ピラミッド形金鳥塚の葺石@都塚古墳

明日香村の都塚古墳には金鶏伝説が伝わります。

毎年正月元旦になると、金鶏が鳴くんだそうです。真偽のほどは定かではありませんが、伝説のある処にはそれなりの ”何か(something)” があるはずです。センセーショナルな真実が隠されている、そう勘ぐってみるのも面白いのではないでしょうか。

「くつな石の由来」と都塚古墳

「くつな石の由来」と都塚古墳の横穴式石室開口部。

都塚古墳は階段ピラミッド形状の古墳として注目を集めています。他に類を見ない特異な墳丘が、考古学ファンのみならず多くの人を惹き付けています。ピラミッド形の墳丘が発見された時には現地説明会も行われました。数多くの古墳ファンが見学に訪れたことでも話題になりましたね。残念ながら私は所要で行けずじまい・・・そこで、その当時の痕跡を確かめるべく足を運んで参りました。

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階段状に5段以上積み上げられた川原石

都塚古墳の墳丘には、階段状に川原石が積み上げられています。

少なくとも5段以上にはなるようです。

使われた石の総数は12万9千個にも及び、その規模の大きさに驚かされます。石室を含めた推定総重量は485tと言いますから、当時の労力を考えれば相当身分の高い人が葬られているはずです。

都塚古墳の川原石(葺石)

都塚古墳の葺石(川原石)。

おそらくこれが、階段状に積み上げられていたという川原石の一部なのでしょう。確かなことは言えませんが、墳丘の表面には複数の石が顔を出していました。

都塚古墳の墳丘

何かが緑色のネットで覆い隠されていました。

意味深です(笑)

階段の壁面部や、平坦部の内側などに拳大から人頭大の石が使われていたそうです。都塚古墳は東西約41m、南北約42mの大型方墳です。方墳ということで、都塚古墳の下手に築かれている石舞台古墳と墳形は同じということになりますね。

都塚古墳の築造には、延べ3万人の労働力が駆り出されたと推定されます。都塚古墳の近くには細川谷古墳群という群集墳があります。打上古墳も細川谷古墳群の中の一つで、細川谷古墳群は蘇我氏一族の墳墓ではないかと言われています。被葬者を蘇我稲目とする都塚古墳とも重なりますね。

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立石から冬野川を経由して都塚古墳へアクセス

今回私は、上居の立石から都塚古墳へ向かいました。

上居の立石、打上古墳を見学した帰り道・・・まだ時間に余裕のあることを確認し、久しぶりに都塚古墳に立ち寄ってみることに致しました。

立石の道標

県道155号線を多武峰方面へ向かうと、やがて右手に道標が見えてきます。

道路反対側の左手には上居の立石があります。道が二手に分かれていますが、右手の道を下って行きます。

都塚古墳へのアクセス道

冬野川に架かる橋が見えて参りました。

冬野川は飛鳥川の支流に当たります。

上居橋

上居橋。

冬野川に架かる短い橋(上居橋)を渡ります。

上居橋と立石

橋を渡って振り返ったところ。

橋の向こうのガードレール奥手に、先ほど見学を済ませた上居の立石が見えています。

都塚古墳遠景

道なりに進み緩やかに右に折れると、また小さな橋を渡ります。

もうここまで来ると、右手前方に都塚古墳の墳丘を視界に捉えることができます。

都塚古墳の家形石棺

都塚古墳の家形石棺。

持ち送り構造の横穴式石室が開口していました。

石室の中にこそ入れませんが、十分に中の様子を見学することができます。南に開口する横穴式石室で、二上山から採集した凝灰岩製の刳抜式家形石棺が納められています。この他にも、棺台と思しき自然石があることから、木棺の存在も推測されています。

都塚古墳の葺石

墳丘の西側にあった川原石。

まぁ、間違いはないでしょう。これがピラミッド形古墳の名残です。

ピラミッド形の都塚古墳

都塚古墳の復元イメージ図。

段々に築造されているのがよく分かりますね。

特異な墳丘の形に目を奪われます。なぜこのような形の古墳が造られたのか?

一説によれば、5世紀頃の高句麗や百済で見られる階段状の積石塚(つみいしづか)との関連が指摘されているようです。その説に従えば、渡来系氏族の墓という可能性も出てきますね。都塚古墳の近くにある坂田寺跡は鞍作氏の氏寺とされます。都塚古墳の築かれた場所の近くに、渡来系氏族の氏寺があるという事実。都塚古墳の被葬者は確定されておらず、未だ謎に包まれています。

金鳥塚の墳丘

このネットの下にも、ピラミッド形の遺構が残されているのでしょうか。

12万9千個もの石が使われたのです。

気の遠くなるような石の数ですよね。蘇我稲目の墓なのか、渡来系氏族の墓なのか定かではありませんが、いずれにせよ相当な権力者の墓であることに間違いはありません。

ちなみに冒頭写真で、石室開口部の手前に案内板が写っていましたよね。実はくつな石は都塚古墳から少し離れた場所にあります。とは言うものの、十分に徒歩圏内ですのでご興味をお持ちの方は是非足を運んでみて下さい。

くつな石の由来を引用しておきます。

昔、この巨石に目を付けた石屋が石を切り出そうと、石鑿(のみ)で「コン!」と一打ち・・・すると石の割れ目から、赤い血が流れ出し、傷ついた蛇が顕れた。驚いた石屋はそのまま逃げ帰ったそうな。ところがその夜から、ひどい熱と激しい腹痛におそわれ、とうとう亡くなってしもうた。村人たちは、これを祟りと恐れ敬い、此の石を「神の宿る石」として祀った。それがくつな石である。
大字阪田 景観ボランティア明日香 TOTO水環境基金による

都橋

冬野川に架かる都橋。

都橋を渡って左へ行けば、蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳があります。

ならクルの道標にも出ていますが、右へ行けば多武峯・宇陀方面です。

6世紀後半頃に築造されたピラミッド形の都塚古墳。古墳の場所は明日香村阪田に当り、石舞台古墳から400mほど上手に位置しています。金鳥塚の葺石とおぼしきものを見学し、大変有意義な一日となりました。

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