない古墳だなと思い、向かってみることにしました。
二上山の右手前の墳丘が櫟山古墳(首子1号墳)です。
櫟山古墳には案内表示が無く、これが果たしてそうなのか見当がつきませんでした。運よく行き合わせた地元の方に尋ねると、首子塚古墳の一つであることを教えて頂きました。
交差する道案内。
ここから北へ向かえば、中将姫ゆかりの石光寺です。そろそろ牡丹も咲き始めている頃ではないでしょうか。
ただ単に墳丘があるだけです。
埋葬施設は組合式家形石棺の直葬と、横穴式石室だったようです。首子古墳群は8号墳まで確認されていますが、その中の1号墳ですから割と中心的存在なのでしょう。
近づきます。
墳丘には登れるようです。散歩中の地元の方によれば、昔はこの辺りでよく遊んだ思い出があるとか・・・子供の遊び場所としてはうってつけですね。
墳丘の脇からカメラをズームしてみます。
当麻寺の東西両塔が見えます!
これは貴重な光景ですね。この後、首子5号墳にも足を延ばしましたが、よりはっきりと当麻寺の塔を望むことが出来ました。首子塚古墳と当麻寺東西両塔、これは是非セットで楽しみたいところです。
今度は北から振り返ります。
色んな角度から櫟山古墳を楽しみます。
東方向の大和平野を望みます。
右手奥に畝傍山、道の向こうに見えているのは耳成山でしょうか。贅沢にも大和三山を遠望します。ちょっとしたビュースポットですね。
さらに南から。
手前に下って行く道が付いていました。農家の方が利用なさっているのでしょう。
生活に密着した古墳を感じます。
古墳と言っても何も特別なものではなく、普段の生活に溶け込んでいます。
二上山が控えます。
落日を象徴する山であり、西方の極楽浄土ともイメージが重なります。山麓には大津皇子の墓ではないかとされる鳥谷口古墳もあり、古墳のよく似合うエリアです。
向かって右手が雄岳、左手が雌岳です。
櫟山古墳のすぐ西に学校がありました。“学びの庭と古墳”もいいですね。色んな風景が混ざり合い、人の営みと共にあり続ける古墳の姿。古墳を見学するだけではなく、その周りに目を凝らしてみると新たな発見があるのかもしれません。